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自分の頭を過信するから間違える

100均に行って帰ったあとで、
「あ!しまった!アレを買うの忘れてた!」
となる確率が非常に高い。

買いたいものをメモしていて、そのメモを見ながら買い物をしているはずなのに、90%ぐらいの確率で「買うもの忘れた!」となる。
そもそも、メモすること自体をすっぽりと忘れているものが、たくさんあるってことだろうな、きっと。

そしてこの現象は、本屋さんでも同様に起こる。
買いたい本のメモを見ながら本屋さんを巡回し、時には検索機で場所を探したりなんだりしているのに、帰宅した後で
「あ!アレも買うつもりだったのに忘れてた!!」
となる確率100%です、いまのところ。

読みたい本はちゃんとメモしている。
それなのに忘れるって何??

そもそも私は、読みたい本が日々何冊も発生する。
多いときは10冊ぐらい。
少なくても毎日1冊は気になる本がうまれている。

SNSなどを眺めていると、どんどん読みたい本が増えるのだけど、それらをすべてメモしているはずが、たまに、というより結構な割合で、メモをすることを忘れている。
メモをしなくても読みたい本の存在を覚えているはず!なんて、自分の頭を過信するところが間違っているとわかっているのに、メモ自体を忘れてしまう。本当にどうにかしたい。

そしていつも思うんだけど、魅力的な本ってのは世の中にはあふれすぎでは???
気になる本を片っ端から読みたいという思いは爆走しやすいけれど、本を読む時間、本を買うお金は無限にうまれるものじゃない。
無限にうまれたら良いのに。

そんな最近の読書は『嫌いなら呼ぶなよ』

4つの短編どれもこれも、テンポよく流れていくようでいて、実はどこかしらに毒らしきものもあったりで、とても面白かった。

表題作の『嫌いなら呼ぶなよ』は、妻の親友に愚行を問い詰められる夫の視点が描かれていて、非常に興味深いものがあった。

「女性同士は結束すると強い」という印象があるけれど、とくに結束が高まるのは、お互いに敵だとみなす相手が一致している場合だと思う。

そんな女性の結束が『嫌いなら呼ぶなよ』では描かれていて、しかしこういう結束って男性からしてみたらさぞかし面倒くさいんだろうなと、本を読みながら自分の過去を思い返しながら思った。
男性に非がある場合、友人と結束して男性を追い詰めるという手法、私もやった経験があるけれど、あれって本当にやらないほうがいいね。余計に嫌われる。


4つの短編は、どれもこれもまったく違う性格を持ち合わせているはずの主人公たちに思えるのに、どの作品の主人公の気持ちも共感できてしまったので、これは人間の業のようなものを描いた作品なのだろうか?と、よくわからないけれどわかったような感想を抱いた。

本の内容紹介では「明るすぎる闇」を描いているとあった。
「明るすぎる闇」って何???と思うものの、『嫌いなら呼ぶなよ』を読むと、たしかに暗さは感じられず、しかし闇は確実にあるから「明るすぎる闇」という表現も、また素晴らしく良いなぁと思った。

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