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美術館が提示する、未来の生活とは。/未来と芸術展:AI、ロボット、都市、生命――人は明日どう生きるのか@森美術館

未来を展示するって矛盾してない?「未来と芸術展」の存在を知った時、私が思ったこと。まだ存在していないものをどうやって展示するのだろう。このままでは眠れない!

美術館に行こう、とだけ伝えてあとは何も知らない友人を連れて、週末、森美術館へ繰り出した。

最初の展示「都市の新たな可能性」で、早速友人はポカンとしていた。無理もない。美術館と言えば、額縁に入った絵画が壁に並ぶ光景を想像するはず。しかし、そこにあるのはCGで作成された未来の住居のイメージ画像や、プロジェクトの解説動画、模型の数々。これってアートなのか?という疑問は抱きつつ、海上、砂漠の中、さらには空中など、SF映画で見たような都市が、実際に構想されているということがわかり、ワクワク。

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個人的には千葉工業大学の学生さん作の、レゴブロックでできたビルの模型が興味深かった。ビルを外の世界に開く、つまりビルの表面積を増やすために、よくある直方体ではなくて、穴が開いたり、途中でいびつな出っ張りがあったり、不思議な形をしている。もちろんそれも面白いけど、まさかおもちゃのレゴブロックで建築の実験をするとは。レゴブロックもビックリしただろう。


つづく2つ目のゾーンは「ネオ・メタボリズム建築へ」。う~ん、難しい!一般の展覧会でも哲学的で解説が何を言っているかよくわからない、ということは多々ある。今回はそれにプラスして理系の横文字ことばがわからず、さらに難解。


ざっくり言うと「メタボリズム建築」とは、従来のような一度作ったらおしまいの建築とは異なり、社会や環境の変化に合わせてフレキシブルに変化させていくものらしい。未来の建物は壁面が巨大なビジョンになっていたり、メカニックに発展していくものをイメージしていた。まさか植物や菌類と建築が融合し、建物自体が成長していく未来があるとは意外!


都市や建築など「住」の展示が続いて、3つめの「ライフスタイルとデザインの革新」以降は、「衣」「食」や「身体」の未来がテーマに。ここから毛色が変わる。倫理感が揺さぶられる展示が増えてくるのだ。そのため、展示が示す未来像に段々恐怖感、もしくは嫌悪感を抱き始める。

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食糧不足の対策としてゴキブリを昆虫食に変える「ポップローチ」。ラボで製造された生きる「培養ミート」の踊り食い。人間とオランウータンの交配によって生まれた子ども。運動能力向上のため鼻にピンを埋め込む外科手術を施された子ども。孤独死する前に腕を優しくさすって声をかけてくれる「末期医療ロボット」等々。果たしてそんな未来が来て欲しいんですか?と、これでもかというくらい気持ちを揺さぶってくる展示が続く。かなりしんどい。

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特にAIがアメリカの政治に関するツイートを自動で作り出す「私たちと彼ら」、同様にAIが実在しない美しい山々や海、宇宙などの風景を自動生成する「深い瞑想:60 分で見る、ほとんど「すべて」の略史」はゾッとした。いずれも無料のフォトストックサービスの画像から作られた架空の人物や風景なのだが、ぱっと見それがわからない。ついつい本物だと信じて、反応してしまいそうなほどよくできている。でも実際はAIが作る虚構。感動って何だろうと、クラクラしてきた。

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ひととおり見てわかったこと。ここで展示されているものは未来ではなく、未来はこうなっているかもしれない、という可能性を示唆する「作品」。思うにこの「作品」というところが「未来と芸術展」のミソ。「作品」である以上、作り手の意図が含まれている。

ただ可能性に満ちた未来を紹介するのではなく、批判的に未来の生活を「描き」、鑑賞者に問いかけてくるのだ。


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