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人は生まれたら死ぬと説きながら、私はしぶとく生きてやる。

人は死ぬために生まれる。おいおい、初っ端から何てことを言うんだと思われるかもしれない。しかし私はこれが本質だと思っている。生まれてきたら最後、理由は違えど必ず死ぬのが人間。この論理に抗える人間は誰一人として存在しないと。

なのにどうして私達はそんなに「死ぬ」ことを特別視する風潮があるのか。死について語ることはタブーでいけないことなのか。

誰もが経験することなのに。
全人類(主語が大きい)における、唯一の共通項だとも思うのに。


かと言って、特別な感情を抱かないと言うのもまた違うと思う。自分にとって大切な人、大好きな人、護りたい人が死んだら「悲しい」なんて言葉じゃ覆いつくせないくらいの悲嘆に暮れ、数えきれないほど様々なことを考えさせられるのだろうと「思う」。

思うと言うのは、私がそれを、本質的にまだちゃんと理解し切れていないから。生まれてこの方、身近な人間が複数人、天に召されたけれども。私は多分、社会が思うような「その時に抱くべき感情」をちゃんと抱けていない。俗に言う、サイコパスとやらなのかもしれないと時に思う。

今の私には、感情が無い。でもそんな私含めた人間の最大の特徴は、感情があることだと思う。こんなことを書くと「じゃあその根拠は?」なんて言われちゃうかな。大学時代の卒論執筆を思い出すなあ笑。楽しかったけどね。

あれ、今の私「楽しかった」って思ってるじゃん。感情あるじゃん。あれ?矛盾してるね。サイコパスじゃなさそうだぞ。

じゃあなんで、「死」に対してはそんな、ー素直な感情ーとでも言えばいいのか、一般的に「そういう時に抱くべき感情」を、一切、抱けないのだろうか。変に冷静で、俯瞰したようなものの見方をしてしまうのは一体、何がそうさせているのか。よく分からない。


だから誰にも言ったことがない。人が死んだとき、「ちゃんと悲しいと思えたことがない」なんて、言えるはずがないのだ。

故人の喪に服す時、そういう演技はする。周りの空気を読んで、そういう態度を取るようにしているし、社会一般の常識と言われるものや倫理には、反さないように心がけている。偉いでしょ。

叩かれそうだ、こんなことを書いたら。


分からないな、あの人やこの人の訃報を聞いた時、私はそこにいた誰より、取り乱したように泣いた。「悲しいと思ったことがない」、そう言うのなら、あの涙は何だったんだろうと思うよね。

だからと言って、演技ではないと思う。いや思いたい。私は私を演じることが得意だけど、あの時に泣いたあの感情は、素の私から表出されたもので、間違いないと思う。根拠はないけれど。

素の私の感情が表出するのは、本当にごくたまに調子がいい時。それと、媒体問わず「書くことをする」時。

それ以外の多くー体調が悪い時ー、私は、ーそれでも昔よりかは遥かにマシになったもののー、ほとんどの場面において、私は私を演じてしまう。その中で、私が私を演じなくていいのは深夜の自室、ベッドの上でさめざめと泣く時。


社会の一員として擬態しなくては、と思ってしまう。ただでさえ大学卒業後、4月から無職の私が社会に適応しているとは、どうしても思えない。それでも上述したことを思ってしまうのだから、どうにも矛盾している。

ただ、それでもしぶとく生きているんだぞ、と強い気持ちでいられる時がある。一転、どうしようもないほど落ちる時もある。そんなことを書いている今の私は、かぎりなく前者に近い。

と同時に、別に落ちてもいいじゃんと思う。落ちていいと思う。落ちればいいと思う。落ちる人は何度だって落ちるし、落ちない人は落ちない。どちらがいい悪いとかではなく、それがきっと俗に言う、物事に対する考え方とか捉え方、価値観の違いによるものだと思うから。


死ぬ過程だってそう。大往生の人もいれば、志半ばで、と言う人もいる。若者に多い自殺、高齢者に多い孤独死、他にも殺人とか。最近だと熱中症や水の事故。人の数だけ生き方があるのなら、人の数だけ死に方があるんじゃないのか。


何度だって言う。「哺乳類 霊長目 ヒト科 ヒト属」、ここに属す私達ヒトは生まれたら最後、例外なく死ぬ。

「正論は正しいけれど正論を言う人は正しくない」と言う意見があるから、私がこれを投稿するのは、間違っているのかもしれないし、場合によっては炎上するのかもしれない。

だけどこれだって多数あるうちの考え方の一つ、でしかない。もし炎上するのなら、社会の多数派と私個人の考え方に違いがあった、ただそれだけだと思う。



こんなことを考えながら生きている人間だっている。だから別に、あなたがどんなことを思おうと、自由だと思う。死にたいと思うのも悪いことでもなんでもない。ただそれを実行するのは、絶対に今じゃなくちゃだめ?




私はこの文章で誰かを救えるだなんて、そんな大それたことは思っていない。誰の為でもなく自分の為に書いているのが確固たる証拠。だけどそれでも、生まれたら死ぬと説きながら、私はしぶとく生きてやる。


読んでくださってありがとうございます。

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また飲みたいなあ、タリーズのハニーミルクラテ。これ飲みながら書くと、執筆が捗るんです…!