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粉瘤記

朝井リョウさんのエッセイ。「風と共にゆとりぬ」を読みました。どの話も面白くおなかが痛くなりましたが、それと一緒にきたのが便意。何を隠そう。私はお腹がもの凄く弱い。肛門記に対抗したいと素直に思いました。

と、いうことで私の粉瘤に関するエピソードを書いていきます!何もすることがなくて、携帯に入っているSNSのアプリを三周くらいしてよっぽど暇になったら見てください。ちなみに簡単に自己紹介すると東北地方に在住している大学四年生です。ビビるくらい腹が弱い。ご飯食べた15分後にトイレ行く。トイレ1日5回以上。最近は毎日水を飲むため、起きてる時間の5分の1くらいはトイレですごしてると思います。では行きます。

粉瘤との出会い:高校編

 お尻に違和感を持ったのは高校3年生、受験勉強真っ盛りの8月だった。受験は夏休みが勝負という言葉に踊らされながらビビっていた私は、毎日机に向かい、形だけの勉強をしていた。中高ずっと部活人間しかしてこなかった私は、不完全燃焼で部活を引退し、暇を埋めてくれるものを探してたんだと思う。友達が国公立を目指すから、国公立は学費が安いからという単純な理由で受験勉強をスタートした。

スタディサプリとスタディプラスの二刀流。まさにスタディ。勉強である。金銭的な問題で塾に通えなかったため、自宅でスタディサプリを見ながら、スタディプラスで勉強時間を記入し、友達と切磋琢磨していた。
 怠惰な自分と交わしていた一つだけのルール。それは、「一回椅子に座ったらご飯の時間まで立たない」という至極簡単なものだった。真夏にクーラーのない部屋で扇風機の音と家族の笑い声。テレビの音。勉強するには厳しい環境であったことには間違いないと思う。だからこそ自分に律した一つのルール。
「一回椅子に座ったらご飯の時間まで立たない」

8月のある日の午前中、数学をやっていたその時、ふとお尻に違和感があることに気づいた。「右のお尻痛いな。なんかニキビでもできたかな」
顔こそニキビが少しあったものの、身体の肌トラブルにはまったく悩まされていなかったため少し驚いたが、ズボンに手を入れてそこを触ってみると確かにぽつりとしこりがあることが分かった。「まあすぐ治るだろ」と思い数学の問題に取り掛かった。なんかその日は調子が良かった。解ける、解ける。いつの間にかしこりのことなんて忘れて夢中になって問題を解いた。

「一回椅子に座ったらご飯の時間まで立たない」は午前中は意外とあっという間に過ぎる。昼夜逆転し、朝10時頃から勉強を始めるが、2時間は何とか耐えられる。トイレに行きたいとかは最大限まで我慢する。一日5回以上便意をもらたす私は、便意がもっとも天敵だった。

お昼ご飯を食べて勉強再開が1時前後。つまり、夕食の6時から7時までは一度も椅子から離れないということである。これが何を表すか、もうお分かりだろう。

粉瘤の悪化である。

私は知らず知らずのうちに粉瘤ちゃんを育んでいたのだ。

とはいっても私も高校三年生である。驚異の自然治癒力を発揮し、存在は気になるものの悪化はしないまま夏休みが終わった。
そして月日は流れ10月頃、、、大事な模試の日に悲劇は起きた。
「粉瘤が気になって全然模試に集中できない!!!!」

夏休みから粉瘤ちゃんのせいで集中の妨げをされたことは何度かあったが、模試では初めてだった。なんといっても学校の特別教室みたいなところで模試を受けさせられ、椅子が硬い。これは粉瘤ちゃんもびっくりするだろうなと思ってはいたが想像以上だ。家ではできるだけふわふわな椅子に座るように心がけていた私だが、学校では無理だ。そんなこと考えてたら、お腹もいたくなってきたぞ。英語のリスニングの音声が右から左に流れていく。

ほーん。やばいなこれ。粉瘤ちゃんがじんじんしている。明らかに熱を持っていることが分かる。足を組んで右のお尻を上げる体勢をとった。左利きなのに左手で頬杖をついて、右手でマークシートに記入する始末だ。模試の監督は担任の先生だった。たぶん先生からはめっちゃ態度の悪い格好で模試を受ける生徒と思われただろう。

結果として、そのときの模試の結果は最悪だった。私としてはしょうがないと半分あきらめがついたのだが、10月で夏休みの成果が表れ始めていた友達との差を見て愕然とした。人のせいにしてはいけないと頭ではわかっていながら必死に粉瘤のせいにして自分を奮い立たせた。(ごめん、粉瘤ちゃん。まあ人じゃないしいいか)

これだけ粉瘤を育みながら、私はなぜが病院に行かなかった。というよりも行かなくてもよかったというべきか。そう、悪化は一瞬でほっとくと治るのだ。硬い椅子に座るときついが、自転車に乗るときも何の違和感もなかったし、唯一の楽しみである体育の授業も日ごろのうっ憤をはらすようにはしゃぎ倒した。バレーの授業では誰よりもジャンプしたし、飛び込んでボールを拾った。

つまり、それくらい日常生活にまったく支障をきたさなかった。一月の冬休みで同様のルールを自分に今まで以上に課した結果、冬休み明けの模試でも粉瘤+腹痛の悲劇に襲われて、担任の先生から模試の最中に声をかけられるほど顔が青ざめたことがあったが、それはまた機会があったら書きたいと思う。


粉瘤活性化:大学生活編

無事?国公立大学の受験に失敗し、地元の私立大学に進学した。地域活性化をするために少子高齢化や災害、福祉などを学んでいた大学2年生の12月、いつもどうり地域活性化するにはどうしたらいいか考えていると、粉瘤ちゃんが2年ぶりに活性化した。新しい環境に追われ存在すら半分忘れていたが、粉瘤は活性化しなくていいよと本当に思った。

そして今回の粉瘤は同じ場所ではあるもののどんどん巨大化した。例えるとお尻に野球ボールくらいのしこりができた。そして歩くたび痛い。これはやばい、やばい、やばい、「まじでやばいかもな、、、」

とうとう粉瘤ちゃんは日常生活にまで侵入してきた。大学には家から自転車→地下鉄→徒歩で通学していたが、自転車と徒歩が無理と察し、幸いにも持っていた車で行くようにした。学校に着くのはいいものの校舎までの徒歩がつらい。右足を引いて歩くようにゆっくりとしか歩けなかった。でも少し乗り切れば冬休みだった。耐えた、、

普通の歩行スピードで歩くことすら困難である。当時していたアルバイト、しゃぶしゃぶのお店のホールはなおさら無理だった。早く歩けと促されるものの歩けない。限界を感じた私はバイトに事情を説明し休みをとった。

しゃぶしゃぶ屋の繁忙期は冬。ただでさえ人がいなくて大変なのに週4日入っていた大学生が謎の理由で休み。(因みにお尻というと恥ずかしいから足に腫瘍ができたと言っていた)怒りと憤怒よりもあきれだろう。店長、そしてみなさんごめんなさい!!!

そして追い打ちをかけたのがその時いい感じだった女の子とのクリスマス。私は薄い望みをかけてその子をクリスマス遊びに誘ったのだが、望みは叶わなかった。とはいっても遊びにOKがでていてもこっちは粉瘤で歩くことすらままならないから関係ないか。横で前かがみになりながら足を引きずりながら歩いてる男は好きになってもらえるはずがない。

その年のクリスマスは出かけることすら不可能で、布団の上であおむけになって24時間を過ごした。もはや粉瘤ちゃんがピークの時期でトイレにいくのもほふく前進レベル。レベチ。サンタさん、プレゼントなんていらないから粉瘤治してください。祈りながら眠った。

朝になったら願いが叶って粉瘤消滅!  なんてことはなく、朝になっても粉瘤はちゃんは存在していた。おはよう。

さすがの私も限界を感じ、とうとう重い腰をあげて病院に行くことを決意した。「粉瘤 病院」と検索し、一番上に表示された病院にした。評判も上々で安心して行ける雰囲気も兼ね備えていた。緊張しながら電話し予約を取る。そして当日。手続きを終えて診察室に呼ばれると、いきなり、
「じゃあ、ズボン脱いで~患部診させてもらいます」
恥ずかしそうなそぶりをすると逆に駄目だと思い、ズボンをさっと下ろし恥部を晒した。時間としては1.2分だったと思うがすごく長く感じた。覚悟はしていてもどこか恥ずかしい。

AVで女優が恥ずかしそうにするシーンが必ずあるが、あれはあながち演技ではないのかなとも考えた。カメラがあったらなおさら恥ずかしいだろう。女優さんには頭があがらない。

なんてことを考えていると、診察が終わった。診察結果はやはり粉瘤だった。粉瘤が悪化してがんになっていたりする可能性もあるとインターネットでは書かれていたのでとりあえずホッとした。そして3年間お世話になった粉瘤ちゃんともおさらばできると考えると嬉しい気持ちが勝った。

先生の言うことには粉瘤は手術をしないと治らないものらしい。次回の予約を取って日帰り手術をすればいいと思っていた。しかし先生は言った。
「かなり大きくなってるから様子見て、傷が残る可能性があるから腫れがおさまったら今回は膿だけ出して様子をみましょう」
「え、じゃあ手術とかは・・・」
「手術しなくても再発しないケースもあるから、若い体に傷をつけるのはだめ、再発したら手術も考えましょう」
「わかりました」

一生一緒にいてくれや~見てくれや才能も全部含めて♪
愛を持って俺を見てくれや、今の俺にとって粉瘤ちゃんが全て♪

これは粉瘤ちゃんとの共同生活が続くことを意味していた。 #bff  ベストフレンドフォーエバーならぬベスト粉瘤フォーエバー。

そして粉瘤のために1週間に一回病院に通った。膿もだしてもらい、あれから何度か粉瘤ちゃんが微熱を帯びたが沈黙を保っている。

4月から東京に就職予定だが、東京の良い病院で粉瘤とさよならすることに決めている。そして粉瘤のいない地元に帰って地域の活性化に携わっていきたい。そこでまた粉瘤が活性化したらしょうがない。デスクワークが増える=粉瘤の活性化だからだ。だからこそアクティブに行動しながら文章を書くという生活は続けていきたい。

今年の7月、粉瘤が顔にもでき、またまた病院にお世話になることになったのだが、それはまたの機会に。頬に粉瘤は怖い。顔腫れてるみたいになってた。お尻も含めて私の身体は粉瘤ができやすいみたいだ。

今もちっちゃいタピオカみたいなサイズの粉瘤ちゃんと共存している。タピオカブームの次は粉瘤ブーム? なんつって。


最後まで読んでいただきありがとうございました!

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