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読書日記・見えないものがいても

8月12日~15日

犬がお腹をくだしたので、夜中も数時間おきに散歩へ連れて行くことになった。こういうとき、私は心配がお腹に来てくだすタイプの人間なので、犬と私、どちらが先にトイレへ行くことができるか勝負!!!みたいなことになってしまうので厄介。とても危険。人間がとても危険。外で大惨事になっても、夜中だから誰も見ていないだろうという安心感もなく、ただひたすらに腹痛に耐える散歩タイムを過ごした。大惨事はまぬがれた。良かった。

しかし、丑三つ時の散歩中、何にもない場所でいきなり犬が何かにビックリして飛び跳ねたので、私も心臓が止まるかと思うぐらいにビックリするという出来事があった。懐中電灯でてらしても何もなくて、でも犬は必死にその場所を避けようとしていて、え?何????何がいるの?????と、私のほうがパニックになる。お盆という時期だし、犬には見えないものが見えているのでは????と思ってしまい、恐怖が増加した。

そして次の日、助手席に向かって爆笑しながら運転している男性を見かけた。男性は会話に夢中になり、前を見ずに助手席ばかり向いていて運転していたため、スピードが格段に遅くて、ちょっと迷惑な運転手になっていた。会話が弾むことは何よりだけど、前を向いて運転して欲しい・・あと速度に注意して欲しい・・と思いながらその車内を見ると、助手席には誰も乗っていなかった。後部座席にも誰もいない。え?でも男性は助手席の人にめっちゃ喋りかけている。え????何?????? お盆という時期だし、男性にも見えないものが見えているのでは????と思ってしまい怖くなった。

かろうじて読んでいたのは、酒井順子さんの『本棚には裏がある』

 中でもメキシコ人の死に対する感覚は、興味深い。「私たち西洋諸国側の人たちは死を、人生最悪の悲哀の一つと考えている」が、メキシコ人は「軽やかな皮肉で対処する」と、著者。死者をしのぶ日には、墓でテキーラを飲みながら親族で夜中まで笑いあうのだそうで、「死を笑うことができる人は、生を笑うことなど簡単」という記述に、うなずいた。

『本棚には裏がある』より引用

『世界幸福度ランキング上位13ヵ国を旅してわかったこと』に記述されているらしい文章を読みながら、見えないものを怖がってしまう自分について考えた。見えないものが見えることを恐ろしい!!と思っているのは、まさしく死を「人生最悪の悲哀」と考えているからかもしれない。死は、生きるものとして必ず通る道なのだから、「人生最悪の悲哀」ととらえるのではなく、笑いあえるものとして生きていけたら最高だよね、と思った。笑いは、いろんなものを救うのかもしれない。だからできるだけ笑いに変えて生きていきたい。見えないものがいても笑っていたい。

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