50歳から始める終活 vol.08_悟リスト:その2 -生き方が死に方
50歳から始める終活 ~もくじ~
vol.01_激動の時代に生き抜くために
vol.02_見送りびととして
vol.03_初めてのお見送りは突然に…
vol.04_悟リスト:その1 -行雲流水
vol.05_ハガキで分かるライフステージ
vol.06 喪失の経験が増えてくる
vol.07 お見送りは突然に-Part2
身近な人の生き方に触れて思うこと
ある年齢を超えると新たに知り合う人より去っていく人のほうが増える。
この世は有為転変、生きていれば環境や身を置く場は常に変わるものだから出会いと別れは生きている証拠だと思うが、永久の別れ『死別』は、この世では二度と会うことができない辛い事実。彼方へ逝く人…とはこの世ではもう会えない。一方で夢でも想像でも思い出すと再び逢えたような気がするから、人間の脳機能は有難い。
身近な人のお見送りを経験してふと思うことがある。それは、
『生き方が死に方』ということだ。
ひと足先に彼方へ逝った人を思うと、みなさんそれぞれその人らしいラストだった。数は多くはないから説得力はないけれど、私が知る人を見る限り
生きてきたように死ぬ
と思わざるを得ない。
だからこそ、私は自分の生き方を考えたくなった。
死の受け入れ方を考えると生き方が見えてくる
義父はとても穏やかな人だった。私が知る義父は本当にゆったり、どっしりと構えていて『紳士』という言葉がとても合う人だった。
そんな義父は、同世代の男性の大半がそうであったように高度成長期を支えた企業戦士。50代のころにゴルフ場で心臓発作を起こし、以降、心疾患の治療を受けていただけでなく、長いこと向精神薬を服用しながら家族を支えてきた。
軽いものと分類されるものだったが、現役を引退後もお守りの代わりに向精神薬を服用し続けていた。引退後は燃え尽き症候群になったようで、急に動作が鈍くなり手の振戦も見られたので私はとても気になり「主治医の先生に、お薬を止められるように相談してみたら?」と話した。これを機に減薬、やがて服用を止めることができたが、家の引き出しの箱に数錠置いていたのはその後もずっと義父のお守りになっていたからだと思う。
穏やかで優しい人だったので、家族はみんな義父のことが好きだった。
我が子が幼い頃、休日は家族でよく出かけたが、ときどき義父を一緒に連れて行った。釣りキチの夫と一緒に釣りに出かけたりもしていた。
動作が遅く足の筋力が弱ったためにアグレッシブな活動をすることはなかったが、私が知る義父の様子のとおりゆるやかで穏やかな晩年を過ごした。
どんどん足腰の弱り方を見て「そろそろ介護が必要になるかな…」と思ったある日、義父は、突然に逝った。(vol.2~vol.4で書いている)
自分の死は分かる…らしい
義母によると、あの日の義父の様子はいつもと少し違っていたという。
先に入浴を済ませ居間でお茶を飲んでいた義母が、「もう夜遅いからお風呂に入って寝たら?」と話すと、ゆっくり支度をして風呂場へ向かおうとしたが、その時に居間と廊下を区切る出入口から、ひょっこり顔を出して、義母のことをじーっと見つめてニコニコ笑ったという。その顔が、不思議なくらい若々しくて精悍な感じがして、義母は少し驚いたそうだ。
「なにしているの?早くお風呂に入ったら?」
そう言っても義父はしばらくそのままだったという。
気持ちが済んだのか、やがて義父はゆっくり扉を閉めて風呂場に向かったそうだ。
それが、義母にとって義父との最期になった。
「あの様子はとても不思議だったわ。あまり感情表現をしない人なのに、満面の笑顔で…とても若々しかったのよ」
葬儀の席で義母が義父の最期の様子をこう話すのを聞いて、私は「お義父さん、分かってたんだな…」と思った。
入浴時の心不全。義母に笑顔を向けた直後、パッタリと逝ってしまったと思う。楽に。自然に。
棺の中の義父と最後の挨拶をしたとき、私は、義父はこの世に思い残すことなんて何ひとつなく、心から満足・納得して逝ったように感じた。
義父の人柄のとおりのラストだったと思う。
独りを選び、独りで逝った義叔母
義叔母は朗らかで人懐こい人だった。
初めて義叔母に会ったとき、おしゃべり好きな彼女がどんどん話しかけてくれたので、緊張していた気持ちがすぐにほぐれたことを覚えている。
私が知る限り、いろいろあって(vol.7で書いています)最後は独りで暮らしていたが、姉である義母の家の近くに住んでいたので、不安はなかったと思う。
晩年は持病になったリウマチが少しずつ進行して体は辛そうだったが、最後まで自立した生活を送り、入院や介護などの面倒をかけずに、義父とは少し違うが、ある日、突然、彼方へ逝った。
義叔母は曾祖母の介護をしていたこともあって、自分が誰かに面倒をかけることはイヤだと思っていたように思う。
死因は特定できなかったが、具合が悪ければ救急を呼んだと思うし、ベッドの上で寝ているように亡くなっていたという事実が、「寝たつもりで」逝ったのではないかと推測できる。
その潔さは江戸っ子気質の彼女らしさだと思った。
二人とも「突然」という終え方をしたが、どちらとも心残りがあるようには思えない潔さが感じられた。
それは、その日までの彼らの生き方に通じると私には感じた。
諦める?受け入れる?考えない?ありのまま?
彼らの生き方にどんな言葉が合うか私には見つからないが、いずれにしろ、自分の老いの現状をクヨクヨせず「なるようにしかならない」という開き直り?受け止め?が感じられていたからだ。
老いて失うものが増える。
失うものが増えると、失いたくないと執着する場合と、仕方ないと受け入れ名残りを手放す場合の2パターンに分かれるように思う。
先の二人はどちらもアッサリと手放すタイプだった。だからこそ、日々の生活の延長線上で潔く逝けたのかもしれない。
諸先輩方は多くのことを教えてくれる。
そして、別れを通した学びの機会は続く。
今度は、実の父親である。
つづく
▼▼▼最上川えつこのエッセイ第2弾『アラフィフ歌会始』▼▼▼
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