愛されている、だから苦しいなんて、誰にも言えない。
私、なんで生きているんだろう。
最近そんなことばかり考える。ここ数カ月の間、周囲の人が相次いで亡くなったからか、更にそう思う頻度が増えた。どうして私なんかが、のうのうと息をすることが許されているのだろう、あの人達の代わりに、私が死ねばよかったのにと、ふとした時にそう思ってしまう。
私はやっぱり、社会不適応者なのかもしれない。最近買い物する時、視線恐怖を感じる程度が増えたような、そんな気がするんだ。顔強張っているの、自分でも分かるし。加えて感情の起伏は激しいし、すぐ疲れる。私こんなに、脆かったっけ。
大学生までは、どんなことも、無理してでも頑張れていたのに、今はもう頑張れない。動けない。昨年大学で、あれだけ周りに「無理するな」って言われたのに。でも卒業するためには、4年で卒業するためには、あの時に無理をすることが必要だった。だから当時した「無理」は意味があったんだと思いたいんだ。
4年で卒業したら、私は父親を見返せると思っていた。結局、学歴偏重主義かよ。最低じゃん私。だから4年と言う数字に、ひどく執着した。大学入学後は全ての目的を「4年で卒業すること」に設定して、どんなことでも乗り越えてきた。執着と言うのか、信念と言うか。
だけど卒業した今思う。2年留年して退学した、父親の方がよっぽど価値があると。立派に働いていて、家庭を持って。あろうことか、大卒の挙句に無職、のうのうと息をしているだけの私のような無能を、未だに養ってくれて「居てくれるだけでいい」なんて言ってくれる。
私はそんな愛の重さに、果たして、耐えられる気がしない。
愛されているのに、だからこそ苦しいなんて、傲慢過ぎて誰にも言えない。無能の私でも愛される価値があるんだって、今になって理解するなんてさ。遅すぎるよ。
また飲みたいなあ、タリーズのハニーミルクラテ。これ飲みながら書くと、執筆が捗るんです…!