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「みんな」の呪いと、いたたまれない読書と

夜寝る前には、子どもたちに必ず絵本の読み聞かせをしている我が家。
「我が家」と書いたけど、しているのは私だけ。
夫が参加したことはない(内心ズルイと思っている)。

夜読み聞かせるための絵本を借りるために、毎週図書館へ行っているのだけど、昨日こんな本を見つけた。

この本には、
「いいな~みんなが○○を持ってる」
と、羨ましがる子どもや動物が描かれている。
あぁこれ、子どものころによくやるやつじゃない!?と思い出した。

みんなが持ってるものが欲しい。
たくさんの人が持っているから、自分だけ持っていないのはおかしいんじゃないかと、親に交渉して失敗するアレ。
「みんなが持っているから、私もゲームが欲しい!」
「よそはよそ!うちはうち!!」


『つたえるくふう』の絵本には、みんなが青い靴を履いていることを羨む子、みんながアイスクリームを食べていることを羨む子などが描かれている。

みんなが○○持ってていいな~のあとに、
「でもみんなって何人?」
と問いかける文章が絵本にある。

そこで我が家の子どもたちも気づく。
みんなって言っているけれど、みんなじゃないじゃん。
青い靴を履いている子もいるけれど、緑の靴の子もいる。
アイスクリームを食べている子もいるけれど、食べていない子もいる。

こうして客観的に見ると、「みんな」というくくりがおかしいと気づける。
しかしいざ自分のことになると、そのおかしさを正当化しようとしているために、おかしさに気づきにくい。
それか自分でもおかしいと気づいているけれど、欲しい気持ちが優先しすぎて止まらなくなっているとかね。


そういえば以前、息子も
「クラスのみんながポケモンのゲームを持っている」
と話してくれたことがあった。
みんなって誰?と聞いたら、名前が出たのは3人だった。

そうなんだよね、私も経験あるからわかる。
自分以外の誰か2人以上が持っていれば、「みんな」と思ってた。

けれどよくよく考えてみれば、持っていない人のほうが多いんだよね。
それでも持っていない自分を正当化するために、「みんな」が持っていると強調し、自分にもそれを得る権利があると主張していたんだよなぁ。

いま思えば懐かしい話だな、と思いかけたものの、いやいやこれは懐かしい話でもなんでもなくて、いまも同じだよね?と気づいた。

SNSで流れてくる便利そうな商品、バズっている商品を見かけると、私も買わなきゃ!と思ってしまいがち。
実際に買うことは滅多にないけれど、それでも欲しい気持ちはおさまらないってことがよくある。
「みんな」の呪いは、いまだ健在。

そんな最近の読書は『先生、どうか皆の前でほめないで下さい』

まだ読んでる途中なんだけど、あまりに自分がこの本の「いい子症候群」に当てはまりすぎていて、非常にいたたまれなくて先に進むのに時間がかかっている。

ほめられたくない
目立ちたくない
埋もれていたい
今、こんな若者が急増している。

と本にあるんだけど、若者じゃないのにこの気持ちが痛いほどわかりすぎたせいか、「あれ?私って若者だったかも?」と錯覚を何度も起こした(精神年齢は若者以下ですけどね)。

この本を読みながら、これって現代だけの話なんだろうか?
過去にもこういう「ほめられたくない」人ってたくさんいたんじゃないの??
と思ったのだけど、自分が「ほめられたくない」人だったからそう思っているだけかもしれない。

授業中にあてられることってすごく嫌で、答えがわかっていても手を上げることは皆無だった私。
怒られることはしないけれど、ほめられそうなこともしたくない。
とにかく目立つことが嫌で、人の目が自分に向きそうなことは回避しまくっていた。
あ、今も同じだ。

自信のなさが表に出まくっているのに、その自信のなさを指摘されるのも嫌ので、何食わぬ顔をしながら生きてきた。
そういう自分の内部を、この本はすべてお見通しでドカドカと暴いていくもんだから、本を一気に読み進めることができないでいる。

しかし面白い本。
著者の文章がとても軽妙で面白さが増している。
面白いけれどいたたまれないという読書、たまにあるんだよね。
これはこれで大事な時間。

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