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Paris 23

 数々のレストランが立ち並ぶ街の一角、賑わうカフェのテラスでアペリティフを啜りながらその晩を過ごす店を考えては迷う夕暮れは、遠い花の都まで長い時間をかけてたどり着いた私たちが受けることのできる恩恵のうちのひとつだろう。しかしその晩の私たちは、やや趣の異なる楽しみを選ぶことにした。郊外の寂れた地方都市のような雰囲気をまとったガブリエル・ペリの街にメトロで戻ると、数本のワインを買って宿へと帰り、ジャケットからラフなパーカーに着替えた。

 夕食の時間のリビングは賑わっていた。そこにはチェックインのときに顔を合わせた、路上美容師を営みながら旅を続ける青年の姿もあった。シェフ、アーティストの青年に女性、バックパッカーたち、皆が揃って宿で夕食を摂るようだった。良い夜になりそうだ。私はこの宿に滞在するうちに、日本を出てパリまで来ている彼らに興味を抱き始めていた。一度飲み交わしてみたいと思ったのだった。

 彼らはやはり個性派揃いだった。なかなか聞くことのできない話が食卓の上を飛び交うと、各々のグラスは次々と空いていった。しかしずば抜けて常軌を逸していたのは、いかにも、アムステルダムから私と共に旅を続けているヨナスだった。宿へと帰ってきた私たちが目にしたのは、半年は伸ばしっぱなしだったであろう長髪と髭を短く整えたヨナスの姿だった。

 どうしたんだ、と私は聞いてみた。ヨナスは特に何も言わず、良いだろう、とでも言いたそうな表情をこちらに向けてくるのみだ。不思議に思っていると、美容師の青年が口を開いた。

 「ヨナスの髪が伸びっぱなしだったから切ってあげたよ。明日、モデルの面接を受けに行くって言ってた」

 なるほど、と相槌を打ちそうになったが、一呼吸置いて、いや待て、と笑いがこみ上げてきた。またヨナスの得意の冗談だろうか。一週間前までアムステルダムの公園でウィードを吹かしながら野宿をしていた人間がモデルになるとすれば、それはすごい話だ。そもそも、パリのモデル・エージェンシーがタイミング良く明日にオープン・コールをしているのだろうかーー。私は考えることを放棄した。ただただ、愉快な気分に包まれているのみだった。美容師の青年の仕事は素晴らしいもので、その短髪はヨナスに良く似合っていた。言われてみれば、上背も顔つきも申し分ない。なんだか受かりそうだ。私は祈願の杯をあげた。もちろん、二杯、三杯、四杯とーー。

続く

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