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街の景色の変化に恐怖する自分

つい最近、昔家族とよく行っていた店が無くなった。
私が住む所は近年、再開発が進みつつある。新しい建物やマンションが建設されるのは、まだまだ私の街が寂れていないのだという安心感と、見慣れた光景が新しいものに奪われてしまう怖さがある。
散歩をたまにするのだが、変わりつつ街に適応できない私がいる。色んなものに永遠は無いとよく言われるが、変化は中々受け入れられないことが多い。それは街だけではない。例えば、新しいルールや制度、価値観でも発生する。頭では分かっていても、やっぱり受け入れきれない私がいる。
でも、段々とその状況に慣れていって、当たり前だと感じ、やっと受け入れる。そんな過程が定型化されているんじゃないかって思う。

社会の受容もそうじゃないかなって、ふと考える。差別とか偏見が発生するのも、個人のキャパシティを超えてしまったものが言葉や思考となって出てしまうと思う。これまでの常識には無い「新しいもの」はいつだってそういったものを起こしてしまうことが良くある。私はそんな「新しいもの」を受け入れる努力をしようと意識している。でも、意識して差別を辞めようと考えても無意識に出てしまうこともある。だから、まずは無意識を意識する所から始める必要がある。
これには、骨の折れるような長い時間と、気力がいる。でも、少しづつ行動を直していったら、(私がしていた)差別や偏見を極限まで無くせる。そう信じてる。

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