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50歳から始める終活 vol.06_喪失の経験が増えてくる

50歳から始める終活 ~もくじ~
vol.01_激動の時代に生き抜くために
vol.02_見送りびととして
vol.03_初めてのお見送りは突然に…
vol.04_悟リスト:その1 -行雲流水
vol.05_ハガキで分かるライフステージ

お見送り…突然だけどみんなが気持ちよく

初めてのお見送りは義父の心疾患による“突然死”だった。(vol.2~vol.4で書いています)
突然やってくるXデー。亡くなった本人はどう思っているのか聞くことができないので考えても仕方ないが、家族としては現実を理解するだけに精一杯で、悲しみに浸れるほど心に余裕がなかったことが、喪失のショックから遠ざけてくれたような気がする。
義父は晩年はゆったりとおだやかに過ごし、心身の衰えを自覚していた。虚血性心不全による突然死とはいえ、義母からその直前の話を聞くと、義父は「分かっていたんだな」と思う節があり、それゆえにラストの潔さは義父らしく、棺の中でイケメンに整えてもらった顔を見て、心から「ありがとうね。おつかれさまでした」という気持ちでお見送りすることができた。

歳を重ねると「得る」より「失う」が増えてくる

義父の死から数年が経ち、残された義母は初めはメソメソしていたが、少しずつ独り暮らしに馴れてきて、家族みんなが本来の日常に戻っていった。

ここから少し時間を巻き戻してみる。
子どもの頃からついつい「ちょい先」に関心を持ってしまう私は、まだ両両親が元気な頃に、グリーフケアアドバイザーに関心を持ち認定講座を受講した。
いつかやってくる家族のお見送りに関心を持ち始めたのがきっかけだが、実際に学んでみると、喪失とは大切な人との死別や別れだけでなく、自分自身がこれまでの人生で得たもの、たとえば若さや身体機能、記憶力、社会的立場や人間関係、子どもの巣立ちなど…さまざまや状況・状態を何かのきっかけで失うということに対しても同様であることを知った。

若い頃は獲得することのほうが多いが、ある年齢に達すると失っていくことのほうが増えていく。損益分岐点のような言い方をすれば得喪分岐点…とでもいっておこう。

グリーフケアアドバイザーの認定講座を受けたのが40歳に入って少し経った頃。私にとっては、このときが得喪の分岐点である。
喪失からの回復…これを学んでおかねばと思ったのは、「喪失について知っておかないと、私は必ず過去にしがみつく」と思ったから。

わたしは地域で子育て支援団体を主宰しているご縁で、さまざまな分野で活動している方々と話す機会が多く、その中に大先輩方(高齢者)もたくさんいた。
親や親戚以外の高齢者の方々と話をする機会は、ふつうに生活しているとめったにない。70代~80代、親と同世代の皆さんの話を聞きながら「(無事に生きていれば)私がいつか必ず通る道」だと思い、いろんなことを質問した。
ここで学んだのは、歳を重ねても社会に関わる、地域の人と関わることの大切さだ。
孤独・孤立は一見、本人にとって楽な環境を選んでいるような気がするが、どの角度から捉えても孤独と孤立を好む場合の心身の健康リスクは高くなると考えている。

このことを痛感した出来事が、つぎにお話しする
突然のお見送り・パート2
になる。
ま、亡くなってしまえば本人は分かんないんだからそれはそれでいいんじゃない?…そう思われる方もいるだろう。
そうかもしれないが、私はそうは思わない。

私個人としては「死んじゃえばすべて終わる」と考えられない。どう生きるかの延長線に死があり、そこから次に続いていくものがあると思うからこそ、
私たちはどう生きるか?
と、50代から終活を考え始めたのだ。

そう考えると終活は奥深い。人生観・死生観を交えながら生き方に向き合う作業なのだと思う。

▼▼▼最上川えつこのエッセイ第2弾『アラフィフ歌会始』▼▼▼
読んでみてね~♪




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