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【エッセイ】モヤモヤの正体とは、/ ネガティブ・ケイパビリティ(帚木蓬生)

モヤモヤ
 
本を読むようになって、1年ちょっとが経過した。読んだ本は100冊を超えたくらいだろうか。悲しいことに自分自身は何も変わっていない。
 本を読んだ直後は、武器を手にした戦士のように戦おうとするが、しばらくすると、その武器は跡形もなくなくなっている。すなわち、戦士である自分自身は何も成長していないのだ。
 このモヤモヤを脱却すべく、友人におしえてもらったnoteで、文字にしてみるが、まるで書けない。虚しさが募るだけである。

 そんな私を擁護してくれる一冊に出会った。ネガティブ・ケイパビリティ(帚木蓬生)である。
 ネガティブ・ケイパビリティについて、著者は以下のように述べている。
「どうにも答えの出ない、どうにも対処しようない事態に耐える能力」あるいは、「性急に照明や理由を求めずに、不確実さや不思議さ、懐疑の中にいることでできる能力」。

 ヒトの脳には、困惑状態を回避すべく、目の前の事象に対して、とりあえず意味付けを行い、「分かろう」とする。ハウツーが歓迎されるのはそためである。マニュアルも同様に重宝される。なぜなら、その都度、悩む必要が無くなるためである。
 ネガティブ・ケイパビリティはこの反対側にある考え方で、論理を離れた、どのようにも決められない宙ぶらりんの状態を回避せず、耐え抜く力である。
 この能力により、表層の問題のみを捉えて深層の問題は浮上させずにとり逃してしまうことや、「分かった」つもり理解が、ごく低い次元にとどまってしまい、より高い次元まで発展しないという事態を避けることができる。

 私は、この言葉により一層読書がしやすくなったと感じている。即座に結論を求めず、同じような本を複数読み、ぼんやりとした結論にとどめておくということである。先述の戦士の例でいうならば、武器で筋トレするような感じである。
 読書以外にも「どうにも答えの出ない、どうにも対処しようない事態」というのは多々あるように思う。
 今後も、モヤモヤの度にネガティブ・ケイパビリティを思い浮かべながら対峙していこうと思う。

 しかし、これによりモヤモヤに対する結論が出てしまったのか??


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