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天才小説家が考える「第一級の知性」を手に入れる方法とは!?

もうすっかり寒くて年の終わりも近いですが、皆さん今年はどこか旅行に行かれたでしょうか。
私は夏に友達を訪ねて札幌に行きました。前回札幌に行ったときはあらゆるものが美味しすぎて太って帰ってきたのですが、今年はちゃんとセーブした結果太りませんでした!北海道は食べ物が美味しすぎて困っちゃいますね。

友達と食べたいくら丼。ストップと言うまでいくらをかけ続けてくれました。

あらためまして、皆さんこんにちは!ランスタッドの人事本部ダイバーシティ&インクルージョン担当のみやぎです。

皆さんは今年中に本当はしたかったけど、できなかったことはありますか?

今回は、私が今年もっとやりたかったなと思う「読書」を振り返りながら、私が特に好きな小説家のエッセイを読んで印象に残った「第一級の知性」についてのお話をしたいと思います。

過去に読んだ『白鯨』をもう一度読みかけて、小説について考える


私はもっと本を読みたかったなと思います。夏に札幌旅行をしていた頃は、海の小説を読みたいと思って、一度読んだことのある『白鯨』という小説をもう一度手に取ったのですが、あまり読み進められませんでした。

『白鯨』プチ紹介
この小説はアメリカ文学の古典で、映画の『バケモノの子』や『ワンピース』など、色んなフィクションに引用される形で出てきます。
スターバックス・コーヒーの名前も、この小説に出てくるスターバックという冷静で賢い航海士の名前から取られているそうです。
雄大な海を感じさせてくれる、色んな意味で懐の深い小説です。興味がありましたら是非読んでみてください(ちょっと長いですが)!

働くようになってからは時間が無くそんなに読めていませんが、学生時代はずいぶん本を読んでいました。暇があれば読んでいるという感じで、他の勉強がおろそかになるほどでした。
大学のゼミの先生が仰るには、私は文学の神様に愛されているそうです。そんな大げさなと思いますが、そうかもと思えるような出来事もありましたし、そう言ってもらえるくらい本を読んでいたのかもしれません。

美しい文章と人生に対する観察眼が魅力のスコット・フィッツジェラルドという小説家


すこし話が変わりますが、この前好きな小説家が書いたエッセイを読んだ時に、印象に残った文章がありました。

このエッセイはスコット・フィッツジェラルドという、アメリカを代表する小説家が書いたもので、邦訳『壊れる』というタイトルです。なんかちょっと暗いタイトルですが(笑)

フィッツジェラルドは『グレート・ギャツビー』などの傑作を生み出した人で、日本でも村上春樹などを始めとして、多くの人や分野に影響を与えている作家です。
身近なところではGATSBYというこの小説に由来するヘアワックス(CMが印象的です)なんかもありますので、それを使っている方はこの作家に間接的にお世話になっているともいえるかもしれません。

彼の小説は人や人生の有り様や真実を夢のように美しく描くことが特徴で、私はそんな彼の小説が好きです。
そして、肝心の今回私が気になった文章は、「第一級の知性」とは何か?というお話です。

第一級の知性とは、自分を批判し、軌道修正していく力のこと

「第一級の知性の資格は、二つの対立する観念を同時に抱きつつ、その機能を十全に果たしていけることにある」(村上春樹訳)

村上春樹編訳(2019)『ある作家の夕刻 フィッツジェラルド後期作品集』中央公論新社

いきなりそんなことを言われても、これはつまりどういうこと?という感じですね。

色々な考え方ができますが私なりの解釈の一つでは、「自己批判ができて、自分で軌道修正ができること(=第一級の知性)」だと考えています。

例えば、企業の経営方針や国の政策で、「Aの方向が正しい」という考えを強く持つ人がいるとします。
しかし、Aの方向は実は危険かもしれません。あるいは、Aの方向がいつか時代遅れになるかもしれません。
そこで必要になってくるのは「Aの方向ではなくBの方向が正しい」という、当初の考えに相反する考えです。

つまり「自分の基本方針」と「その基本方針と対立する考え」を同時に持つことで、人は常に自己批判することができ、自らが何かで間違いそうな時も、自分で軌道修正できるということです。それがここで言われている「第一級の知性」の例ではないかと思います。

でもこんなの大変ですよね。自分で自分を批判し続けるのも大変だし、なんだか迷っちゃいそうだし。無理にやると自分が分裂しちゃいそうです。
なので1人で無理にやるものではないと思います。第一級の知性なんて言われると何だか憧れますが、自分を大切にすることが一番です!

ひとりで軌道修正を図ることは難しくても、チームでならできる


これを1人でやるのは無理でも、他の人と一緒だったらどうでしょう?

例えば会社、職場の自分のチーム内に自分とは異なる考え方や属性を持つ人が多くいて、その人たちがきちんと意見を言える環境だったら?
何か1つの間違った方向に行ってしまっても、それを批判して方向転換ができるのではないでしょうか。

はい、実はこれは、私が担当しているダイバーシティ&インクルージョンについての記事なんです(笑)

ダイバーシティとは、様々な考えや属性の人が同じ場所にいること。インクルージョンとは、その多種多様な人々が自分の考えを述べたり、その場の方針を批判できたりする上で、きちんと組織としてまとまっている状況のことだと考えています。

つまり、ダイバーシティ&インクルージョンが浸透した組織というのは、ここで言う「第一級の知性」を持つ組織なのではないかと思います。

日本の企業はかつて同じ属性の社員ばかりの、とても同質性が高い組織を構成することで、同じ方向を向いてがむしゃらに働き続け、それが当時の時代に合って経済成長しました。
しかし今はVUCAとか、不確実性の時代と言われる社会になり、「1つの方向」だけを向いていると間違う可能性がかなり高くなっていると思います。

人生における決定だってなんだってそうだと思いますが、「思い込む」というのは非常に怖いことだと思います。自分がよく分かっていると思う分野だって、思わぬ落とし穴があるかもしれません。

今回の記事が「多様性」を考える何かしらのきっかけになれば良いなと思います。
また何か思いつきましたら記事を書きますので、その時はよろしくお願いします!


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