見出し画像

自己否定が強い私だけど、

人から愛されているのを認めることが私はずっと怖かった。親から虐待されていないどころか、愛情受けている自覚はある。それなのに、その愛を受け入れられなかった。21年間、拒絶した。私なんかには、その価値は無いと。

小学生の頃、同級生からはいじめられ、中学時代、信じていた大人(担任)は、自身の過労とともに、半ば学級崩壊状態に耐え切れず、精神崩壊。壊れていくその様を直視するのは、筆舌に尽くし難いものがあった。その状態で担任が私にしてきた数々の言動に対して、私は裏切られたと感じた。ただそれでも、他の大人(教師達)にSOSを発することができなかった。言えなかった。勿論、親にも言えなかった。

気付けば、こんな自分なんかを誰も愛してくれないと、思い込むようになった。そうして都合よく、私は親からの愛を、突っぱねた。

でも大学に入ってから、私と友達でいたいと言ってくれる人、私の存在自体を肯定してくれる大人に、出逢えた。私みたいな人間にも、誰かに大切にされる価値があるんだって、その時初めて思えた。

私は両親のおかげで、経済的にも苦しんでいないし、何より衣食住が揃っている。それってすごく有難いこと。

それなのに。

私なんてさっさと死ねばよかったのに。なんて、ここ数ヶ月のうちに、身近な人を複数亡くした私が言うのは駄目か。前言撤回。せめて、私なんて存在したくなかった。

どうして22年間、そんな温室みたいな場所で住まわせてもらって、そんなこと思うかな。私なんかが、そんなこと思っちゃいけないんだよ。たかだか自分の自己否定が強いだけのくせに。ああでも案外、それが元凶なのかもしれないよね笑

面倒なんだよ私は。すぐ駄目だとか思って絶望感に浸って。弱いし。どうしようもないくらい弱い。何なんだよ。私は私に腹が立って、仕方がないんだ。

でも生きる。生きてればどうにかなるし、どうにかする。そう信じてる。だって、この厄介な自己否定が強くなったのって、別に私一人の責任じゃないと、今は思っているから。

私は基本、他責しない人間だけど、今くらいは、過去のトラウマの所為にしてもいいよね。

私は生きて、楽しいとか苦しいとか、ちゃんと自分の感情を受け止めて、自分と言う存在を、認められるようになってやる。皮肉だけど、自分の為でもあり、何よりそれが私にとっての、あいつらへの復讐だから。

読んでくださってありがとうございます。

また飲みたいなあ、タリーズのハニーミルクラテ。これ飲みながら書くと、執筆が捗るんです…!