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水玉消防団ヒストリー第7回 1979―田島ヶ原フリーコンサート

取材・文◎吉岡洋美
協力◎高沢正樹
 
 フリースペース「JORA」の昼間、借り手のない場所と時間を持て余し、「何かやるなら、ロックバンドがかっこいいんじゃない?」と78年秋、ほぼ思いつきで楽器が弾けない4人の女性と友人1人で結成された「水玉消防団」。とりあえず『You really got me』『Jumpin’Jack Flash』『心の旅』のレパートリーが出来た時点で、結成から1ヶ月後の12月、早くも友人たち50人あまりを集め、JORAでデビューライブが決行された。
天鼓「ギターやベースのチューニング、曲のテンポなんか、どれだけ時間をかけても一向にまとまらない。なのに、『もう3曲も出来るんだからお披露目しないとね』というところでは話はまとまる(笑)。それぞれ皆、人生経験はソコソコあるものだから、そういう場合の機動力はある。まあ、曲の出来不出来なんか二の次(笑)」
 ちなみに“人生経験はソコソコある”という、そのとき天鼓は25歳、可夜、まなこ、みやもとSANの3人は29歳、最年少のカムラは23歳。友人の前とは言え、楽器未経験から1ヶ月後に人前でライブすることを「ひるむ人なんて誰もいない(笑)」(天鼓)。
 その初ライブは、やはりロックにあまり馴染みのないホーキ星の仲間たち等を前にレパートリー3曲を披露後、アンコールが起こり「山のように花束をもらった」(天鼓)という盛り上がり。
カムラ「衣装なんか作って完全に身内ノリの発表会、学芸会。アンコールと言っても3曲しかないから、また同じ3曲を最初から繰り返すという(笑)。それでもホーキ星の友達に『キャー、カムラかっこいいー』みたいなことを言われていい気になり、“ライブいいじゃん、面白い”と(笑)」
 

「原曲なんか知らねえや」の日本語歌詞


 
 これを皮切りにJORAは水玉消防団の隔月ライブの場ともなり、さらに昼間は「ドン・キホーテ的な見当違いの生真面目さで」(天鼓)、ひたすら自分たちの流儀に則ったバンド練習に励む毎日。持ち曲を増やすべく新たなカバー曲に挑みながらも、カムラ言うところの「5つのコードは1~2のコードにグレードダウン」は相変わらずである。それにも増して、実は歌詞も最初から“水玉流儀”だった。『You really got me』も『Jumpin’ Jack Flash』も原曲の英語歌詞を歌うのではなく、和訳。というより、原曲からインスパイアされた日本語歌詞を自由に作り歌っていた。
天鼓「やっぱり英語で歌うのもなんだし、人が書いた歌詞を自分が歌うのは難しい。で、歌う人が歌詞を作る。実は最初は全員がそれぞれ歌ってたんですね。私が言ったんですよ、『ひとり1曲ずつ、自分で歌詞を作って歌ってみて』と。誰にどんな能力が隠れているかわからないじゃない?」
 そうして新たにレパートリーに加わったのは、ロックに鼻が効くカムラがJORAに持ってきたパンク、ニューウェイヴ系の音源からパティ・スミスやトーキング・ヘッズ、デヴィッド・ボウイのカバーしやすそうな楽曲等々。
カムラ「皆、パティ・スミスは好きだったよね。私もパティ・スミスの歌を一応直訳してみて、さらにそれを意訳し、そこからさらにアレンジして日本語の歌詞にする。ボウイも同じ。元の訳詞を参考にリライトして超カムラ解釈で詩にして歌う。で、それをどっちみち1~2コードにするんだから“もう、原曲なんか知らねえや”って感じ(笑)。そこに見様見真似の天鼓のドラム、私の何を弾いているかわからないベースがくっつく。カバーだか何だかわからない(笑)。元の曲が何かなんて、分かった人はほとんどいないんじゃない?」
 

田島ヶ原フリーコンサート


  では、実際どんなカバーだったのか。実は当時の音源が残っている。79年9月、水玉消防団が野外フリーロックフェス「田島ヶ原フリーコンサート」*に出演した際のライブを、当時記録した約45分の最初期水玉流カバー11曲である。「JORA以外では初めてに近いライブ」(カムラ)という、この音源を筆者は聴く機会を得たのだが、これが……恐るべきパワーとオリジナリティに富んだカバー・ライブ。カムラは「まだ身内相手の学芸会の延長」と自嘲するが、既に水玉消防団の原型をなす唯我独尊、自由さがいかんなく発揮されている。
 まず、まなこを除き、メンバーが代わる代わるリードボーカルをとる歌の強さたるや。確かにパティ・スミス、デヴィッド・ボウイ、トーキングヘッズなどが全曲日本語歌詞で歌われるものの、カムラの言葉を借りれば「原曲もヘッタクレもない」。例えば、天鼓担当のパティ・スミス『25th Floor』は原曲からインスパイヤーされて「電気ショック」**と改題され、もはや自作の如く自分の言葉で歌い叫ぶ。カムラが担当したボウイの『ジーン・ジニー』は新宿のグルーピーの少女の歌になり、驚くほどケレン味のあるボーカル。さらに、2コードで「新生児の子どもがぶくぶく生まれる」とシュールに歌うナンバーはローリング・ストーンズの何かが原曲だろうが、原型を全く留めていない。みやもとSANはボウイの『Rebel Rebel』をドスの効いた声で「お前は自由!」と凄む。天鼓曰く「歌詞が怖くて凄すぎる」という可夜担当の『You really got me』は「ねえ、2人きりなの、とても素敵な夜だわ。ねえ、わかってるでしょ、私待ちきれないのよ」と、低音ボイスで呪術の様相。
 そして、これらにバッキングと言うにはリード並みに主張の強いコーラス。キーボードが曲の辻褄をかろうじて合わせながらも、メロディーと噛み合わないコード進行。しかし、腰が引けた音ではなく、さらにこれらを凌駕するボーカルとアクの強い歌詞で、ストーンズもキンクスの名曲も「カバー」というより全て「叩き台」に成り果てたと言うほうが正しい。

1979年9月16日当日の「田島ヶ原フリーコンサート」での水玉消防団メンバー。〔上〕左からみやもとSAN、カムラ、まなこ※、〔下〕左から可夜、天鼓[撮影:高沢正樹(※を除く)]


 いみじくもライブの途中、天鼓がMCする。
「思った以上にロックを演奏するのは難しいと思いながらも、グイグイこういうところに出てくる根性だけはある。上手いだけがロックじゃない! そういう感じでやってます」
 こう言ったあと、ラモーンズ並みのカウントと歌い出しで始まった天鼓の『心の旅』は、歌詞こそオリジナル通りとは言え、メロディーも速度も全て原曲を無視した想像を超える高速絶叫バージョン。テクニックを上回るスピリット、衝動、メンタルの強さがそのまま音をはみ出させたような歌と演奏は、つまり、本人たちが意識せずともパンクそのもので、爽快感さえ覚えてしまう。
 

当日の水玉消防団ステージ。彼女たちに演奏をレクチャーした高沢正樹氏が参加するウラ ワ・ロックンロール・センター(URC)が、このときコンサートに協力、ほとんどのバ ンド・セレクトに関与した。「もともとURCのバンドのセレクトは、テクニック面はあ まり問題ではなく、音を出す姿勢や人品骨柄が重要で、さらに一貫して女性バンドを応援 するという方針もあった。それに加えて、この“田島ヶ原〜”は極めて解放感の強い=包容 力のある野外フリーコンサートだった」(高沢)ことが、結成1年も経たない水玉消防団 の出演につながったのではと推察される。
[撮影(3番目):高沢正樹]

 事実、このライブ時、彼女たちのメンタルの強さと音楽知識がいかに反比例していたか、メンバー間でも語り草になっている話がある。
カムラ「ステージのライブ機材のことなんか誰も知らないから、ライブ前、モニタースピーカーを『邪魔だからどけて下さいよ。どうしてこんなもの置くの』って、私たち、スタッフの人たちに文句を言ったのよ」
天鼓「『足元に邪魔よ、何なの? この黒い箱は』って(笑)」
カムラ「そう言われて、『モニターなんですけど……』って、皆、怪訝そうな顔をしてるんだけど、私たちは態度だけはもの凄くデカくて有無も言わせない威圧感。結局、スタッフさんは全てのモニターを仕方なくステージから降ろして(笑)。当然、本番は音が聞こえず、演奏のあと今度は『何も音が聞こえなかったんだけど』と臆面もなく文句を言う。もう、ほとんどヤクザ(笑)。あのときの皆さん、本当にすみませんって感じ。でもね、当時そんな無知蒙昧をものともせずライブするという、それが凄かったとは自分でも思う」
 
 ロックも音楽知識も持ち合わせないからこそ、自分たちの軸で突き進むし、誰かが作った流儀に合わせる発想もない。判断基準は自分たちが、楽しいか楽しくないか、面白いか面白くないか。「メンバー皆、(音楽で)どうにかなろうという強い志はなかったけど、音楽が楽しくて、皆でいつもガチャガチャなんだかんだとやってたのが面白くなった」(カムラ)と、JORAの経営と並行し、メンバーは気づけば自分たちのやりたいように音楽を試す水玉消防団にハマっていた。
天鼓「当時、お金はなかったけど時間と体力はあった。毎日毎日練習して、ああだこうだとメンバー間で果てしないバトルが続くわけですよ。でも、それこそが最高に面白いことだった。例えばゲーム機なんて触ったことのないメンバーが集まって、それぞれに『こうやって遊ぶんだよ』『いやいや、こうやるんだよ』『違うよ、ここを押すの』と、自説を言いはじめ、結局誰も知らないからやりたい放題。大騒ぎのうちに気づいたら“新しいゲームのやり方、作っちゃいました!”みたいな展開になってる」
カムラ「大体、誰かが誰かを音楽的に批判する知識を皆、持ってないし、リーダーもいない。集まって出してみた音がどうかなんて、誰も大して気にしていなかったし、結果に何も重きを置いてなかったよね。だけど、スピリットだけは強い。多分、当時のパンクバンドって、皆、それで上手くいってたんじゃないかな。だから、水玉消防団もパンクを目指してたわけじゃないのに、ほどなくしてパンク・シーンにすんなり一致した」
天鼓「 “楽器のテクを磨きたい”“売れたい”“有名になりたい”みたいな目的が何ひとつなかったし、そういう一般レベルで考えることすら出来ないくらいまっさら。何も知らない、出来ない、分からない状態。メンバーの中に一人でも音楽の出来る人が混ざってたら、結構つまらないことになってたかもしれない」

JORAで定期ライブを行っていた79年頃の楽屋でのメンバー。〔上〕カムラ(左)とまなこ、〔中〕みやもとSAN(左)、〔下〕可夜(左)と天鼓、右端にライブ共演した中山ラビの姿も。

 

ゼルダ、小嶋さちほの来訪


  そうした勢いのまま、JORAでの隔月ライブや知り合いの誘いで学園祭のライブもちらほら行うようになった79年末のある日、一人の女性がJORAを訪ねてきた。手にはミニコミ誌を携えている。
 その女性とは、当時パンク、ニューウェイヴのミニコミ誌「CHANGE2000」を主宰し、自身も日本のガールズパンクの草分け「ボーイズ・ボーイズ」から、新たなバンド「ゼルダ」を結成したばかりの小嶋さちほ(チホ)だった。

カムラ「『水玉消防団という女の人のバンドが、ここでライブをやってるって聞いたんですけど』って、昼間ぶらりと彼女がやって来たのよ。『こんなミニコミをやってるんですけど、インタビューとかさせてもらえませんか?』って。第一印象からしてすごく可愛い女の子で、ロック、ニューウェイヴっぽい格好をしているけど、突っ張ってる感じじゃない。しかも『私たちも女のバンドをやってるんです』って言って、『え! そうなの?』と」
 それまで、仲間内でのライブが基本だった水玉消防団にとって、この小嶋さちほの来訪はとても大きいものだったとカムラは振り返る。
カムラ「どこで私たちのことを聞きつけたのか知らないんだけど、チホちゃんのこのときの訪問がなかったら、水玉消防団はパンクのライブシーンと繋がることはなかった。JORAに集まってくるお客さんはホーキ星中心のフェミニストの人たちで、私たちはパンクシーンとは全く別にやってたわけだから。ウラワ・ロックンロール・センターの高沢さんという存在もいたけれど、まさかあの水玉消防団が本気でバンドを続けるなんて夢にも思ってなかっただろうし(笑)。チホちゃんがどこかで私たちを見つけてくれたんだよね。本当にキーパーソンだった」
 ミニコミ「CHANGE2000」を数冊置き、「じゃあ、今度インタビューさせてください」とJORAをあとにしたチホとは、これをきっかけに繋がりが始まっていく。SNSも携帯もない時代、見知らぬ同士が繋がり、ネットワークを作るためには「直接会いに行く」ことが一番有効でもあった。
カムラ「例えばミニコミやレコードも、本屋さんやレコード店に直接行って取り扱ってもらうって感じで、ダイレクトに会って、見て、話して繋がっていくのが奇妙なことじゃなかったんだよね。だから、いきなり初対面でチホちゃんが来てくれたことも不思議でもなんでもなかった」
 
 この翌年の1980年1月、早速、小嶋さちほの誘いで、水玉消防団は初めて都内のライブハウスのステージに上がる。ここで初めて、彼女たちは他のガールズパンクバンドと出会い、共演し、東京のパンクシーンに入っていくのである。
 
 
*田島ヶ原フリーコンサート=1973年〜1979年・1985年の9月、1986年のみ8月の年1回、浦和桜草公園を会場にウラワ・ロックンロール・センター(URC)が主催した(79年のみ有志による「〜実行委員会」が主催、URCは協力)野外ロックフェス。水玉消防団が出演した79年は、内田裕也、長沢ヒロ&ヒーローはじめ11組が出演した。また水玉消防団は85年にも出演している。
**「電気ショック」=1981年リリースアルバム「乙女の祈りはダッダッダッ!」の収録曲とは別。
 

79年頃、JORAでのライブ風景。左からカムラ、みやもとSAN、まなこ。後ろで天鼓がドラムを叩いている。

 
●天鼓 1978年より女性のみのパンクロックバンド、水玉消防団で音楽活動を開始、80年代のニューウェイヴシーンで10年間活動を行う。同時に80年代初頭にNYの即興演奏に誘発され、声によるデュオの即興ユニット、ハネムーンズをカムラと結成、活動開始。その後、ソリストとして活動を続けるうち、86年頃よりヴォーカリストではなく「ヴォイス・パフォーマー」と称するようになる。「声を楽器に近づけるのではなく、より肉体に近づけるスタンス。あるいは声と肉体の関係を音楽のクリシェを介さずに見つめる視点。“彼女以前”と“以降”とでは、欧米における即興ヴォイスそのものの質が大きく変質した」(大友良英)。85年のメールス・ジャズ・フェス(ドイツ)以降、世界20カ国以上でのフェスティバルに招聘されている。これまでの主な共演者は、フレッド・フリス、ジョン・ゾーン、森郁恵、大友良英、内橋和久、一楽儀光、巻上公一、高橋悠治など。舞踏の白桃房ほかダンス、演劇グループとの共演も多い。水玉消防団以降のバンドとしては、ドラゴンブルー(with 大友良英、今堀恒雄 他)アヴァンギャリオン(with 内橋和久、吉田達也 他)などがある。15枚のアルバム(LP /CD)が日本・アメリカ・カナダ・スイス・フランス・香港などでリリースされている。演奏活動の他、各地で即興・ヴォイスや彫塑、空間ダイナミックスなどのワークショップを数多く行っている。
 

◆天鼓ライブ情報

2月11日(土・祝)
「Bar Isshee presents EXTREME NIGHT R Vol.6」
@秋葉原Club GOODMAN
18:30open 19:00start 予約¥3,500円 当日¥4,000
出演:ウエダテツヤ/ 潮田雄一/ 内橋和久/香村かをり /坂出雅海/武田理沙/立花秀輝/天鼓/ナスノミツル/HIKO/村田学 /山本達久(50音順)
 ※12人の出演者、3人ずつで送る即興ライブ。(天鼓は21時頃登場)

3月1日(水)バースデイライブ!
「天鼓の『Hotel大宝』ホテル・ダーバオにようこそ!」
@渋谷・公園通りクラシックス
 19:00open  19:30start  予約¥4,000 当日¥4,500
出演:天鼓/内橋和久/竹田賢一/巻上公一/芳垣安洋/ナスノミツル
※バースデイ記念イベント。爆発のカバー曲満載ライブ!

 
●カムラアツコ 80年代、日本初の女性パンクバンド「水玉消防団」で、ボーカリスト、ベーシストとして音楽活動開始。日本パンクシーンの一翼を担う。同時に天鼓との即興ボーカル・デュオ「ハネムーンズ」にて、ニューヨーク、モントリオール、ヨーロッパで公演、ジョン・ゾーンはじめニューヨーク・インプロバイザー等と共演。その後、英国に渡りポップグループ「フランクチキンズ」でホーキ・カズコとペアを組む。オーストラリアを始め、ニュージーランド、アメリカ、カナダ、ヨーロッパ、ソビエトなどツアー。90年代は、ロンドンで始まったレイブシーンでダンスミュージックの洗礼を受ける。2000年以降、「I am a Kamura」、「Setsubun bean unit」でフォーク、エスニック、ジャズ音楽の領域に挑戦。現在の自身のプロジェクト「Kamura Obscura」では、Melt, Socrates' Garden、Speleologyのアルバムをリリース。エレクトロニクス、サウンドスケープ、即興の渾然一体となったさらに実験的な新作「4AM Diary」を2021年末にリリース。同年秋、イギリスのポストパンクバンドNightingalesの満席完売全国ツアーをサポートする。2019年にはバーミンガムの映画祭Flat Pack Film Festival、2022年10月にはポルトガル・セトバルの映画祭Cinema Charlot, in Setubal, Portugal にて、日本の前衛映画の名作「狂った一頁」の弁士を務めた。
●水玉消防団 70年代末結成された女性5人によるロックバンド。1981年にクラウド・ファンディングでリリースした自主制作盤『乙女の祈りはダッダッダ!』は、発売数ヶ月で2千枚を売り上げ、東京ロッカーズをはじめとするDIYパンクシーンの一翼となリ、都内のライブハウスを中心に反原発や女の祭りなどの各地のフェスティバル、大学祭、九州から北海道までのツアー、京大西部講堂や内田裕也年末オールナイトなど多数ライブ出演する。80年代には、リザード、じゃがたら、スターリンなどや、女性バンドのゼルダ、ノンバンドなどとの共演も多く、85年にはセカンドアルバム『満天に赤い花びら』をフレッド・フリスとの共同プロデュースで制作。両アルバムは共に自身のレーベル筋肉美女より発売され、91年に2枚組のCDに。水玉消防団の1stアルバム発売後、天鼓はNYの即興シーンに触発され、カムラとヴォイスデュオ「ハネムーンズ」結成。水玉の活動と並行して、主に即興が中心のライブ活動を展開。82年には竹田賢一と共同プロデュースによるアルバム『笑う神話』を発表。NYインプロバイザーとの共演も多く、ヨーロッパツアーなども行う。水玉消防団は89年までオリジナルメンバーで活動を続け、その後、カムラはロンドンで、天鼓はヨーロッパのフェスやNY、東京でバンドやユニット、ソロ活動などを続ける。
 

◆天鼓 Official Site

天鼓の公式サイト。ヴォイスパフォーマーとしての活動記録、水玉消防団を含むディスコグラフィーなど。

Kamura Obscura

カムラの現プロジェクト「Kamura Obscura」の公式サイト。現在の活動情報、水玉消防団を含むディスコグラフィー、動画など。

◆水玉消防団ヒストリー バックナンバー


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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