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Paris 25

 ラマダンの夜の神秘的な空気に感化されて、ついにこの男も気が触れてしまったかーー。新しい遊びを発見した幼い子どものように楽しそうな瞳が、暗闇でギラリと光ると、純粋さを変形するまで煮詰めたかのような狂気をそこに感じた。しかし同時にそれは何の変哲もない見慣れた瞳でもあった。そうか、この男は現代のヒッピーであった。奇抜な行動は今に始まった話ではないではないか。

 ところで、私は肝試しが嫌いではないが、得意でもなかった。たとえ廃墟にたどり着いたとしても、入口を少し入ったあたりで、その奥に潜む恐怖を覗き込みながら肌をかすめるスリルを楽しむのが精一杯だ。それは動物園の檻にギリギリまで近づいて、すぐ目の前にいる猛獣を眺める行為に似ているかもしれない。私にとっては、入口から先の暗闇は本物の暗闇で、檻の外ではなく内側なのだった。

 したがってヨナスのその発言は、私の解釈では「猛獣たちと触れ合うために檻の中に潜入しよう」と誘っているに等しかった。もちろん、旅をしている以上、やむを得ず猛獣の蠢く中を通りすぎることや、檻の中で息を潜めて過ごすことは今までにもあった。しかしなぜわざわざ檻の鍵を外から開けて入らなければならないのだろうか。ラマダン月の、深夜の、寂れたバンリュー。チキン・レースは断崖絶壁に向かって車のアクセルを踏み込み、どこまでブレーキを踏まずにいられるかを競うゲームだ。このまま行くと崖の向こうの水面が見えそうである。

 私はヨナスにフランス語の一文を正確に伝えた。面倒ごとになる心配はあったが、とってつけた発音ではまず伝わらないだろうと思った。それはそれで面倒ごとになる可能性がなくはないのだが、そこまで憂慮する必要は感じなかった。英語で話しかけたとしても、大して相手にされることもないだろう。フランス、特に郊外では英語に明るくない人も多く、そういう相手に英語で話しかけても暖簾に腕押しなのは常識だ。

 1メートル90センチを超す男が急に近づくと若者たちはやや警戒したようだったが、しばらくして会話が終わると、ヨナスは目を輝かせて戻ってきた。若者のひとりが「あっちの団地に行けば手に入る」とフランス語訛りの英語でヨナスに伝えるのが聞こえていたので、私はすでに気が重くなっていた。あっちの団地って、あの薄暗がりの路地裏の向こうに広がる団地群のことだろう? あれは昼でもなかなか足を踏み入れられないぞーー。

 潜入しよう、いや引き返そう、の押し問答はヨナスを先頭にして歩きながら行われた。つまり、押し問答の答えはその始まりからすでに決定していた。低く抑えた声で会話をしながら、薄暗がりを東へと抜ける。いかにも、ひとつの行動の是非を論じているあいだに、私たちはすでにその行動を実行してしまっていた。

続く

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