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お茶の先生との別れ、そして

大学4年の時に友人の誘いで、表千家流茶道を始めた。就活や大学の授業の合間にお稽古に通い、就職してからも仕事を終えてお稽古に寄って、夜遅くに帰宅した。結婚して出産するまでは、月3回のお稽古をほぼ休むことなく熱心に通っていた。おかげで、許状はすべて取り終えていて、子どもが生まれてからは、時々先生のご好意で、他のお弟子さんがいない時におんぶで点前したり、子どもを寝かした側でお稽古したりした。お茶のお稽古というと敷居の高い、厳しい印象があるが、私の恩師は本当にあたたかく、チャーミング

    • 私の大人時代④ 発達障害とジェモセラピー

      発達障害子ども達が小学生くらいになると、3歩歩くと忘れるほど忘れっぽいこと、脱いだ服を片付けられないこと、ランドセルがぐちゃぐちゃなこと、畳んだ洗濯物を自分の引出にしまえないことなど、日常生活にイライラすることばかり。躾はもうあきらめて、「ママに嫌がらせをされているような気持ちになるから、頼むから服はしまってほしい」と懇願していた。 ある時、学校で呼び出しを受け、忘れ物が多いこと、提出物が提出されないこと、友達に対する不用意な発言、モノの扱いが乱暴なこと、体育の態度がふざけ

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      • 私の大人時代③ スピリチュアルと父の死

        両親の離婚順番が少し前後するが、私は高校生くらいの頃から、父が浮気をしていることに気づいていた。最初は、下着だった。それまで、ブリーフだった父のパンツがチェックのトランクスになった。なんか変だなと思った。私が大学生になると、母は祖父の介護で自宅を離れられなくなっていたのにもかかわらず、父は外泊が多くなり、祖父が亡くなると父はさらに帰宅しなくなり、私が就職していた頃は、さすがの母も気づいて半狂乱になった。 面倒な離婚をする気はないけれど、母にはわずかの生活費しか渡さず、自分は遊

        • 私の大人時代② プレ更年期とアーユルヴェーダ

          プレ更年期長女と次女の小学校受験が終わった38才くらいの頃、どうしようもない不定愁訴がはじまりまった。ママ友に勧められて、婦人科でホルモン検査を受け心療内科へ行っても、病名や原因はわからない。 食欲がない、家事に手がつかない、イライラする、涙がとまらなくなる、ビールがやめられなくなる・・・・。そのうち、その辛さがまったく伝わらない夫への怒りと不満が爆発するようになった。私の苦しみを察してくれない子ども達にもあたるようになった。 喧嘩する両親を見て育ったので、絶対にしたくないと

        お茶の先生との別れ、そして

        • 私の大人時代④ 発達障害とジェモセラピー

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        • 私の大人時代③ スピリチュアルと父の死

        • 私の大人時代② プレ更年期とアーユルヴェーダ

          私のおとな時代① 就職・結婚・出産

          就職大学を卒業すると、政府系金融機関OECF(海外経済協力基金)に就職、5年勤めた。開発と環境、先進国と発展途上国、天下り、国会対策、会計検査院による監査、民主党の仕分けによる組織統廃合など、社会の一部を垣間見た、貴重な経験だった。私は、うすうす気づいてはいたものの、実際に働いてみると結構ポンコツ人間だとわかり、長く組織で働き続けることはできないかもしれないなと漠然と感じていた。 いくつかの思い出のうちで印象に残っていることは、当時40代の上司に何度も食事に誘われていたこと

          私のおとな時代① 就職・結婚・出産

          私の子ども時代③ 学校生活で感じたこと

          小学校忘れられない先生は、祖母の死の翌年4年生の時の担任の先生との出会いだった。 ジーパンにナナハン(750㏄の大型自動二輪車)で通勤する20代の佐藤由美子先生。もしかしたら、先生らしくないので、当時の保護者たちからは評判が良くなかったかもしれない。生徒は皆、名前を呼び捨てで、少し乱暴にも感じたけれど、誰にでも熱く優しく指導する熱中先生のような先生だった。私はそれまでどちらかと言えば、教室のすみで目立たずに過ごして帰る子どもだったが、その先生の指導のおかげで諦めていた跳び箱が

          私の子ども時代③ 学校生活で感じたこと

          私の子ども時代② 戦争と差別

          戦争と差別 母方の祖父母は、全国転勤生活の後に福岡で84才と85才まで生きたが、母方の祖母も精神を病んでいた。 私が物心ついた5~6才くらいの時にはすでに、祖母はわけのわからないことをつぶやき、その後、長く精神病院に入っていたこともあった。昭和40年50年と時代が豊かになっていくにつれて、夫や息子ばかりが活躍し、女であるがゆえに学校で勉強したり社会で仕事をしたりできないことを悲しんでいる様子にも見えた。孫である私たち姉妹には、勉強するようにいつも話し、どんなことを大学で学

          私の子ども時代② 戦争と差別

          私の子ども時代① 祖母の自死

          私は、東京の阿佐ヶ谷で生まれ、神奈川県相模原で父と母と父方の祖父母と年子の妹の6人で育った。世代的にも、ちびまる子ちゃんのお姉ちゃんみたいな立ち位置だ。今振り返ると、私のもって生まれた特性として、他人の感情を敏感に感じて影響を受ける感性があるのだと思う。そのことがありつつ、私の興味、思考、学びの道がつながっていった。 祖母の死 このことをきっかけに私が生きる環境と人間関係は大きく変わった。 小学校3年生のある日、自宅に帰りトイレに行きたくて慌ててランドセルを置いて、トイレに

          私の子ども時代① 祖母の自死

          からだっていつの間にか変態しているんだもの

          現在52才の私の身体は絶賛変態中。 俗にいう更年期というやつだろうけれど、振り返ると女性の身体は(男性もそうなのかな)ずっとずっと変態を繰り返しているのではないかと感じる。赤ちゃんが生まれて3か月で体重が倍になっていく時のように、その変態を何気なく受け入れられる人もいるだろうが、私はどうもいちいち反応して気になってしまう。 “妹と同じものを食べているのに、ひょろひょろの妹とムチムチの私” “最初はお母さんのとは全然違ってお相撲さんみたいに胸が膨らんでくること” “月に

          からだっていつの間にか変態しているんだもの