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読書日記・求められることの多さ

5月13日(土)

息子を散髪に連れて行く。毎度のことながら緊張している息子(人見知り)は、一人で椅子に座るととたんに心細そうな顔になるけれど、近くにいれば美容師さんの邪魔になるので、離れたところから様子をうかがう。襟足部分を電動カミソリで剃ってもらうのを以前はとても嫌がっていたのに、今日は必死で笑いをこらえていたので、こっちまで笑いをこらえるのに必死になってしまった。電動カミソリがくすぐったくて笑いをこらえる顔がおたふくのようで面白かった。

読んでいたのは、頭木弘樹さんの『自分疲れ』

タイトルで即買いした一冊。ずっと思ってた、自分に疲れるという気持ちを本にしてくださった人がいた!!という嬉しさ。私の疲れの9割は自分だと断言できるほど、自分に疲れているという自覚がある。どんな状況になっても自分に疲れなかったら、疲れも減るんだろうなと思いながら読んでいる。そしてこの本の装画を担当されているのが『ベルリンうわの空』の香山哲さんだったことが、なんだか嬉しかった。


5月14日(日)

息子とマリオの映画へ(今月2回目)。この映画を見ると嫌なことも全部忘れてしまうという息子の言葉に、毎日のほほんと生きているように見えても実は何かしらの葛藤を抱えているのだろうか?と思い、嫌なことって何?と聞いたら「学校に行ったらゲームが出来ないこと」だと教えてくれた。なるほど。平和で何より。

読んでいたのは、佐藤友則さんの『本屋で待つ』

お店を経営していれば、売上を伸ばして会社を大きくすることに意識が向くのは当然だと思っていた。しかし著者である佐藤さんは違った。

会社で一緒に働いているメンバーがよりよくなっていくということだけが、ぼくの関心ごととなった。
 彼らがよりよくなれば、店は「よりよい店」となり、会社も「よりよい会社」となる。従業員たちの人生もきっと、会社をとおして「よりよく」なる。そういう循環こそが理想だし、それが会社で働くということの本質ではないか、と思う。

『本屋で待つ』より引用

こういう風に考えてくれる人が上司だったら、それってとても幸せなことなんじゃないだろうかと考えていた。

 毎日、「よりよくなる」ということだけ考えていると、「仕事ができる人」「仕事ができない人」というような社会一般の基準はどうでもよくなってくる。それよりも昨日と比べてどうか? 一週間前と比較してどう変わったか?
 一ヵ月前、一年前を思い出して、その人のいまと昔を思い比べる。
 そうすると、ぼくの胸はいつもいっぱいになる。

『本屋で待つ』より引用

社会の基準で考えると、自分ができそこないだと思うことってたくさんある。そんな自分が嫌だから何とかしようと思うし、ただその何とかしようとする頑張りが空回りすることも多々あったりして、余計に落ち込むなんてことも結構ある。ありすぎるぐらいにある。でもよくよく考えてみたら、その落ち込みは本当に必要なものだろうか。自分ができそこないだと思ってしまうのは何故なのだろう?それって社会の基準や理想が、思っている以上に高いというのも原因のひとつではないだろうか??

社会の基準は大人だけじゃなく子どもにもある。どんな時でも親や先生の言うことに黙って従い、自発的に勉学にはげみ、公共の場で騒いだりせず、困っている人がいれば助けること、自分のことよりも他者を思いやる気持ちを持つことなど、子どもたちに求められていることをあげていけばキリがない。求められることの多さは大人も子どもも同じようにたくさんあって、その求められたものに自分を合わせようとすれば息苦しくなって当然のように思えた。そして同時に、その社会の基準を当然のように我が子に押しつけていたことに気づいて反省した。これって自分も押しつけられているのだから、子どもにも押しつけてしまうという悪い流れだと思う。自分が辛いから人に優しくできない状態におちいっている。まずい。非常にまずい。

自分が「よりよくなる」ためにできることは何だろう。昨日よりも「よりよくなる」には何をすればいいのだろうか、と考えてみるのも面白いかもしれない。

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