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『テヘランでロリータを読む』 読み、想い、生きること

本を読む魅力や意味ってなんだろう。
書かれた物語を楽しむこと。
本の中に過去の自分や過去の出来事や「これから」をみること。
物語の中の世界が現実とがオーバーラップしたり、しそうな内容に
考えるきっかけをもらうこと。
共感や感情移入、
または逆に共感や感情移入が出来なかったりすることで
自分や他人を振り返ったり考えたりするきっかけにもなること。
とか?
読む事と生きる事はつながっている、なんて言われたりもする。
本当に、抽象的ではなく具体的につながっているのだと深く思わされました、この1冊に。
物語の力、フィクション、つまり作られたお話が、私たちが「生きる」ことそのことに与える力を。
著者と著者がかかわってきた生徒たちが読み、考え、生きるさまに。
 
あるきっかけがあって、
今までの自分の中にはなかったような、
恥ずかしながら通ってこなかったような本を手にとる機会に恵まれています。
機会を作ろう、かな。
己のためというより広く多く人々のためになるように。
というと、なんだか抽象的で漠然としていますが、本人的には結構本気な理由でもあって。
月に一度ほどとある隠れ家にてそんな時間を過ごすようになって数か月。
年が明けて手にとらせていただいた本著もそのような流れで読みました。
 
『テヘランでロリータを読む』(アーザル・ナフィーシー/河出文庫/2021)
 
本著の大きな意義と意味は言葉にすればするほど軽く聴こえてしまうかもしれません。
平和ボケしているこの国とこの国の人々、いえ、私がそれをすると。
でも、自由という言葉の意味を改めて考えました。
自分を取り戻すという言葉は近年よく使われるのを見たり聞いたりします。
本当の「自由」とは?  言葉や意味をも考えるようになりました。
 
有名な作品なのでご存じの方も多いかもしれません。
でもちょっと書きたい思いです。
 
1995年、イランはテヘランで「秘密の読書会」が開催されます。
会をひらくことを決めたのは著者。
大学教授であった彼女はヴェールの着用を拒否したため、大学を追い出されました。
7人の女子学生たちを集めた会で読まれるのは西洋の有名な文学たちです。
例えば『ロリータ』、例えば『グレート・ギャツビー』(あ。)
でもそれは決して当たり前の授業ではない
大きく言うと、自身やかかわる人の未来や生命を脅かしかねない授業と言っても過言ではない。

なぜならその国そのときにおいてのことだから。

テヘランで『ロリータ』、あの『ロリータ』。
ヴェールを強要される国で、
どれだけ綺麗事を言おうと美化して書こうと
13歳の少女の自由を自分のものにした主人公の話を読むこと。
きらきらしいアメリカンドリームの象徴のようなギャツビー? ギャツビーって何? をその国で語り合うこと。

政治と文化、権力と個人、抑圧や屈辱の中で、
それでもだから、だからそれでも、読む、読みたい、読む。
読んで、その状況でも、その状況だから、
賛同したり、反発したり、寄り添ったり考えたり、黙ったり、考えたり。
語り合うことや考えることをやめない彼女と彼女たちの文字通り人生の授業です。
国も文化も言葉も思想も考え方も時代も違うけれど
世界中で古典や名作として共通認識とされてきたような多くの物語(フィクション)たちを、
彼女と彼女たちは、心と頭、生きてきて生きていく足、手、
自分の体と心で読み、読むことで自分を生きてゆきます。
未来や自由、人が人らしく生きる世の中を考え、語り合い、人生を重ねてゆきます。
それらを書き残した彼女の本作は2003年に出版されると世界中で話題を集め、ベストセラーになったそうです。
イラン国内では禁書となるも持ち込まれたりインターネットを通してでも読まれたのだそうです。
 
生きた文学論、血の通った文学回想録。
隙間や余白から流れから、静かにも叫ぶような想いたちが伝わって来た。
フィクションではなく、現実にあった話。
読み始めは夢中でページをめくるも、途中からはスピードと共にめくることが出来なくなりました。
めくりたくなかったし、めくれませんでした。
ワンブロックを読んでは、置いて、また時間や日が経ったら、めくって。
そうして読み終えました。折に触れてそのように読み返したい本だとも思いました。
 
さまざまな本に触れた物語に触れ自由に思いを馳せること、
さまざまな地域や文化、歴史や人に触れること出会うこと楽しむことは、
誰にでも与えられた自由な権利であるはずです、そうでなければいけません。
でも最低限の自由さえ国や政という大きな力によって
制限されたり奪われたりすることがある、人がいる、今ある、いる。
かつて我が国もそうであった時代がありました。
いえ、今もそうなのです。我が国も、世界中も。
でも日々報道や情報の中で、本当の「自由」を奪われる人やことに、危機感や想いを巡らせる、それが、どれくらい出来ているだろう。
いろんなことが、わかっているようで、全然で、やはり、他人事となっているかもしれない。
読み、思わされました。思わされ、情けなくも、気付けてよかった、読むことで。
 
本作に登場する彼女らをしばりつけるヴェールは文字通りあのヴェールです。
でもそうでありながら私たちすべての女性をも縛るものでもあるかもしれない、とも感じました。
 
その中で、その中でも、本に、物語に、触れること。
そのことで、そのことから、自分自身を生きること。
 
知ることが出来、出会えて、本当によかった。
だからこうして、おおきな海の中に、瓶につめた手紙のように置いておきたい気持ちです。
 
私も書き続けます。
誰かや何かのために。読み書き考え、知り、想像して。
伝える人間として、端くれとして、改めて強く誓いました。
 
今日も、どうもありがとうございます。
読んで下さったり、付き合って下さったり、ありがとう。
いや、「いきなりどうした?!」とか言わんとって(笑)
いつも、めっちゃ、思っています。


以下は、ちょろっとですがいつもの自己紹介 。
と、苦手なりにもSNSあれこれ紹介、連載などなどの紹介!!も。
よろしければお付き合い下さい🍑✨
ご縁がつながったりしたらとても嬉しい。

大阪の物書き、中村桃子と申します。 
構成作家/ライター/コラム・エッセイ/大衆芸能(旅芝居(大衆演劇)やストリップ)や大衆文化を追っています。
普段はラジオ番組の構成や資料やCM書きや、各種文章やキャッチコピーやら雑文業やらやってます。
現在、lifeworkたる原稿企画2本を進め中です。
舞台、演劇、古典芸能好き、からの、下町・大衆文化好き。酒場好き。いや、劇場が好き。人間に興味が尽きません。

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現在、関東の出版社・旅と思索社様のウェブマガジン「tabistory」様にて女2人の酒場巡りを連載中。

と、あたらしい連載「Home」。
皆の大事な場所についての話。

2023、復活。先日、新作が出ました🆕

以下は、過去のものから、お気に入りを2つ。

旅芝居・大衆演劇関係では、各種ライティング業。
文、キャッチコピー、映像などの企画・構成、各種文、台本、
役者絡みの代筆から、DVDパッケージのキャッチコピーや文。
あ、小道具の文とかも(笑)やってました。

担当していたDVD付マガジン『演劇の友』は休刊ですが、
アーカイブがYouTubeちゃんねるで公開中
(貴重映像ばかりです。私は今回のアップにはかかわってないけど)


あなたとご縁がありますように。今後ともどうぞよろしくお願いします。

皆、無理せず、どうぞどうぞ、元気でね。

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