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「休憩しながら」という感覚が抜けている

以前書いた記事で、一日に一万歩の話をしていて、でも私は一万歩どころか一歩程度しか歩いていなくて自分でもビックリしたことがあった。
コチラの記事👇

この記事を書いたあとでも、毎日、自分がどれぐらい歩いているのかを万歩計で確認していたのだけど、どうも私の一日の平均は2000歩がいいところで、どう考えても足腰が弱るのが決定されているようでもあり、これはマズイぞ!!と思ったりしていた。

しかし昨日、万歩計を使い始めて半月、ようやく8000歩を超えた数字を出すことができたので一人で静かに喜んでいた。この喜びと同時に、8000歩というのは確かに大変な歩数(自分の中では)なんだけど、これは小分けにしたらいけるのではないか?ということに、初めて気づいたのだった。

そうなんです、私はどうも一万歩という数字を、一度の散歩で叩き出さなければいけないものだと勝手に思っていたわけです。例えば犬の散歩に行ったら、30分の散歩の中で一万歩を達成しなければいけないと思っていたんですな。

しかし考えてみるまでもなく、一日に一万歩を達成したいのであれば、一日のトータルを見たらそれで良かったはず。そりゃ一回の散歩で一万歩を達成出来たらそれはそれでスゴイことだし、たぶん多くの人が達成しているのだろうけれど、私にはそれが出来なかったというだけで、しかもうちの犬は散歩が好きなようだけど年が年だし(今年12歳、世間では老犬と呼ばれるはず)、長距離の散歩には難色を示すようになっていて、一緒に一万歩を達成してくれる気はさらさらなさそう。そもそも犬は足が四本あるし、一万歩なんてあっさりと達成するしね(犬は一万歩目指してるわけじゃないけど)。

そう、私はどうも「休憩しながら」という感覚が抜けている。自分がコレ!と思った目標には、休むことなくゴールを目指さなければいけないんだとどこかで思っていて、どうも自分に厳しくし過ぎるところがある。これが自分だけに発揮されるものならいいけれど、そんなわけもなく、他者に対しても休むことを許さずに、奮闘し続けることを要求してしまう。なんて息苦しいの。

こういう自分に気づけるのは、こうして文章を書いているからでもあって、思いを吐き出してみると自分がいかに面倒くさくて、いかに間違った方向にがんばっているかを思い知ることができる。思いのままに文章をつづるのは大事だ、マジで。

そんな最近の読書は『マーダー・ミステリ・ブッククラブ』

アガサ・クリスティーが大好きな姉妹はブッククラブを立ち上げるのだけど、メンバーの一人が行方不明になってしまう。行方を捜す他のメンバーたちにもそれぞれに何かしら不審な点があったりして、とても面白く読み進めている。

クリスティー好きな私は、クリスティー作品のタイトルが要所要所に登場するだけで、その作品を読み返したい衝動にかられていて、この『マーダー・ミステリ・ブッククラブ』も最後まで読みたいのに、クリスティー作品も同時に読みたくて、しかし翻訳物はただでさえ登場人物の名前と特徴が一致しなくて読み進めるのに苦労するので、同時に二冊の本を読み進めるなんてことはしないほうがいいだろうな、と思ったりしている。

とりあえずこの本を読み終わったら、作中に登場したクリスティー作品の『白昼の悪魔』を読み返したい。『白昼の悪魔』は再読だけど、内容は何ひとつ覚えていないので楽しく読めるはず。こんな風に次に読みたい本が決まっていて、それを楽しみに出来るというのはとても嬉しいこと。幸せだ。

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