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本の感想を書くことは、やっぱり難しい

7月は読書日記を何となくやってみて、何となくこれは夏休みという時期にやるものじゃないことに気がついたので、しばらく読書日記とはお別れ。と言っても私の中でnoteは、いつも読んだ本のことを書いているし、その時その時に感じたことを書くだけだから、さして変化することもないだろうとも思う。

noteには、頭の中にある何かを言葉にしていくというのが、自分としてはとてもしっくりくる。本当はタイトルとか考えずに、ただただおもむくままに言葉をつづる方が好きなんだけど、それは単にタイトルを付けることが苦手なだけかもしれない。

タイトル、題名ってのは、読まれるかどうかを決定する重要なものだから、少しでも本文を読んでもらえるように、うんうん唸りながらタイトルを考えていたこともあったけど、最近はもうそういうことに疲れてしまって、 あまり考えることもなくなった気がする。

たとえタイトルの出来に自画自賛しても、それは自己満足の世界だし、本文が散文なので、タイトルだけ立派なものつけても仕方がないのでは??と気づいたから、というのもある。

何の話だっけ?

そうそう、結局はこうして頭の中を整理するかのように、あるがままの自分の言葉をつらつらと書いていくことが、私はどうやら大好きなので、テーマとか決めずに書くほうが良いなぁと思ったという話でした。

でも読書日記というテーマに沿って書くのも、これはこれで楽しいのよね。書ける余裕がある時はね。それにテーマがあると、筆が進むみたいなものもあるっちゃある。この辺はその日の気分次第という、自分のメンタルが左右するものなので、散文であっても自分に振り回されるよね、と思ったりもしているのだった。本当に何の話よ、これ。


そんな最近の読書は『小さな手』

少し前にコチラ👇🏻を購入したのだけど、そこで紹介されていたものだから気になって読んでみた。

ホラーは苦手なので、なんとなく手に取るのを躊躇したのだけど、『小さな手』に収録されている『猿の手』という短編の紹介文がとても良くて、思い切って読んでみたら、背中がゾワゾワしてしまって後ろを振り返るのが怖くなってしまった。シャンプーの時に誰かいるような気がする、あの感覚が本を読んでいる間ずっとあるものだから、たまたま近くにいた息子が隣にきた瞬間に「ひっ」と声が出てしまった。ビビりすぎ。

この短編をどうとらえたらいいのか分からないまま、物語を読み終えてしまい、行き場のない思いだけが残った。小説は、読み手がどうとらえるかだろうし、きっと書き手と読み手には、思いの差が生まれるのは当然なのだろうけれど、私はそこをはっきりさせたい気持ちが強くて、モヤモヤしてしまうことが多い。

けれども余韻を残す作品であるという点で、私はこの本を読んで良かったと思うし、背中はゾワゾワするけれど、それも含めて面白い作品に出会えたことはやはり嬉しさが勝っていて、とりあえずここまで感想らしきものを書いてみたけれど、感想を言葉にしていくという作業は難しいよね、と改めて思った次第。でも私はこりずに、また本の感想を書くんだけどね。

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