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日本史のよくある質問 その7 伽藍配置って何?①

このシリーズでは、日本史を教えてきて比較的多く寄せられた質問を、ちょっと掘り下げながら記事化しています。

主に大学受験~大人向けの内容ではありますが、まとめ部分だけを使えば、中学生以下向けの説明にも使えるように書くことを心がけています。

さて、今回の日本史のよくある質問は…

生徒:質問です!
   「伽藍配置」って覚えにくいんですけど…。
   何で時代によって配置が違うんですか?
   何かいい覚え方はないですか?

 私:確かに、比較的短期間に変化していますね。
   覚え方…うーん、なくもないですよ。
   大体の特徴をつかむだけなら簡単ですが…。

というわけで、今回は

伽藍配置って何なの?

がテーマです。

このテーマは、偉大なる横紙やぶりさんから記事化のご要望をいただいていたもののひとつです。ありがとうございます<m(__)m>


まず、「伽藍配置」というのは何かということですが…

寺院における、塔、本堂、講堂、中門、南大門、回廊、鐘楼、経蔵などの主要構造物の配置のことです。

例えば上は、飛鳥寺の創建当時の伽藍(復元)です。
いろいろな建造物が見えると思います。
これらの建物の配置は、実は時代によってかなり異なるのです。

配置の話に入る前に、寺院の中にはどのような建物があるのか見てみたいと思います。


①塔

私たちが最もよく目にするのは「五重塔」ですね。
寺院によっては三重塔などもあります。
下の写真は、法隆寺五重塔(高さ31.5m)です。
現存する日本最古の五重塔ですね。

クレーンなどもちろんない古代、人力だけで高さ30m超の塔をつくることは驚きなのですが、実はかつて九重塔(高さ80m!)が存在したといわれています。

高さ80mというと、東京にある警視庁本部ビルとほとんど同じ高さです。

この高さの構造物を人力で建てるとは、古代の人々恐るべし…。

九重塔があったのは、平安京(現在の京都)にあった六勝寺のひとつ、法勝寺です。
白河天皇の時代、1070年代後半から1080年代前半にかけて造営されましたが、応仁の乱で戦火にあい、以降は再興されることはありませんでした。
現在も跡地の調査が続いていますが、予想図を基にした模型があります。

ちょっと形が想像を超えてきましたね。
一般的なイメージの四角五重塔ではなく、八角九重塔です。

ところで、これらの塔、何のために作られているのか…という点なのですが…。


まず、五重塔の内部はどうなっているのかを見てみます。
こんな
感じです。

よく映像を見ていただくと、基本的な構造は
・巨大な柱(心柱)が中心にある
・心柱は、最上部以外では建物に連結されていない
・内部は木組で入り組んでいて、人が入れるのは1階だけ

つまり、本当に「塔」なんですね。
一見、5階建て(各階に床がある)の高層建築に見えますが…。

ちなみにこの構造、東京スカイツリーの設計にも応用されています。
…五重塔の構造論に突っ込みすぎると本筋から外れすぎますので、その話はまた改めて…。

構造にもきちんと意味があります。
塔は下から地(基礎)、水(塔身)、火(笠)、風(請花)、空(宝珠)からなるもので、それぞれが5つの世界(五大思想)を示し、仏教的な宇宙観を表しています。


また、心柱を支える巨大な礎石には、ある重要な品が納められています。
それは「仏舎利」です。

仏舎利は仏陀の遺骨とされているもので、寺院の五重塔の礎石部分に、「舎利容器」と呼ばれる器に入れて納められました。
勿論、たくさんの骨がおさまっているわけではなく、何粒という量です。
(法隆寺は6粒と言われています)

ところで、またちょっと横道にそれますが、飛鳥時代の非常に古い時代の寺院の場合、仏舎利以外にも勾玉などが納められているケースがあります。

勾玉は、古代の日本における装身具ですね。
祭祀にも使われたという説があります。
実際、三種の神器(八咫鏡・八尺瓊勾玉・草薙剣)のひとつは勾玉です。
天皇という立場は「神道」の最高権威であることを考えると、勾玉に宗教的な意味がないとは考えにくいですね。

しかし、一方で勾玉は「仏教」には直接的にあまり関係のない品物のはずなのですが、不思議ですね…。
この辺りのお話もまた後ほど触れていきたいと思います。


一度話を戻します。

ここまでの話をまとめますが、五重塔は

・仏教的な宇宙観を表現した建物

・仏舎利を納める場所

であるということですね。

私たちも、お寺にお参りに行く時には、仏像が納められている建物にばかり目が行きがちです。
しかし、五重塔はただの飾りではなく、宗教的にかなり重要な建物であることがわかります。



②本堂

本尊(仏像)を安置している建物のことです。
「本堂」「金堂」「仏堂」などいくつか呼び名があるのですが、

・最も一般的な呼称=本堂
・飛鳥~平安初期創建の寺院=金堂
・禅宗系寺院=仏堂

という感じで使い分けがされているようです。

高校日本史で伽藍配置が出てくるのは平安初期くらいまでの寺院なので、教科書や資料集で「本堂」ではなく「金堂」と示しているのは正しいということになります。

ただ、使い分けも絶対ではなく、平安初期以前の寺院でも本堂と呼ぶ寺院もあります。
さらに稀ですが「本堂」と「金堂」がひとつの伽藍の中に両方存在するとか、「本堂」ではなく「中堂」と呼ぶ、なんていうケースもあります。
ややこしいですね…。

仏像が安置されている、という時点で宗教的に重要な施設であることは間違いないのですが、「本堂」についても、伽藍配置を理解するためにもう少し話を掘り下げる必要がありそうです。


ちょっと長くなってしまいましたので、今回は一旦ここまでにして記事を分けたいと思います。
次回は、金堂のお話の続きから、伽藍配置の見分け方まで一気にまとめる!…予定です。
もしかしたら③まで記事が行くかも…。書いているうちに延び延びになる癖を何とかしなくてはいけませんね(汗)

ここまでお読みいただき、ありがとうございました!


もし、読者の方からのご質問があれば記事化していきます!
(時間はかかると思いますが、少しずつ記事にしますので気長にお待ちください<m(__)m>)

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