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会社を編む

編集者の竹村俊助さんが、タイトルを見ただけで「そうなんです!それやりたいことなんです!」と何千回も頷きたくなる記事をあげられていた。

電車で読みかけて、これは斜め読みじゃダメだなと思い、「スキ」を押しておいて夜にじっくり読んだ。マーカー引きたい気持ちをいったんこらえて、2回読んだ。ここ2年程、心の中にうっすらあった「こんなんやりたいよな」がぜんぶ言語化されていた。

窮屈になったインハウスライターの肩書

私は一介のライターで、編プロにいたことも商業出版をしたこともない。しかし現在、小さな会社の発信作業をすべて負っている。

仕事は単なるライターの領域を超えていて、3つのオウンドメディア運営、メールマーケ、ウェビナー、ホワイトペーパー、SNS運用、およそコンテンツマーケティングにかかわるすべての業務を担当している。コンテンツ発注を管理し、納品された記事すべて目を通し、コピペチェックを行い、掲載に至るまでを管理する。デザイナーと一緒に名刺や年賀状もつくる。さらには広報としてプレスリリースをつくり、取材を受けるといえば対応して記事のファクトチェックを行う。

小さな会社には必ず1人はいる、「書くこと何でも屋さん」のような立場だ。

1年前くらいまで「インハウスライター」を名乗っていた。しかしある時期、その肩書に強烈な違和感を覚えた。自分をライターだと思っていては仕事にならなかった。可能性が殺され、面白さも半減した。

じゃあなんだ?
少しモヤモヤしたけれど、ほどよい肩書が見つからない。
ライターよりはいいかと思って、「自分はインハウスエディターなんだ」と思うようにした。これで結構スッキリした。

編集者は単に本をつくる人じゃない

自分をエディターだと思うようになって、会社のぜんぶを見て「編み上げる」ことの面白さが倍増した。

特別なことではない。ブランディングがすっきりしている会社には必ず「編む」がうまい人がいるはずだ。どんな部署にいるのかは分からないけど。

編集者は「本をつくる人」でもあるけれど、「散らばった意思や願いやコンテンツの種をかき集めて、受け手にジャストサイズで差し出す人」でもあると思う。

小さなロゴ、キャッチコピー、記事…あまたのコンテンツの根底にとうとうと流れる意思を、「見えない編み針」で緻密に編み上げ、世の中に届ける。人生を賭けてもいいくらい面白い仕事だ。

社内に編集部があることの意味

竹村俊助さんは記事の中で「顧問編集者」という新しい立場を生み出していた。これはワクワクする。絶対面白い。面白くないわけがない。顧問という立場で客観的に、会社を編むための助言をする。それはインハウスにはない目線で会社と社会をつなぐ仕事だ。

実は少し似たことを考えていた。

私は会社員と並行して、Cotobaクリエイターという肩書でも活動をしている。開業届を出して事業ラインナップを考えたとき、その真ん中に「社内編集部立ち上げ支援」というサービスを据えた。

小さな会社なら、WEBマーケや発信作業を無闇に外注するのではなく、社内の言葉で社内の人が発信する方がよいと思っているからだ。

業務のクラウド化はどんどん進む。総務、庶務、人事労務、経理…これまでマンパワーで行っていたペーパーワークが今以上に減ったとき、かかわっていた人材はどこにいく? だから私は、あと数年後には、総務部のスペースは「編集部」に変わっていると予想している。

会社を編む。美しい編み目で。

2020年、小さなお店や会社が自力で発信するためのサポートに力を入れた。なかなか「編集部」の規模まで手は届かなくても、PCの向こうにいるユーザーを思い浮かべて、ブログを書き、正しく投稿し、発信して分析するまでのサポートだ。

小さなノウハウが積み重なるたびに「オーナーやスタッフが自ら発信することは、プライスレスだ」と実感する。どう考えても、単発で受注するただのマーケッターやライターに、そのお店や会社の編針は任せられないでしょう。

もはや「会社の発信作業」は片手間の仕事ではない。

そしてここで、顧問編集者の価値が生きてくる。自分だけで編み続けていくと、目線は針の先にばかり向いてしまい、視野が狭くなる。自社のよさも、改善点も見えなくなる。だから客観視のもと、編針コントロールを手伝ってくれる存在は、貴重になる。

「会社を編む」
私は当面、この仕事に取り組むんだと思う。会社員としても、個人事業主としても。数字で結果が出なくても、誰にも気付かれなくても、最後の最後に美しい編み目の組織ができあがったら、それはちょっと感動ものなんじゃないか、と思っている。


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