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Living Well Is the Best Revenge/優雅とは、人間とは

すべては。
このタイトルに尽きるような気がしてなりません。
筆者の力、訳者の力、
このノンフィクションの主人公である夫妻の気持ち、
きっとずばりそのもの、
『優雅な生活が最高の復讐である』
……何への?
 
初めて読んで、
圧倒され、ぼぉっと、
動けず頭もまわらずの状態で「まず」の感想を、
語弊を恐れずに無理矢理一言で言えばこの言葉だったかもしれません。
「こわい」
やっぱり語弊があるなあ。
ちょっとなんか他に言葉、あるなあ。
でも、なんというか、
その、途方もなさのようなものに。
人間、の心の中の底をみた、ような。つまり人間、をみたような。
………なんて、抽象的も抽象的すぎる感想で何も言えておらずもどかしいのですが。
でもね。
人間というものの、底の無い欲というか気持ちというか、
そうさせたもの、そう思わせたり動かせたりしたもの、に想いを馳せた、
馳せざるを得なかったのです。

だから読んだ後、
しばらく動けず言葉も出ず言葉にもならなくて、ぼぉっと、ほぉっと、なりました。
 
読ませていただいた場所が、また、よかった。とてもよかった。
没頭しながら一気に読む機会でした。
最近お気に入りとなった場所にて。
読みきり、読み返して、ほぉっとしていたら時間が来てしまい、
「時間ですよ。でも、もうしばらく、読み終えるまで居て下さっていいですよ」と、お優しいお言葉を頂戴するも、
私はぼぉっとほぉっとしていて、
頂戴したお言葉に「読めた。ちょうど読めた。うん」と、
取り繕うあたまもなく、肚を割った人にだけ出がちなタメ口で返事らしきものをし、ふらふら席を立ちました。
なんとまあうっとりする時間だったのでしょう。
まさに優雅、だったのかも。
 
今、これを書きながらも、ほぉっと、ぼぉっと、なります。

自分ではどうすることも出来ない、
人間というものにはどうすることも出来ない、もの。
と、共に、それでも生きるということ。
自分として自分らしく生きようとする人間のきもちとか欲とか
(ついうっかり私はそれを〝ナカミ〟と言ってしまいがちだけれど)
そんなものの、儚さ、強くも儚さ。
敢えていうなら、でも、その、美しさ。
うん、美しさと(とも)言いたいし、思いたいし、本当に思う。
その、良さとも、言いたいし、思いたいし、本当に思います。
 
途方もないなにかと「それでも」のなにか。
 
狂気だなんて感想はそれも他人からみた主観的な印象でしかないけれど、
欲、エゴ、見え、誰にでもあるそれ。
見栄と、孤独。
自分に対してのものと共に他人の目を意識してのものもきっとあるだろう。
他人からどう見られたい、でも、つまりはやはり自分に対してのそれ。
 
そう思わせたのは、思わせるのは、
時代というもの、
生きるについてまわる時代と背景というもの、これに尽きるのでしょう。
と、読みながらずっと思いました。この夫妻に、まわりの、皆に。
 
主人公となったのは実在した夫婦、ジェラルドとセーラ。
この時代の多くの芸術家が憧れたり惚れたり(それ故に意識したり反発したり)した。
ピカソ、ヘミングウェイ、
そして、『グレート・ギャツビー』の作者、フィッツジェラルドとその妻も、とても、大きく。
 
フィッツジェラルドが書いた、
20世紀最大のアメリカ文学のひとつと言われる『グレート・ギャツビー』、
縁あって数年前映画を観た時、私は思いました。
「ギャツビーなんか居ないんじゃ? 居なかったんじゃないか?」
変な感想ですよね。いや、居ないんだよ。創作された小説内の主人公なんだよ。
でも、ギャツビー、
我々世代のスター、ディカプリオが演じた虚栄と孤独と熱狂と滅びの彼は、
〝時代〟そのものに感じられて、
ひとりの男とかじゃなく、時代だ、ってとても思った。いいとか悪いとかじゃない。
あの印象深過ぎる神の目や緑の光によるものも大きいのでしょう。
(そして、今、ちゃんと読もうと読んでいる最中(春樹じゃなく野崎ver.)
 なので色々ちょっとズレたことを言っていたらすみません)

そんな作品を書いたフィッツジェラルドが憧れ嫉妬したマーフィ夫妻は
彼の書いたもの、ギャツビーも、
そして彼が夫妻をモデルに書いた最後の小説も気に入らなかったのだそう。
で、フィッツジェラルドの人生と最後は、御存じの通り、ああだ。
でもその後、老いたマーフィー夫妻が「隣人」となった著者、
カルヴィン・トムキンズが聞書きをしてニューヨーカーに掲載をし、単行本をなったそれはベストセラーとなり、
ノンフィクションの金字塔と呼ばれ、絶版とまでなり、今、蘇る。
 
時代と人と、人と人と、皆にとっての「あなたとわたし」というものを思います。
人間の、人間を、思わざるを得ません。
 
避けては通れぬまわりの環境や自分のこと、
最終的にはそれは生老病死でもあるが、
でも、だから、〝つくりあげる〟。
夫ジェラルドは自分たちの生活や人生を「発明品」「錬金術」と言います。
〝作り上げた〟〝作り上げる〟、意識をして。
何を? 何に対しての?
それまで(の自分(自分たち)とそれからの自分たち、を、国を、時代を、なんだろう、きっと。
 
でもそれでも人生というやつはつくりあげたものの中にも踏み込んできて……。
 
それも、人間であるから、こそ、なのかもしれない。
 
でもそれでも。と。それでもだから。と。
 
人、人と人。生きること。
その時代に生きること、その時代を生きること、
二重、三重の、ある意味狂気と、狂気の中の喜びと陶酔と孤独と、それでも生きること。
それに憧れる人、嫉妬する人、そうしようあろうとしても出来ない人。
様々な人が出会い、交錯し、その時代を生きる、
 
マーフィ夫妻の妻・セーラの印象は、
フィッツジェラルドによると、
「毅然としていてかわいらしくて淋しげ」だったと書かれています。
セーラは彼を気に入っていなかったようだけれども。
 
そして、その時代、その世、夫妻にまわりに居た人は皆言ったと言います。
「マーフィ夫妻といっしょのときはだれもが最高の自分になれた」
 
人間が生きるってなんだろう?
人間が生きるにおいて、あなたが私が生きるにおいて、大事なもの、大事にしたいものってなんだろう。なんですか?
 
『優雅な生活が最高の復讐である』
 
本や表現されたものから人間に触れる唯一無二の時間と気持ちを、
印象深過ぎるタイトルのこの1冊は教えてくれました。
時と場所と時代を越えて、
生きること、生きていくことについて考えさせてくれる時間と余韻をいただきました。

この作品に描かれた人、登場した、実在した彼と彼女と彼ら彼女ら、
それを聞き取って書いた彼、掲載した紙、本となるにかかわった多くの人、訳者、
この度復刻版として登場するにあたりかかわった多くの人、
この本を届けたいと仕入れた人、
たくさんの人の手から素敵な縁と縁で私のもとに来たことと、
いろいろなきっかけに感謝しかありません。

読んだ日ね、抱きしめるようにして帰ったよ。
鞄に入れて帰ったのだけれど、気持ちはそんな感じ。
最寄り駅についてもしばらくほぉっとし、ちょっと外で1本呑みました。
 
私も、生きねばなりません、書かねば、なりません。
 
優雅に? うん。うーん。うん。
 
これを書くにあたり、
いろいろバタバタからのちょっと落ち着いて3度目の読み返しをしたら、
ちょっとじわっと涙のようなもの、も、出たよ。
なんだかわからない、なににたいしてなのか、わからないけれども。

*読んだ日のこと、と

読んだ場所のこと



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大阪の物書き、中村桃子と申します。 
構成作家/ライター/コラム・エッセイ/大衆芸能(旅芝居(大衆演劇)やストリップ)や大衆文化を追っています。
普段はラジオ番組の構成や資料やCM書きや、各種文章やキャッチコピーやら雑文業やらやってます。
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舞台、演劇、古典芸能好き、からの、下町・大衆文化好き。酒場好き。いや、劇場が好き。人間に興味が尽きません。

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