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"love"について (セクシュアルティの話)

繊細な話題ゆえ傷つけてしまう表現があるかもしれません。お詫び申し上げます。一個人の呟きだと思ってご覧いただければ、そしてあわよくばどなたかの安心に繋がれたら幸いです。

はじめに

🏳️‍🌈の話題は「私には関係ない」と思っていた。
関係ない、というのは興味がないわけではなく自分はマジョリティ側だと思っており、マイノリティの方を卑下も擁護もしない、そのままを受け入れる気持ちであった。

違和感を抱いたのは社会人になってから。
何かのきっかけ(たぶんSNS)で🏳️‍🌈に興味を持ち🏳️‍🌈について調べてみたことがはじまり。
それまで自分はマジョリティ側だと思っていたのにマイノリティ側だったと知りショックを……受けなかった。
気付いていなかったけどもやもやしていたことに気付き、さらにラベリングされたことで気持ちが楽になった。


私は誰だ。

戸籍上は女だ。身体も女だ。
心は…分からない。興味がない。どちらでもいい。
(この状態をなんと呼ぶのかまだ不明、Q?)
ただ、女として見られることに嫌悪感がある。
女の子らしい服装をしたくない。
そしてこれはあまり人に言おうと思わないけど誰かの救いになれたらと思って言う。
私は胸があることが嫌悪。すごく嫌悪。
できれば潰したい。ブラなんて付けたくない。

次に性的指向と恋愛指向について。
性的欲求も恋愛感情もない私はアセクシャル/アロマンティックなのだと自認している。
アセクシュアル
他者に性的欲求を抱かないこと
無性愛者と呼ばれたりもする。
アロマンティック他者に恋愛感情を抱かないこと
(日本語にノンセクシュアルというものがあるが、これは日本だけの呼び方で、恋愛感情はあるが性的欲求を抱かない人のことをさす)

ずっと不思議だった。好きってなんだろう、性欲ってなんだろう、って思ってた。
今まで人を好きになったことはなかったし性欲なんて嫌悪の対象でしかない。
学生の頃って恋バナとかあるじゃないですか、なんでみんなキラキラした目で異性のことを話してるんだろうって不思議だった。
私はまだ好きな人に出会えてないんだと思うようにしていたり。
自分がおかしいのかどうかも分からなかったし
誰にも相談できなかった。
🏳️‍🌈について調べる中で副産物的に知ったアセク/アロマ、知れてよかったと思っている。

おわりに

今回の文章で心に棘を刺してしまっていたらごめんなさい。全員に添った言葉というのは難しく奥深いものです。まだまだ浅はかな私をお許しください。

何が言いたかったか、それは「他者のありのままを受け入れてほしい」ということ。恋バナを強要しないでほしいということ。恋愛は当然ではないこと。
理解はしなくてもいいし簡単にできることではない。自分と違う考えなんて受け入れられなくて当然なのである。
ただ知っていてほしい。文字列としてでもいいから いろんなひとがいる ことを知っていてほしい。

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