【語源】日本釈名 (10) 地名(三河・遠江・相模・常陸・陸奥・薩摩など)
參河
『風土記』曰、此国に男川、豊川、矢作川とて、三の河ある故に名づく。今案、男川は大ノ平川、豊川は吉田川、矢作川は岡崎川也といふ。
遠江
「とをつあはうみ」也。都に遠きあはうみ也。「つ」はやすめ字也。「みづうみ」を「あはうみ」と云。つあの返した也。昔は、此国に濱名の湖ありしが、後土御門院、明應八年六月十日、洪水の変ありて、湖と海との間きれて、潮入て、水うみはなくなる故に、「今ノ切レ」と云。濱名の橋は、湖よりおつる川にかゝりし橋なり。故に今はあともなし。
※ 「つあの返した」は、誤読しているかもしれません。
※ 「明應八年六月十日、洪水の変」は、明応七年(1498年)八月二十五日に起きた大地震の津波によって浜名湖が外海とつながったことを指しています。
駿河
「する」は「するど」也。はやき事也。「か」は「かは」也。「は」を略せり。音にはあらず。「するどがは」也。彼国に、大井川、阿部川、富士川など、皆するどなる河あり。故に名づく。
伊豆
「いづる」也。駿河相模の中にありて、海中に出たる国なれば名づく。
相模
𦾔記曰、昔、此国の狩人、其妻にはなれてなげきかなしめり。其妻死ぬる時に、鏡をさして曰「われ死して後、我を思ひ慕ば、此かゞみを見るべし」と云。妻死して其かゞみにうつるすがた、亡妻をみるが如し。其かゞみを祭りて神とす。其社の有国を「さがみ」と云。「さが」は「すがた」也。「さがみ」とはすがたを見る也。此神、即、足柄明神也。
※ 「𦾔記」は、旧記。昔の事柄を記した文書のこと。
常陸
「ひたかち」也。「か」を略す。都よりこの国まで、ひたものかち路也。此国は、日本の東のはしなれば也。陸奥、出羽はおくにあれど、艮にあれば東のはしにあらず。
※ 「艮」は、北東の方角。
近江
「あはうみ」也。「は」の字を略せり。しほなき水うみを「あはうみ」と云。味のあはきゆへ也。「近」の字をそへたるは、都にちかければ也。「はう」のかへし「ふ」也。故に「あふみ」とかく。
※ 「しほなき水うみ」は、潮なき湖。
美濃
𦾔事記に「三野」とかけり。此国に廣き野、三あるにや。各務野、青野、関原など、何も廣野也。
※ 「𦾔事記」は、旧事記。平安時代前期に編纂された歴史書『旧事本紀』のこと。
上野下野
此二国、昔は野多し。上野は上にあり。下野は下にあり。故に、上毛野、下毛野と云。「つ」はやすめ字、「も」は野に草おほき故にいへり。「野」を略して「かみつけ」「下つけ」と云。今も下野国は野おほし。上下は都の方よりついてをなせり。
陸奥
「みち」は陸なり。くが地のおく也。「みちのく」と略して云。日本の東北のおくにある国なり。後代、「みちのく」をあやまりて「むつのくに」と云。
※ 「くが地のおく」は、陸地の奥。
越前越中越後
昔は、三国をすべて越の国と云。近江、美濃、飛騨、信濃の方より山をこえてゆく故に、北国を「こしぢ」と云。後代、三にわかれて、前中後となる。加賀も昔は越前と一国なりしが、嵯峨天皇の御時、国ながくしておさめがたしとて、越前の内より加賀の国をわかちいだせり。前中後は、都のかたより次第をなせり。餘もこれになぞらへてしるべし。
※ 「餘」は、余。
備前備中備後
昔、三国をすべて吉備の国と云。後代、三国にわかつ。吉備の国と名付しは、上古の時、吉備津彦の居給し国なれば名づけしなるべし。
隠岐
出雲伯耆のおきにある嶋也。
淡路
「あ」は「われ」也。「はち」は「耻」也。わかはちと云意。其事『日本紀 神代上巻』に見えたり。
※ 参考:『国語学通考』(国立国会図書館デジタルコレクション)
筑前筑後
昔は、両国をすべて筑紫の国と云。後代、二にわかる。故に筑前、筑後と云。前後は、都にちかき方を前とす。「つくし」と云意は、後にしるす。
豊前豊後
昔は、豊ノ国と云。後代、わかれて前後となる。
肥前肥後
『日本紀』景行天皇、肥後国にいたり給ふ。夜くらくして御舩岸につく所をしらす、はるかに火の光を見て、岸につき給ふ。其火を尋ぬるに、しれる人なし。故に、其国を火の国と名づく。後に、火の国を改めわかちて、肥前肥後と名づく。「肥」の字を用るは、「火」の訓を用て音とせり。「しらぬ火のつくし」と云も、是よりはじまれり。
※ 「しらぬ火のつくし」は、「不知火の」が「筑紫」の枕詞であることを指しています。
日向
「日むかひ」也。東をうけて日にむかへる国也。『日本紀』景行天皇、日向国にまして、東にのぞみて曰、この国はなをく日のいづる方にむける。故に、其国を名づけて日向と云。
※ 「この国はなをく日のいづる方にむける」は、是の国は直く日の出づる方に向けり。参考:『日本書紀 上』(国立国会図書館デジタルコレクション)
薩摩
陘間なり。字書に、陘は連ノ山中ノ絶也。山のつらなれるが中絶て、山間のせばき所を云なるべし。「さち」は「陸」の字の訓なり。音にあらず。『万葉集』に「陘の妙観」と云人あり。『続日本紀』には「薩妙観」とかけり。「陘」の訓と「薩」の音と同じき故に、陘の意をとりて薩摩と云。「摩」は「間」と音訓相同し、山多くして山間にある国なれば、かく名付しなるべし。
※ 「陘」は、誤読しているかもしれません。「陘」という漢字は、山脈が途切れているところの意味であるそうです。
※ 参考:『万葉集 下』『万葉集略解(陘妙観應)』『続日本紀考証(薩妙観)』(国立国会図書館デジタルコレクション)
筆者注 ●は解読できなかった文字を意味しています。
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