見出し画像

だいじにしてくれない人には触らせてはいけない / 吉本ばなな『SINSIN AND THE MOUSE』

吉本ばななの短編集『ミトンとふびん』の
『SINSIN AND THE MOUSE』という小説。

そこに出てきたフレーズがいいなぁと思った。

私は私を信頼できない人に渡してはいけない。母にこんなにだいじにされているのだから、だいじにしてくれない人には触らせてはいけない。

吉本ばなな(2021)『ミトンとふびん』新潮社、p.58
『SINSIN AND THE MOUSE』「新潮」2018年2月号 初出


とてもよく分かる。こうやって言語化して心の中で思ったことはなかったけれど、私も思春期の頃からそんな気持ちだった気がする。

私の場合は、「(私を大事にしてくれる)母を悲しませるのは嫌だな」という感じ。

だから簡単に誰かと付き合うのはなんかヤダと思っていて、そのせいで理想やプライドが高くなりすぎたのか学生時代は彼氏がなかなかできなかった。(今思えば、もう少し軽い気持ちで付き合ってみればよかったなとも思う笑)

私には今3歳の娘がいるが、娘にもこの感覚を持った人に育ってほしいなと思っている。



大学のとき、仲のいい友達が都合のいいセフレ状態になっていた。「付き合ってはくれないんだけど、ずっと前から好きな人だったから、彼に会えるだけで嬉しい」と。

どう考えても、おかしいと思った。
何がいいのか、全く理解できなかった。

とても優しくて性格も良い子で、私は彼女のことが大好きだったので、絶対に幸せな恋愛をしてほしいと思っていた。

だけど、本人的にはその彼に会えることが一番幸せなことで、友達の私がいくら「絶対やめたほうがいい」と言っても、彼女の耳には届かなかった。

悔しかった。なぜ自分をそんなに安売りしてしまうのかと、私のほうがよっぽど悔しがっていたと思う。友達として信頼してくれていないのかと少し憤りすら感じた。

でも、それも彼女の自由。
私に止める権利はない。


最終的に、しばらくして彼女自身で別れを決め、連絡先も削除して完全に終わったので、私はとてもホッとした。あのまま続けても絶対に幸せになれる恋愛ではなかったことだけは断言できる。


ただ、そのあとも彼女は
たびたびダメ男を好きになっていた。

ダメだこりゃ、って感じだった。
生粋のだめんずウォーカー。
こうなったら彼女にも多少責任はある。
男運が悪いとかじゃない。


一度、私は「自分を一番に優先してくれて本当に大事にしてくれる人と付き合いなよ。どうして自分を大事にしないの?」と偉そうに言ったことがある。

彼女からどんな返事が来たかはあまり覚えていない。確か「うん」と言っただけだったと思う。というか、そんな正論を言われてもそう返事するしかない。ちょっと優しさが足りなかったなと反省している。

でも、そういう男に本能的に惹かれてしまうのなら、もうどうしようもないと心のどこかで思っている自分もいた。

傷つくのも分かった上で、それでも好きになっているのだからもう仕方ない。心の底から本気で嫌になれば勝手に冷めるだろうし、今は外野が何を言っても無駄だなと。なので私は最後に「避妊だけは気をつけなよ」とだけ言って、それ以来何も口出しはしなかった。



彼女が母親や父親とどんな関係だったかまでは詳しくは分からないが、少なくとも恋愛という点においては、彼女が自分を大事にするのが下手くそだったことだけは確かだ。

その友達のことは今も大好きだけど、娘には彼女のような恋愛だけはさせたくない。(ごめん!)

大事にしてくれる人と、優しくて温かい、思いやりや愛のある良い恋愛をしてほしい。(もちろん興味がないならしなくてもいい)


恋愛だけでなく、「私は他人に大事にされる価値がある」と、根拠のない自信を持って生きていける人になってほしい。

最近よく聞く「自己肯定感が高い」ってやつだ。

色んなところでよく聞かれすぎて若干軽んじられている感もあるが、本当に本当に、大事だと思う。

「私は幸せになっていいし、その価値がある」
と無意識に思えることは、生きていく上で本当に大切だと思う。色々ダメなところ嫌なところはあっても、根本的には自分を全肯定できる感覚。

そしてその感覚は、自分を大事にしてくれない人に出会ったときに、ハッキリNOを突きつけられる勇気と自信の素になると思う。



同じ作品に出てくる、この文章も素敵だと思った。

 生きていること、私がいることそれ自体が、すでに平和そのものなのだ。嵐も死もない、怯えて将来に来るこわいことや楽しそうなことに接する必要はない。私はいつでも私だ、と。
 母が遺体になって帰ってくるなんて、不安でしかたない、人生で最悪のそのときがひたすらこわいと私は思っていたけれど、腹をくくっていたら全然大丈夫だった。
 私は最後まで母のかわいい宝物で、そのことは変わらなかった。それだけでいい、そう思えた。

p.63


これは小説だけれど、きっと吉本ばなな本人が、実際に両親の死を通して感じた気持ちなんだろうなと思った。

じゃないと、きっとこんなこと書けない。(いや、作家なら経験してなくても書けるのか?どっちにしろ、吉本ばななは両親の死を経験後にこの作品を書いている)


私自身は、親の死というものはまだ経験していない。
考えるだけで、すごくすごく怖い。
できれば死ぬまで経験なんかしたくない。

でも、私が生きている限り、いつか必ずその日が来る。
それが自然の摂理。
その時は、すごく怖い思いをして、すごく悲しんで、受け止めるしかないのだろう。

この小説のように、「腹をくくっていたら全然大丈夫だった」と思えるといいのだけど…なかなか難しいだろうな。


恋愛の話だったはずが親の死の話になってしまったが、どちらも「大事にされることや、私は大事にされて当然と思えること」って生きていく上ですごいパワーになるよねという話。

娘には、自分自身も、周りの人も大事にできる人になってほしい。

本当になってくれるのかは分からないけれど、
「あなたのことが大好きだよ。本当に大事だよ。私のかわいいかわいい宝物だよ」というメッセージは、これからも日々全力で伝えていこうと改めて思った。

たくさん抱きしめて、たくさんチューして、
たくさんの愛を伝えよう。

親として未熟な私がしてあげられることなんて、
それくらいしかない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?