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作品が会話する展覧会⁉/「フィリップ・パレーノ展」@ワタリウム美術館

衝撃。まさか美術館に行ったら、作品が会話しているとは思わなんだ。森美術館「未来と芸術展」に行った時も、東京都現代美術館の「MOTアニュアル2019 Echo after Echo:仮の声、新しい影」を訪れた時も感じたことだけど、現代アートの展覧会ってこんなにも、ドキドキワクワクするものか!ディズニーランド、ハリウッド超大作映画、巨大音楽フェス、そういうものに匹敵する面白さだ。

場所は東京、青山のワタリウム美術館。オープンは1990年。現代アートの企画展を中心とする私立の美術館である。オープンまでの経緯や、代表的な展覧会については日東書院本社刊『夢見る美術館計画 ワタリウム美術館の仕事術』に詳しい(美術館かくあるべし!みたいなお説教臭さがなく、展覧会に込めた思いやエピソードについて克明に記された美術館好き必読の1冊!)。この本を読むとワタリウム美術館が、展示作品や作家を来館者にどう魅せるか、に注力してきたかがよくわかる。そしてその点において、いかにキュレーターの存在が大きいか、ということも。

事務やマネジメント、広報、輸送、展示など「なんでも屋」の学芸員とは異なり、展示のための調査研究や展覧会の企画を行うのがキュレーター。今回は「フィリップ・パレーノ展」と銘打っている通り、キュレーターあってこその展覧会である。ワタリウム美術館のHPによれば「パレーノの特徴は、映像、彫刻、ドローイング、テキストなど多様な手法を用い、展覧会を一貫したひとつのメディアとして捉えていること」だそう。果たしてその意味とは?

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美術館に入り、チケットを買った後、5~6人入ればいっぱいになりそうなエレベーターで2階へ。ドアが開く。何やらドンドン音がする。おまけにフラッシュの光が壁に反射して、チカチカと眩しい。自分の知っている美術館の雰囲気とは違っていた。奥へ進むと、大きなガラスの壁が立ちはだかっている。ガラス壁から伸びた電気コードの先には2台の透明なデスクライトがあり、そして……石⁉一体どういうことだ。さっきのドンドンが収まると、今度は台座に置かれた石から女性の声が流れ出し、それに答えるかのようにデスクライトがピカピカし始めた。

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これは「オブジェが語りはじめると」という副題の通り、作品同士が会話をしているのだ。どうやらカメラかセンサーが他の作品の発した音や光を感知し、共鳴する仕組みのよう。例えば、3階に設置された「マーキー」(白熱電球とネオン管が点滅する作品)というオブジェが音をたて、光る。それを感知した2階の「ハッピーエンディング」(透明なデスクライトの作品)が点滅する、といった具合。

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今まで見てきた作品は美術館や展覧会という文脈には属していても、物理的には接続せずバラバラに存在し、鑑賞者はそれぞれを味わっていたように思う。しかし「フィリップ・パレーノ展」では作品同士が繋がることで、展覧会という空間全体を感じるように意識が向く。「展覧会を一貫したひとつのメディアとして捉え」るの意味がなんとなくわかった気がする。

またそれらの作品は美術館の外を吹く風や、信号の変化など屋外の現象に反応することもあるのだとか。閉ざされた空間にいながら、作品を通して実は外の世界も感じ取っていたとは興味深い。

このようにオブジェたちは、人間がいようがいまいがコミュニケーションを続ける。反対に人がいても反応しない時もある。作品にとって、人間は関係の無いものなのかもしれない。もし明日、突然地球から人間がいなくなったとしても、この作品たちはきっと喋り続けているのだろう。そんなSFチックな光景を想像すると、ちょっとゾクゾクする。

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2階の作品でもう1つ忘れてはならないのが「リアリティー・パークの雪だるま」。といっても、私が訪れた時はすっかり溶けて、数10センチ程の氷の板になっていた。美術館には完成品が置いてあるものだと思っていたので、現在進行形の作品は新鮮。リピーターはきっとこの雪だるまを見て、時間が過ぎゆくのを感じたことだろう。

時間の変化といえば、今回の展示は昼間と日没後に訪れるのとではだいぶ違った雰囲気になるらしい。言われてみると、照明の数が少なかった気がする。残念ながら私が訪問したのは最終日だったため昼間の様子しか見ることができなかったが、そうした時間によって変わる展覧会の顔を楽しんでもらうべく、期間中何度でも出入り可能な「フィリップ・パレーノPass」なるものも用意されていたらしい。キュレーターはもちろん、美術館のパッションが感じられる、そんな展覧会でした。

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