私のおとな時代① 就職・結婚・出産

就職

大学を卒業すると、政府系金融機関OECF(海外経済協力基金)に就職、5年勤めた。開発と環境、先進国と発展途上国、天下り、国会対策、会計検査院による監査、民主党の仕分けによる組織統廃合など、社会の一部を垣間見た、貴重な経験だった。私は、うすうす気づいてはいたものの、実際に働いてみると結構ポンコツ人間だとわかり、長く組織で働き続けることはできないかもしれないなと漠然と感じていた。

いくつかの思い出のうちで印象に残っていることは、当時40代の上司に何度も食事に誘われていたこと。「不倫」という言葉は一般人にはなじんでいなかったけれど、妻子のある方だったので何度もお断りして、その旨手紙を書いたこともあった。それでも、独特な節度と距離感で、その方は毎回、海外出張の度にお土産をくれてデートと称する食事に誘われていた。いまならセクハライエローカードが沢山あったと思うが、奥さんとのなれ初め、子どもの受験、昔の恋愛話、自分の健康の話、介護の話など、男性はこうしたプライベートな話をこぼす場所がないのかもしれないと思った経験だった。その人は、私以外にも、そういう女子社員が何人かいたのかもしれない。そんな噂がないわけでもなかった。
その上司と話すうちに、男性には男性の辛さ、悩みがあるのだと思うようになっていた。私も、年老いた祖父の代わりに、家族問題の話をその人に聞いてもらっていた。私はなんとなくその上司を父と重ねて、普通の父娘だったら、こんな風に食事に連れて行ってもらったりするのかもしれないと思っていた気がする。
5年勤めて結婚後に退職した。

結婚・出産

さらに健康や自然療法への関心が強くなったのは、妊娠と出産、育児がきっかけだった。機能不全だった自分の家庭を出て、仕事も辞めて恋愛結婚した夫と、新しい理想の家族を作ることに燃えていた。

当時は、ダイオキシンが問題となって「奪われし未来」という本がセンセーショナルだった。わが子が生きる世界や地球を守らなければという一心で、社会に関心を持ち、できるだけ自然な暮らしを目指した。

2人目と3人目は自宅で出産し、自然育児友の会という育児サークルの活動と通じて、環境と子どもに優しい布おむつや、母乳育児、玄米菜食、オーガニックなどを実践し、次女のアレルギーをきっかけに完全な菜食を7年近く続けた。「お肉が食べられないかわいそうな食事」ではなく、「より身体によい食事」であるという、マクロビオティックの料理教室に子連れで通い、師範の資格を取得した。深刻な病気はなかったものの、食べ物で身体に変化が現れることが実験的に体感していた。

予防接種の危険性も勉強し、予防接種を受けずに子ども達の身体を守るためにホメオパシーや野口整体などの自然療法も学んだ。
専業主婦で三人の子育てに追われていたけれど、子どもの健康と安全を守るという使命に充実していた。自分が育った家庭での反動だったかもしれない。子ども達が通った幼稚園のドイツ発祥のシュタイナー教育という考え方にも心弾ませるように傾倒していた。

公園デビューとかママ雑誌VERYに出てくるようなモデルママたちとはまったく違う暮らしだったけれど、それはそれは本当に充実していて、規則正しい生活と身体によい衣食を与えていたら、3人のちび達は本当にご機嫌で健康で、良く食べてよく寝る子ども達だった。ちび達は本当にかわいくて、私の大人時代の青春だったかもしれない。

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