お茶の先生との別れ、そして

大学4年の時に友人の誘いで、表千家流茶道を始めた。就活や大学の授業の合間にお稽古に通い、就職してからも仕事を終えてお稽古に寄って、夜遅くに帰宅した。結婚して出産するまでは、月3回のお稽古をほぼ休むことなく熱心に通っていた。おかげで、許状はすべて取り終えていて、子どもが生まれてからは、時々先生のご好意で、他のお弟子さんがいない時におんぶで点前したり、子どもを寝かした側でお稽古したりした。お茶のお稽古というと敷居の高い、厳しい印象があるが、私の恩師は本当にあたたかく、チャーミングな先生で、お弟子さんの結婚や出産の度にお祝いを持って訪ねるような先生だった。そんな風に気軽にお稽古できたからこそ、続けられた。
その後、子ども達がよちよちするようになると、年に数回程度になってしまっていたが、子ども達が中学生になる頃に本格的に再開した。先生は辰年の母の一回り上で、その頃70代後半。茶道はテキストがあったり、ノートをとるようなものではないので、先生の教えを記録に残さなければ、先生が一生側にいてくれるわけではないと感じ、備忘録としてブログに記録しはじめた。

そんな頃、今から7年前のある日、先生から電話があった。
「火曜日のお稽古のあと、〇〇さんのお月謝袋から5000円をとっていったでしょう。あの日はあなたしかいないの。誰にもいわないから、今度返して頂戴ね。」と。
何度、話を聞いても話をしても、5000円のゆくえがわからず、私が取ったという話になるのだ。その話は、他のお弟子さんにも伝った。
5000円私が出せば済むことなのかもしれないとも思ったが、先生の年齢的な事もあり、痴呆の初期の症状ではないかと思っていた。とはいえ、先生にはそうも言えず、ご家族に相談してみると「私はずっと母を見ているので、病気かどうかというのは私が一番わかります。」と取り付く島もなかった。

先生は何度も私の自宅に電話をしてきて「返してほしい」「警察に届けますよ」などと言っていた。不思議なもので、警察を呼ぶこともできるのに警察に通報されたことは一度もない。「先生からいただいた道具がいくつかあるのでお返しします」と話すとそれはよく覚えていて「それはあなたにあげたのだから返さなくていい。それじゃなくて、〇〇がないと言っているの」というのだ。人の脳や認知は、愛情とか関わりの深さを記憶しているものなのだと感じた。
もう、先生に会って「せんせいーこんにちはー。お稽古お願いします。」と言えないことは本当に本当に悲しいことだったが、私が先生に会いにいくと先生は私に怒って悲しむのだから、もう会いにいけない。これまでの感謝の気持ちを長い手紙にして、お礼を包んで、先生のお茶室に届けたのが最後になった。

その後、先生の物取り妄想はエスカレートして(寂しさから私への執着が強くなったのだと思う)、自宅に何度も電話がかかってきた。「着物がない。帯がない。鍵もない。合鍵を作ったでしょう。道具を返しに来たでしょう。警察に行きますよ。ご主人にいいますよ。」などなど。一緒にお稽古していた妹や友人の家にも電話をしたようだった。
病気だとわかっていても、大好きだった先生にそう言われることはつらいことだった。夫に相談しても、「一度先生を呼んで家中のものをみてもらったら?」などと頓珍漢なアドバイス。
巷には似たようなケースはあるだろうと考えて、警察に相談した。そこで区役所の部署を教えられ、そこに相談をして、担当者に先生宅を訪問してもらうことにした。先生のことが心配だった。そして、時々、その担当者から先生の様子を確認していた。物取り妄想は家計をやりくりしている女性に多いこと、通常は一番近しい娘やお嫁さんに対象が向くこと、他に甘えられる人がいなくて私に甘えるように妄想対象になっているのだろうということを教えてもらった。
その2年後くらいに、ご家族が少しずつ先生の問題に向き合われるようになって、いまは施設にいらっしゃると担当者から聞いた。先生はずっとお茶を教え続け、もしかしたらご家族も寂しい思いをされていたのかもしれない。本当は、先生はお茶室で、ご家族のお話ばかり聞かせてくれていたのだけれど。

大好きだった先生との別れがあり、どこでお稽古をつづけたらよいのか途方に暮れた。でも、先生との別れは、「自分でお茶を教えなさい」と先生に言われている気がした。
それで、少しずつ教え始めていくことにしたのだ。
20代の頃に先生に勧められて参加した、京都家元主宰の短期講習会で、担当講師だった内弟子の先生とご縁があり、宗匠となられた先生のお稽古場でまた勉強をすることができるようになった。新しい先生に繋がったことも、先生のお導きだったのだろう。

自分でお茶を教えるようになって5年になる。教えていると、私が20代の頃の先生のことを思い出すことが増えてきた。親になっていったときに、亡くなった父や祖父や祖母を思い出し、時代をさかのぼって理解することができるようになったように、お茶を教え始めたことで、また先生との対話が増えた。
お茶を続けている限り、先生との時間が永遠にあるのだ。先生がよく「私の先生はね、、、」と昭和初期の話をしてくれていたように、私も「私の先生はね、」と平成はじめのお稽古の話を生徒によくしている。先生から受け継いだ道具も大切に、稽古で伝え続けている。
一期一会という単語はずっと前から知っていたけれど、このごろ、本当に人の縁を繋ぐものだと感じている。

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