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【読書日記】2021年11月29日

私はどうやら鈴木大介さんという方が、気になって仕方がないらしい。というのも、またもや鈴木さんの本を読んでいるから。

この『発達系女子とモラハラ男』は、第1章と第2章が、いのうえさきこさんの漫画で分かりやすく描かれているので、障害を持つ人の視点がわかりやすくて勉強になった。

障害を抱える人は、定型と呼ばれる人たちと見えている世界が違う、という話は、鈴木さんの本や、『ケーキの切れない非行少年たち』を読んで、なんとなく理解していたつもりだった。

でも「理解していたつもり」であって、本当は全然わかっていないことが山ほどあるんだろうなと、こういった本を読むと毎回思う。

鈴木さんのように41歳までは低型で育ち、その後、脳梗塞をわずらい障害を抱えた人は、以前の自分と比較することが出来る。
だから、以前は何とも思っていなかったことが、ある日「できない」に変わる苦しさを、実感できるのかもしれない。

でも、生まれつき障害を抱えていたら?自分の「できない」には一体どうやって気づくのだろうか。それともずっと気づかないのだろうか。
そんなことを考えていた。

うちには生まれつきの障害児がいるのだけど、自分の「できない」をきちんと理解していないと思う。私は娘の親だけど、娘が本当に困っていることが何かを理解することは、とっても困難だと思っている。

娘が見ている世界を私は見ることが出来ない。だから娘にとっての困りごとは、娘にしか分からないことでもある。私はそれがとても歯がゆくてたまらない時がよくあるので、障害を持つ人が見ている世界が描かれているものに強く惹かれてしまう。

でもきっと、本を読んでも「理解したつもり」になるだけなんだよね。低型として生まれた息子のことだって、私はいつも「理解したつもり」で接しているんだもの、障害があるとかないとか関係なく、人は人を理解することって難しいんだろうな。

自分じゃない人の気持ちは、いつだって「そう思っているんじゃないか」と想像するしかない。私は実際に、誰かの目で世界を見ることなんてできないのだもの。

娘と鈴木さんの見えかたは、きっと同じじゃない。脳に障害を抱えているからって、同じように見えているわけじゃない、ということは分かっている。
けれども、鈴木さんが見せてくれる世界を手がかりに、娘の世界を少しでも覗いてみたい。そう思いながら、鈴木さんの本を手に取っている。

「理解したつもり」のものが、いつか「少しだけど理解したかもしれない」になると良いなという、希望を込めながら。

でもこういった本を読む理由の一番大きな理由は、単なる好奇心だとは思う。知らない世界をのぞいてみたいというのが、本音なような気がする。

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