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小説を読んで取り戻した、心の余白

麦本三歩の好きなもの、読了。この本を一言で表現すると「麦本三歩の好きなものが詰まった一冊であり、三歩の言動が愛くるしくて、いちいちニマニマしながら読んでしまう」。そんな本であるように、私には感じられた。

読点つけなければ一言だろうと言う私の勘違いから、一文がやたらと長文になってしまったのは、ご愛嬌。

さて三歩の言葉の中でも、特に私の心にズドーンと響いた一節を、ここでは特別にご紹介。

人生とはそんなに甘いものでもないから、(中略)ずっと誰かの言葉を糧に生きていけるわけではない。少しずつ嬉しさはすり減っていって、いつかエネルギーがなくなってしまうかもしれない。その時、好きな友達に会いたくなる。自分がファンである人に会いたくなる。互いに、そのエネルギーがなくなってしまう前に、近いうちにまた会おう。自分が、彼女の心のエネルギーを少しでも貯めてあげられるのだったら(中略)。

住野よる 麦本三歩の好きなもの  p.227

誰かの言葉だけでは生きて行けない。世の中そんなに甘くない。ただそれでも自分と言う存在は、誰かにとっての心のエネルギーになり得る。あなたは誰かにとっては必要な存在。不必要な存在なんてこの世にはない。そんなことを感じ取った。

でもこの前食べたガトーショコラの味だってもう舌の上にはない。もう一度味わいたかったら新たに食べるしかない。それが出来るのは今日からの自分だけだ。だって食べたいのは今の自分だから(中略)。折り返し地点なんてきっとない。今日も前に進んでいかなくちゃ、今日これから起こる楽しいことを味わえない。

住野よる 麦本三歩の好きなもの  p.288

いくら楽しいと感じたことも、結局は過去の経験でしかなくて。あの時楽しかったなと思っても、それはあの時の私が感じていたことであって、今の私ではない。もう、過去と同じ楽しさを味わうことは、できないかもしれない。でもそれ以上に楽しい何かに、生きていればこれから、出会えるかもしれない。だから一緒に生きよう。そんなことを感じ取った。


小説を久しぶりに読んだ。本当に久々。少なくともここ一年は読んでいなかったと思う。現実を生きることに必死で、物語に入り浸る心の余白が、私にはなかったんだと思う。

ただ時間だけはある今、図書館で思いのままに本を借りては、読みふける。その行為自体、今の私にとっては至高であり、また至福のひと時だ。


小説を読んで、心の余白を取り戻した。

そんな感覚になった。


読んでくださってありがとうございます。

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