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#7 【読書感想文】 日本史を暴くを読んで...

はじめに

陋習(ろうしゅう)と申します。拙い文章ですが、読んでいただけると幸いです。可能な限り、心のままに、素直に記すことを目標にしますが、人間ですので見栄を張ったり、誇張したりするかもしれません。それも良しなのかもしれません。一般常識を鑑みるとともにご覧の皆様に配慮しながらも自身の思いを述べようと思います。

日本史を暴く〜戦国の怪物から幕末の闇まで〜とは

国際日本文化研究所センター教授であり、「武士の家計簿」で一躍有名になった磯田道史さんが書かれ、中央公論新社が2022年11月21日に発売をした書籍です。

中央公論新社のHPでは以下のような説明がなされています。

歴史には裏がある。古文書を一つずつ解読すると、教科書に書かれた「表の歴史」では触れられない意外な事実が見えてくる。明智光秀が織田信長を欺けた理由、信長の遺体の行方、江戸でカブトムシが不人気だった背景、忍者の悲惨な死に方、赤穂浪士が「吉良の首」で行った奇妙な儀式、漏洩していた孝明天皇の病床記録......。古文書と格闘し続ける著者が明らかにした、戦国、江戸、幕末の「歴史の裏側」がここにある。

中央公論新社

日本史を暴く〜戦国の怪物から幕末の闇まで〜を読んだ感想

 ようやく磯田先生の感想文を書く機会に恵まれ、非常に嬉しい。立て続けに(そんなこともない)東京大学の本郷先生の著書の感想文を書いたが、ようやく磯田先生の著書を取り上げることができる。
 そして、大変恐縮ではあるが、磯田先生の文章、強いては磯田先生の魅力は人間らしさが垣間見えることと一次資料で得た情報をわかりやすく我々読者に伝えてくれることである。人間らしさが溢れ出ている場面としては、先生が出演したラジオで教授会に出ていると地方の遺跡で行われる発表会に行けないんだ!なんて言っていてなんとも自分の感情に素直だなと思わされる。もちろんのこと、研究者として特定の分野について研究をされているものの、著書を読んでいると関心が様々な事象に移り変わる。そんなところも教授といえども人間なのだなと思ってしまうとともに、親しみを感じる。一方、一次資料に関しては、他の歴史学者の方も同様に一次資料、すなわち古文書を読み、現代語訳している方もいらっしゃるが、磯田先生はとりわけ知識の乏しい私でも理解できるような文章を書いてくれているなと感じる。私自身、まだまだ知らない作品ばかりなので磯田先生と並ぶくらいわかりやすい歴史本があるかもしれないので、言及はここまでにしておく。

徳川家の人事制度
 本文に関して、特に印象に残った節をいくつか取り上げて、感想文としたいと思う。まず、初めに第2章の「三代・徳川家光の女装」というお話である。三代将軍の補導役であった青山忠俊という大名が家光を注意したところ、改易になってしまったという内容なのだが、ここで紹介されている徳川の人事に関する慣例が興味深い。磯田先生曰く徳川の人事は異なる性格の人物を混ぜて配置する。そして、実際、家光の補導役として選ばれたのが、重厚感があり無口な酒井氏、厳しく直言する青山氏、優しく導く土井氏といったような構成であり、「重・硬・軟」を組み合わせた人選であった。二百年を超える時代を築いた徳川政権から学ぶことはたくさんあり、このような人材配置はその一つなのかもしれないと思った。

現代における天皇の譲位
 次に、第2章の「新開発の退位儀式」というお話である。ここ数百年事例がなかった天皇の退位と即位の儀式について、実際に研究者が過去の事例を踏まえて言及するということ自体が前提として面白いのだが、特に面白いのは前回の譲位儀式をそのまま踏襲すると、現行の憲法に適さないということである。読み進めていく中でなるほど!と思ってしまった。そういう視点もあるのか!と。天皇の譲位とは話は違うが、昨今の技術革新や地球環境の変化などに伴う旧来の政治・経済システムの限界を感じる中で、果たしてどのような形が良いのか、答えはあるのかというのは少しだけ考えるところである。資本主義でなければ、社会主義でもない。民主主義でなければ絶対君主または独裁でもない。二者択一ではなく、ちょうど良いものはあるのだろうか。刻々と変化する中で、時代に合わせて変化し続けることの大変さを少し感じた。

幕末維新の舞台である茶室の解体
 最後に、第3章の「薩長密談の茶室を救う」というお話である。磯田先生が取り壊し予定だった茶室を市長に働きかけて解体を中止したという内容なのだが、この話を読んで考えさせられることは2つある。1つ目は価値をどう評価するのか。2つ目は働きかけられる人とはどんな人か。1つ目に関しては、今回の茶室に限らず様々なモノや空間、場所などに対して言えることである。側から見ればただの狭い部屋でも歴史に関して知識がある人であれば、幕末の激動の中でキープレイヤーとなる西郷や大久保、岩倉が使用した由緒ある茶室であり、価値があるのである。全ての人にとって価値があるものなど命や水など限られている。限られた空間、時間、お金の中でどのように価値を評価し、残していくのか。難しい問題である。そして、2つ目に関しては、今回のような事象は磯田先生のような人だからできたのか、別の人物であってもできたのかということである。磯田先生は研究者であり、専門家である。また、世間一般からも認知されている売れっ子作家でもある。一定以上の能力と影響力を持っている人物と言える。そんな人物だからこそ、市長に掛け合って茶室の解体を止められたのだろう。それでは専門家でもなければ、世間に対して影響力もない人が茶室の解体を止められたのだろうか。それは違うだろう。磯田先生も並大抵ならぬ努力を積み重ねてきたからこそ、今の立場があるのは重々承知している。このように誰かに何かを働きかけられるような人になる、そのような立場に行き着くには時間と労力がかかるのである。

終わりに

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
今回の文章ですが、これまでとは異なり、「だ・である」調で書き進めてしまいました。磯田先生の影響をふんだんに受けておりますが、ご容赦ください。今後も磯田先生の著書の感想文を書いていけたらと思っております。次回はもう少し間隔を短くして投稿できればと思いますので、よろしくお願いします。

最後に、名前の陋習ですが、意味としては悪い習慣のことを指します。
なぜ、そんな名前にしたのかって?それは私の陋習が続けないことだからです。すぐ飽きてしまう私への戒めなんですね。ある意味、日記として書き続けられるように願います。

また、次のnoteでお会いしましょう。

陋習

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