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今は、休む

ハローワークの障害専門支援の職員さん、普段の担当職員さんと私の三人で面談をさせていただいた。話の中にでてきた、法定雇用率、合理的配慮、職場定着支援の言葉達。どれもこれも大学時代、耳にタコができるほど聞いたし、ペンダコが出来るくらい、必死になってその字面を書いた。

やっぱり「まさか自分が」と言う思いになる。使う側になるかもしれないなんて、授業を受けている時には全く想定していなかったから。でも事前に学んで知識として蓄えてあるおかげで、その話になっても、ビビらずにどんと構えていられた。それはよかったなと思う。

一通り話があった後で、「美咲さんはこれからどうしたいですか」と問われたので、「体力気力の面で今すぐに動くのは難しいと思っています」と今の正直な思いを吐露した。その答えにお二方はうんうんと頷いてくださって、「焦らなくていいですよ」と声を掛けてくださった。

専門支援の職員さんが先に退席されて、担当職員さんとの個人面談に戻った時も、その職員さんは私に「自分をいちばんに大切にして欲しい」と言ってくださった。「これから暑くなるし、今は少し休んでくださいね」「体力気力がない中でも今日、こうしてここに足を運んでくださってありがとうございます」とも。

そんな温かい言葉を掛けてくださるのが、私には勿体ないと思ってしまう。それでも心がぽっかぽかになったから、気持ちは正直なんだろうなと思う。

ふと、大学時代、卒論指導でお世話になった先生からの言葉を思い出した。そう言えば昨年の今頃、その先生に、当時正直にしんどい気持ちを伝えた時、「今は休んでくださいね」と声を掛けてもらったことを思い出した。

私、いつも色々な人から今は休んでねって言われる。休んでねって言われることは、普段頑張っていることの裏返しなのかな。その言葉、そのまま受け取っていいのかな。受け取りたいな。

でも脳裏にチラつくのは、ちゃんと勤労と納税の義務を果たしている、社会人のこと。どうしてもあの人達と自分を比べてしまう。私はどうしてこうなんだろうって。無職の無能。物事を要領よくこなせない、真面目が取り柄なんて、なんの価値もないのにと。

でも思う。その人達よりも私はずっとずっと、本当にずっと、これまで頑張ってきた自負があると言うだけ。それが過度になってしまったから、疲れてしまって、休みが必要なだけ。これは誰かが劣っているとか誰かが上だとかそういうのではなくて、私はってこと。

私はその人達から見たら、ただ怠けているように映るかもしれない。だけど、このどうしようもなく苦しくて、どうしようもなくしんどい気持ちはまた、同時にどうしようもなく目には見えない。

大丈夫。だって大学4年間、無理してでも頑張ったから。132単位取って、4年間で卒業できたんだから。

私自身、過去の栄光に縋ることほど嫌なことはないけれど、今だけはそれに縋りたいと思う。私は大学時代、幾度も死んだ。だけど周囲に支えられて、何度だって立ち上がって、卒業まで漕ぎ着けた。私はできるって証明書を、あの時確かに、手に入れた。

学士なんてどうでもよかった。夢なんて始めからなかった。絶対この職種に就きたいなんて、こんな専門職像で在りたいなんて明確な想いも何もかも、高3の時、入試面接の為だけに考えた建前だった。全てはくだらない幻想に過ぎなかった。私には、ここで4年間苦しんで、でも楽しんで、だから死なずにいられたって事実が、唯一無二で全て。それだって今は、過ぎ去ったこと。

頑張ることは華々しいけれど、それは時に脆くて儚い。誰かが頑張ることに対して否定はしないし、自分が頑張りたいと思うなら、頑張ればいいと思う。

私は今まで、よく頑張った。だけどやっぱり、度が過ぎた。結果、疲れてしまった。だから今は休む。苦しいと言いながら休む。休んだらきっとまた、立ち上がれる時がくると信じて。




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