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笑って、愛して、生きる。


奇跡が重なる時ってあるんだな、と思う。

大好きな祖父が亡くなる数日前に
家族で祖父に逢いに行って
眠っていた祖父の顔をみんなで見て
病室を後にした時、
なんだかソワソワしてしまって
私はひとり病室に引き返した。

眠っている祖父の耳元で

「おじいちゃん、いつもありがとう。
大好きだよ」

って言った。そしたら、一瞬、祖父の目があいて、目があったような気がした。

病室を後にして、それから数日後に祖父は亡くなった。
葬儀と本番が重なっていたのだけど、
現場にかけ合わせて貰って
何とか納骨まで出席できたのは奇跡だと思った。

お通夜のよるに、泊まって、夜中、母と二人で祖父のところに顔を見に行った。
おじいちゃんの思い出は、全部、優しい。

助けて貰った記憶しかない。
私たちの事が分からなくなってからも
いつも丁寧な言葉で返事をしてくれて
本当に気品のある人なんだなぁって思ったの。


どこまでも、優しい、大好きな祖父。


祖父が亡くなった時に、やっぱり、やりたいと思ったんだ。生きる、演劇を。
“はら、はらり”という作品を。
(当時はまだタイトルがついていなかったけど)

愛する、ということを、私は両親と祖父母を見て、学んだように思う。
そして祖父母と父と私は血が繋がっていなかったことを29歳の時に聞いた時に、私は心底、人間を尊敬したんだよなぁ

笑ってしまったもの!

人間ってすごいと思ったの。肉親同士で殺し合うような痛ましい歴史、事件もあるけれど、赤の他人の私を、惜しみない愛情で育ててくれた、今も愛してくれる人たちがいること。凄いなって。私は気づかなかったもの。まったく。
祖父は本当に私を可愛がってくれた。

でも、ふと。

思う事がある。

もしも、もしも。祖父母や父から疎まれて育っていたら?邪魔な子だと、扱われていたら?

私は愛を、信じたろうか。

私は思う。生まれた時から愛を信じられない人間はいないと。環境が、ほんとうに大きいのではないかと。愛されて育ったと自覚している私でさえ、人間関係の色々から、負の感情は限りなくあったし、人間的欠点は沢山ある。
それでも、自分に対するYESが持てているのは、自分に愛を注いでくれている人達がいるからだと思う。


はら、はらりの作品の原案を書いている時に、
各キャラクター達の“愛”についての受け取り方の差を深く考えてみた。性格が良いとか、悪いとかじゃなくて、そのキャラクター達が愛についてどう感じて来たのか、という事。世界をどう見ているのかという事。


菩薩にも夜叉にもなるひとの心よ。

その辺りについて、どこかで詳しくお話したいなぁ。


🥀はら、はらり公式サイト
http://nettencom.xsrv.jp/haraharari/

🥀チケットご予約サイト
https://eplus.jp/sf/detail/3321430001

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