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[修行日記⑦] 旦過寮(たんがりょう)

 一時間以上山門に立ち、やっと上山を許されて案内されるのは「旦過寮(たんがりょう)」です。この段階で私はまだ正式な永平寺の修行僧にはなっていません。「暫到和尚(ざんとうおしょう)」と呼ばれ、暫く泊まる事が許されただけの客僧としての日々が五月の新到掛搭式(しんとうかたしき)まで続きます。まず旦過寮に入る時にも、ひとつの儀式があるのでその流れを古参和尚さんに教えてもらいます。七番上山の一番の私に課せられたのは維那(いの)※老師を前に、香炉に線香を一本立て「御開山拝登(ごかいさんはいとう)並びに免掛搭(めんかた)よろしゅう‼」と大きな声でご挨拶する事です。古参和尚さんが説明をしながら練習をしたのですが・・・
(古)「香炉に線香を立てます。今は練習なので立てた真似だけで良いです。」
(私)「はい‼」
と返事をした直後、何を思ったか鏡のように綺麗に整えられた香炉の真ん中にブスッと線香を立ててしまったのです。
(古)「何してんだー‼練習と言っただろう‼」
古参和尚さんの大きな声で我に返りました。穴がポッカリあいた香炉は古参和尚さんが素早く外に持ち出し、また綺麗に整えられたものが机に置かれました。何やってんだろう・・・自分が嫌になりました。でもこんな小さな失敗でそんなに怒らなくてもいいんじゃないの?という思いもありました。何とか最初の儀式は滞りなく終えることができ、それから約七日間は、話すことができない、トイレも自由にいけない、風呂にも入れない、ただ古参和尚さんから言われた通りに行動するだけでした。今まで経験したことのない空腹で上山前「かいど」さんがすすめてくれたかつ丼を食べなかったことを毎日後悔し、風呂に入れず着替えもできなかったため、これまた経験したことのない体臭に耐える日々でした。
 朝昼晩のお勤めでの読経、食事の作法、回廊清掃、坐禅・・・今まで研修や地蔵院で指導を受けてきましたが、いざこの広い永平寺の伽藍の中に入ると自分が何処にいるのかも分からなくなり、思い描いていた修行とは程遠いことを自覚するのです。(第八回に続く)

※維那老師…修行僧の修行のあり方を督励し、堂内の大衆を統監する役職です
本山での規則、指導内容は当時のものです。

齊藤崇広
平成2年新庄市生まれ。曹洞宗大本山永平寺での修行を経て、現在は横浜の寳袋寺で納所中。

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