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育ってきた環境の「当たり前」

こういう本を見かけると無条件に読みたくなってしまう。

育ってきた環境を「当たり前」だと思い、疑うことなく信じて生きる。
しかしある日気づく。
「あれ?うちっておかしいのかも??」

たとえばうちの場合、父親が仕事を続けられない人。
半日も経たずに仕事を辞めてくることも「当たり前」。
父自身も、自分がどの職場で働いていたのか覚えきれないほどのため、前に辞めたはずの職場にまた面接に行くということもあった。
結果、採用されて帰ってくるので解せない。

そんな父親を見てきた私は、こんな風になったらダメなんだろうと大きくなって気づくのだけど、しっかりと父を見習って仕事を転々とする人になっていた。
ダメと思っている部分ほど似てしまうのって、何なんでしょうね。


そんなおとぼけ親子の話よりも、何倍もすごい母親が登場するのが『うちの母ってヘンですか?』

たぶん『うちの母ってヘンですか?』に登場している13人の母親(そして父親も)たちは、極端におかしな例だとは思う。
一人暮らしをしている娘のアパートに毎日押しかけたり、娘を「ゴミ」と呼んだり、娘だけ幸せになることが許せずに暴言を吐いてみたり…

こんなお母さんもいるんだ…
という思いを反面教師にして、私はこんな風になりたくない!!と強く思うのだけど、しかしですよ、自分の「当たり前」ってズレてる可能性があるでしょ?

『うちの母ってヘンですか?』に登場する母親たち(そして父親も)のようになりたくないって思うし、おかしい人たちだろうとは思う。
けれどじゃあ、自分がいま子どもたちにしていることは、本当におかしくないのだろうか?
本当に毒親じゃないのだろうか?
と考えてみると、わからなくなったので怖くなったのでした。


本を読んで「こんな母親が居るんだねぇ」と、ネタとして終わらせられないのは、自分と他者との境界線があいまいだからかも?と、これを書きながら気づいた。

私は他者との境界線があいまいで、他者の経験を自分の経験だと混同しがちなところがある。
たぶん共感しすぎなんだろうな。
共感しすぎて、自分もそんな毒親に育てられたかのような錯覚を抱いているのかも。

本を読み、物語に没頭しすぎて現実世界と空想世界がごっちゃになってしまうというのはよくあるけれど、それはそれで貴重な体験だからどんどん経験したほうがいいとは思うんだけど。
問題なのは、私が現実世界へ戻ってこれないというところにあるんだろうなと気づいたのでした。
帰ってこい、私。

そんな最近の読書は『1日が長いと感じられる日が、時々でもあるといい』

人様の日記を読むのは、どうしてこうも楽しいのだろうか。
いつまでも読み続けていたいので、ちびちびと読み進めている。

こういう日記本を読むと、日記を書いてみたい衝動にかられる。
しかし人に見せる日記というのはとても難しい。
以前「読書日記」を書いていた頃、日記っていかようにも仕上げられるために、だからこそハードルの高さがぐんぐん上がっていて、私は続けることができなかった。

ハードルの高さを上げているのは自分なので、そのハードルを撤廃すればいい話なんだけどもね。

それにしても、日記を本にできるぐらい続けられる人ってのは素晴らしいですな。
何事にも飽きっぽい私は、何かを続けるという、それがもう未知の世界だわ。

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