「宮城・仙台を日本のスポーツ教育を変える起点にしたい」パルクールに魅せられた男・石沢憲哉が見据える未来図【後編】

「宮城・仙台を日本のスポーツ教育を変える起点にしたい」パルクールに魅せられた男・石沢憲哉が見据える未来図【後編】

2008年からパルクールを始め、現在は「合同会社SENDAI X TRAIN」でパルクールの普及に努める石沢憲哉さん。2019年には富谷市に常設ジムを構え、多くの子どもたちの指導にあたっています。後編では、今年実施されたクラウドファンディングの話のほか、教育分野におけるパルクールが持つ可能性、これからの展望についてお聞きしました。


―2019年、富谷市にパルクールジム「JUMP&LEAP」が完成しました。こちらは東北唯一のパルクールジムとお聞きしています。

元々、僕らの会社では施設を作らない方針でした。なぜかと言うと、パルクールの素晴らしさを広めていきたいと考えている中で、施設を構えてそこに集客するとなると、どうしても閉鎖的な感じになってしまうような気がしたんです。なので最初は、行政だったり、地域のスポーツ協会だったり、そういった団体と手を組んで、僕らが積極的に外に出て行って、パルクールを宣伝していこうと考えていました。でも、僕らがパルクールの良さを伝えれば伝えるほど、ありがたいことに「もっとパルクールをやりたい!」という子どもたちが増えていきました。危険を伴うスポーツでもあるので、外だとパルクールができる場所も限られてしまいますし、それであれば会社でお金をかけて、場所を作ってあげたほうがいいかなと思い、この「JUMP & LEAP」を作りました。

―会員数も設立当初から3、4倍に増えたそうですが、どのような子たちが多いのですか?

スタート時は25名しかいなかった会員も、今では80名ぐらいに増えています。当初は「パルクールをやりたい」という、子どもの中でもかなりニッチな子たちでしたが、だんだんと「習いごとをしたい」という子が、パルクールを選んで来てくれるようになりました。それこそ、教育的な考え方について、僕らはずっと発信してきたので、そうしたものにアンテナの感度が高い保護者の方が、子どもを連れてくるようになりました。言ってみれば、教育的意義に価値を感じてくださるご家庭が多いです。

―設立して約3年が経ちますが、子どもたちのどういった成長を見てこられましたか?

付き合いの長い子だと、この施設を作る前、外で僕らが教えていた頃からパルクールを続けてくれている子どももいます。その中で、運動能力が伸びたのは誰が見ても分かることですが、一番僕らが思うのは、自分を律する意味の「自律心」が成長しているなと感じています。これってどの場面で見えるかというと、親から離れたときなんですよ。つまり、セーフティーネットが外されたとき。パルクールを長くやっている子は、その自律心がしっかりしているんです。たとえば、ある子どもを海外の大会に連れて行ったときがあったのですが、「大会に来ているのだから、コンディションを整えるのも君たちの仕事だよ」と話したんです。そしたら、親が付いていなくても、自分で早起きして、食堂に行って朝ご飯を食べて、きちんと準備をしてくる。勝つために何をしたらいいかを考えて、自分で考えながら行動している、まさにパルクールの考え方を実践しているんですよ。それを見たときはすごいと思いましたし、一部の大人たちよりもちゃんとしているなと思いましたね(笑)。

―今までにない、スポーツにおける教育方法かもしれませんね。

そうですね。ただ、これはハイリスクでもあるんですよ。どういうことかと言うと、パルクールは本人に任せる部分が大きいので、任せすぎてしまうがゆえに、怪我をしたり、大きな過ちを犯したり、取り返しのつかないところまで進んでしまう可能性があります。だからこそ、自分を律する必要があるんですよ。本当にこの判断でいいのかを精査し、吟味しなきゃいけない。これがパルクールにおけるリスクであり、注意点でもあります。

―それらを自分で考えることも、成長につながるわけですね。

その通りです。実は、うちの教室に通う子どもで、初めて練習に参加した日に他の子がアクロバットの練習をしているのを見て、「俺もやる!」って真似をして骨を折った子がいました。こちらも野放しにしていたわけでなくて、「今日来たばかりなのに大丈夫? 落ちたら大怪我するんだよ?」って伝えたのに、結果的に骨を折ってしまった。でも面白いのは、その子、それから辞めずに続けて、今では全国大会に行けるぐらいのレベルまで上達しているんですよ。つまり、失敗が糧になったんです。失敗を失敗と捉えて、学びのいい機会だったと思えば、成功体験につながります。それこそパルクールというスポーツの素晴らしさでもあるし、僕たちの会社が伝えていきたい理念でもあります。

―話はやや逸れますが、その大事な学びの場所である施設が、3月の地震で大きな被害を受けたとお聞きしました。

そうなんです。2年連続で被災してしまいました。一番大きな被害としては、スプリンクラーの誤作動による水被害でした。電子機器がやられましたし、屋内用のマットが水浸しになったり、木製器具が腐食してしまったり、そうした一部の用具類も使えなくなってしまいました。去年も今年も2カ月ほど休業せざるを得ず、去年は緊急的に融資を受けることができましたが、今年はその枠が使えなかったので、クラウドファンディングを実施しました。

―そのクラウドファンディングでは、目標額を大幅に上回る金額が集まったそうですね。

最終的に目標額の160%オーバーでクリアすることができました。実は地震が起きたその日の夜に、クラファンをやろうと決めて、企画書を作り始めました。諸々の準備もあって、開始したのが翌月の中旬ぐらいでしたが、それまでにSNSでクラファンをやるよという匂わせ投稿もしていましたし、長年パルクールを続けて来て、ありがたいことに業界での認知度が比較的高かったのもあって、始めてから3日で目標額の100%を上回ることができました。告知用のチラシも刷っていたので、それを配る前に達成しちゃったのは想定外でしたが(笑)。

―それだけ、会社しかり石沢さんの活動を応援してくれる人がたくさんいらっしゃるということですね。

それは本当に今回、実感しましたね。実はこのクラファンで支援してくださった人って、うちの教室に通う生徒や地域の人たち以外に、県外に住む古くからのパルクール仲間たちが多かったんです。僕が2008年にパルクールを始めてから今に至るまでに出会ったトレーサー(パルクールを実践する人の総称)からの支援が全体の60%ぐらいだったんですよ。中には遠い九州に住んでいながら「この施設がなくなったら、東北のパルクールの拠点がなくなってしまう」って言ってお金を出してくれる人もいました。そう思ってくれる人がたくさんいたのは、すごくうれしかったですね。

―この先の話になりますが、今後新たに展開したいこと、仕掛けていきたいことはありますか?

まずは施設の話になりますが、現在、会員数が80名いて、このスペースに収まるのが限界になってきているので、横展開と言いますか、店舗を増やしていきたいと思っています。今は富谷市にありますが、遠いところからだと、北は岩手県盛岡市、南は白石市から通ってくる生徒もいます。ビジネス的な側面を考えても、もう少し横展開をすることで、パルクールができる場所を増やしていきたいです。それと、パルクールの業界という意味では、やはりもう少し、スポーツとしての地位を高めていきたい、競技人口を増やしていきたいという思いがあります。実はパルクールに関しては、フリースタイルの競技だけではありますが、2020年のオリンピック東京大会で追加種目の最終選考まで残った経緯があります。今現在も、2028年のロサンゼルス大会に向けて協会のほうではいろいろと動きを進めていますし、もし採択されれば、私もプレーヤーとしては厳しいですが、コーチとして帯同することもできるかもしれない。人生で1回ぐらい、オリンピックという舞台に出てみたいという思いはあるので、ぜひ実現できたらいいなと思っています。

―最後になりますが、宮城、仙台の中で、パルクールをどのような存在にしていきたいですか?

大きな話になりますが、宮城、仙台を、日本のスポーツ教育を変える起点にしたいと思っています。オリンピック選手を育てるにしても、その根本にあるのは結局、スポーツ教育です。誰もが何かしらのスポーツを体験して、「楽しい」と思うから、その先もスポーツを続けられるし、人生を豊かにできると思うんですよ。もちろん、全員にパルクールをやってほしいということではありませんが、何らかのスポーツを経験したり、体験したりするときに、パルクールのような考え方の人がたくさんいてくれたら、どのスポーツを選んだとしても、きっと楽しいと思ってもらえるはず。指導者も、子どもも、スポーツをする全ての人が、パルクールのような考え方を持って、スポーツを楽しんでほしい。この宮城、仙台がその先駆けになれればうれしいですね。

2008年からパルクールを始め、現在は「合同会社SENDAI X TRAIN」でパルクールの普及に努める石沢憲哉さん。2019年には富谷市に常設ジムを構え、多くの子どもたちの指導にあたっています。後編では、今年実施されたクラウドファンディングの話のほか、教育分野におけるパルクールが持つ可能性、これからの展望についてお聞きしました。


―2019年、富谷市にパルクールジム「JUMP&LEAP」が完成しました。こちらは東北唯一のパルクールジムとお聞きしています。

元々、僕らの会社では施設を作らない方針でした。なぜかと言うと、パルクールの素晴らしさを広めていきたいと考えている中で、施設を構えてそこに集客するとなると、どうしても閉鎖的な感じになってしまうような気がしたんです。なので最初は、行政だったり、地域のスポーツ協会だったり、そういった団体と手を組んで、僕らが積極的に外に出て行って、パルクールを宣伝していこうと考えていました。でも、僕らがパルクールの良さを伝えれば伝えるほど、ありがたいことに「もっとパルクールをやりたい!」という子どもたちが増えていきました。危険を伴うスポーツでもあるので、外だとパルクールができる場所も限られてしまいますし、それであれば会社でお金をかけて、場所を作ってあげたほうがいいかなと思い、この「JUMP & LEAP」を作りました。

―会員数も設立当初から3、4倍に増えたそうですが、どのような子たちが多いのですか?

スタート時は25名しかいなかった会員も、今では80名ぐらいに増えています。当初は「パルクールをやりたい」という、子どもの中でもかなりニッチな子たちでしたが、だんだんと「習いごとをしたい」という子が、パルクールを選んで来てくれるようになりました。それこそ、教育的な考え方について、僕らはずっと発信してきたので、そうしたものにアンテナの感度が高い保護者の方が、子どもを連れてくるようになりました。言ってみれば、教育的意義に価値を感じてくださるご家庭が多いです。

―設立して約3年が経ちますが、子どもたちのどういった成長を見てこられましたか?

付き合いの長い子だと、この施設を作る前、外で僕らが教えていた頃からパルクールを続けてくれている子どももいます。その中で、運動能力が伸びたのは誰が見ても分かることですが、一番僕らが思うのは、自分を律する意味の「自律心」が成長しているなと感じています。これってどの場面で見えるかというと、親から離れたときなんですよ。つまり、セーフティーネットが外されたとき。パルクールを長くやっている子は、その自律心がしっかりしているんです。たとえば、ある子どもを海外の大会に連れて行ったときがあったのですが、「大会に来ているのだから、コンディションを整えるのも君たちの仕事だよ」と話したんです。そしたら、親が付いていなくても、自分で早起きして、食堂に行って朝ご飯を食べて、きちんと準備をしてくる。勝つために何をしたらいいかを考えて、自分で考えながら行動している、まさにパルクールの考え方を実践しているんですよ。それを見たときはすごいと思いましたし、一部の大人たちよりもちゃんとしているなと思いましたね(笑)。

―今までにない、スポーツにおける教育方法かもしれませんね。

そうですね。ただ、これはハイリスクでもあるんですよ。どういうことかと言うと、パルクールは本人に任せる部分が大きいので、任せすぎてしまうがゆえに、怪我をしたり、大きな過ちを犯したり、取り返しのつかないところまで進んでしまう可能性があります。だからこそ、自分を律する必要があるんですよ。本当にこの判断でいいのかを精査し、吟味しなきゃいけない。これがパルクールにおけるリスクであり、注意点でもあります。

―それらを自分で考えることも、成長につながるわけですね。

その通りです。実は、うちの教室に通う子どもで、初めて練習に参加した日に他の子がアクロバットの練習をしているのを見て、「俺もやる!」って真似をして骨を折った子がいました。こちらも野放しにしていたわけでなくて、「今日来たばかりなのに大丈夫? 落ちたら大怪我するんだよ?」って伝えたのに、結果的に骨を折ってしまった。でも面白いのは、その子、それから辞めずに続けて、今では全国大会に行けるぐらいのレベルまで上達しているんですよ。つまり、失敗が糧になったんです。失敗を失敗と捉えて、学びのいい機会だったと思えば、成功体験につながります。それこそパルクールというスポーツの素晴らしさでもあるし、僕たちの会社が伝えていきたい理念でもあります。

―話はやや逸れますが、その大事な学びの場所である施設が、3月の地震で大きな被害を受けたとお聞きしました。

そうなんです。2年連続で被災してしまいました。一番大きな被害としては、スプリンクラーの誤作動による水被害でした。電子機器がやられましたし、屋内用のマットが水浸しになったり、木製器具が腐食してしまったり、そうした一部の用具類も使えなくなってしまいました。去年も今年も2カ月ほど休業せざるを得ず、去年は緊急的に融資を受けることができましたが、今年はその枠が使えなかったので、クラウドファンディングを実施しました。

―そのクラウドファンディングでは、目標額を大幅に上回る金額が集まったそうですね。

最終的に目標額の160%オーバーでクリアすることができました。実は地震が起きたその日の夜に、クラファンをやろうと決めて、企画書を作り始めました。諸々の準備もあって、開始したのが翌月の中旬ぐらいでしたが、それまでにSNSでクラファンをやるよという匂わせ投稿もしていましたし、長年パルクールを続けて来て、ありがたいことに業界での認知度が比較的高かったのもあって、始めてから3日で目標額の100%を上回ることができました。告知用のチラシも刷っていたので、それを配る前に達成しちゃったのは想定外でしたが(笑)。

―それだけ、会社しかり石沢さんの活動を応援してくれる人がたくさんいらっしゃるということですね。

それは本当に今回、実感しましたね。実はこのクラファンで支援してくださった人って、うちの教室に通う生徒や地域の人たち以外に、県外に住む古くからのパルクール仲間たちが多かったんです。僕が2008年にパルクールを始めてから今に至るまでに出会ったトレーサー(パルクールを実践する人の総称)からの支援が全体の60%ぐらいだったんですよ。中には遠い九州に住んでいながら「この施設がなくなったら、東北のパルクールの拠点がなくなってしまう」って言ってお金を出してくれる人もいました。そう思ってくれる人がたくさんいたのは、すごくうれしかったですね。

―この先の話になりますが、今後新たに展開したいこと、仕掛けていきたいことはありますか?

まずは施設の話になりますが、現在、会員数が80名いて、このスペースに収まるのが限界になってきているので、横展開と言いますか、店舗を増やしていきたいと思っています。今は富谷市にありますが、遠いところからだと、北は岩手県盛岡市、南は白石市から通ってくる生徒もいます。ビジネス的な側面を考えても、もう少し横展開をすることで、パルクールができる場所を増やしていきたいです。それと、パルクールの業界という意味では、やはりもう少し、スポーツとしての地位を高めていきたい、競技人口を増やしていきたいという思いがあります。実はパルクールに関しては、フリースタイルの競技だけではありますが、2020年のオリンピック東京大会で追加種目の最終選考まで残った経緯があります。今現在も、2028年のロサンゼルス大会に向けて協会のほうではいろいろと動きを進めていますし、もし採択されれば、私もプレーヤーとしては厳しいですが、コーチとして帯同することもできるかもしれない。人生で1回ぐらい、オリンピックという舞台に出てみたいという思いはあるので、ぜひ実現できたらいいなと思っています。

―最後になりますが、宮城、仙台の中で、パルクールをどのような存在にしていきたいですか?

大きな話になりますが、宮城、仙台を、日本のスポーツ教育を変える起点にしたいと思っています。オリンピック選手を育てるにしても、その根本にあるのは結局、スポーツ教育です。誰もが何かしらのスポーツを体験して、「楽しい」と思うから、その先もスポーツを続けられるし、人生を豊かにできると思うんですよ。もちろん、全員にパルクールをやってほしいということではありませんが、何らかのスポーツを経験したり、体験したりするときに、パルクールのような考え方の人がたくさんいてくれたら、どのスポーツを選んだとしても、きっと楽しいと思ってもらえるはず。指導者も、子どもも、スポーツをする全ての人が、パルクールのような考え方を持って、スポーツを楽しんでほしい。この宮城、仙台がその先駆けになれればうれしいですね。

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