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北村早樹子のたのしい喫茶店 第13回「千駄ヶ谷 カフェ泥人形」

文◎北村早樹子
 
 28歳くらいから生理がこなくなり、最初は楽チンでいいやと思っていたのだが、1年経つとさすがに不安になって、近所の産婦人科に行った。当然妊娠はしておらず。あらゆる漢方薬を出されたが、一向に生理はやってこない。万策尽きたと医者に告げられて、大学病院を紹介された。
 そんなわけで、わたしは信濃町にある慶應義塾大学病院に通うことになった。慶應大学病院の産婦人科。噂には聞いていたが、大学病院ってこんなに待つのか! と初回の診察で3時間待ちの洗礼を浴びた。
 やっと自分の診察の番になって、診察室に入った。
 先生は、俳優の津田寛治さんとインパルスの板倉さんを足して2で割ったような、鳥顔の30代後半ぐらいの准教授、内川先生だった。わたしが診察室の椅子に座るなり、先生はこんなことを言った。
「あなたの生理がこないのは、身体が赤ちゃんを作るための栄養が足りてないからです。今のあなたの身体は、自分の身体を生かすためのギリギリの力しかない。鏡見てみますか? そんな身体じゃ、生理がこないは当然です。薬で無理やり生理をこさすのは簡単ですが、それは身体にわざと毒を盛るようなもんです。40キロまで体重増えたら、自然に生理はきます」
 当時、わたしは持病の免疫疾患が発覚して、そのせいでたくさん薬を飲み始めており、メンタルも落ち込んでじわじわごはんが食べられなくなっていって、体重は33キロまで落ちていた。とはいえわたしは身長が151センチしかないので、そんなやばいほど痩せている自覚はなかった。しかし、この鳥先生にズバッと言われて、ハッとなった。そして、正直傷ついた。
「10代の子でそういう子は多いですけど、あなたもう29歳でしょ。恥ずかしくないんですか?」
「何があるのか知らないですけど、いつまでそうやって可哀想な自分に酔ってるんですか?」
「体重増えてませんよね。何回診察に来ても一緒です。自力で太ってください」
「僕は普段、子どもが欲しいけどなかなか出来ない患者さんを診ているんです。あなたみたいに、不憫な自分に甘えてる女性に構ってる暇はないんですよ」
 月に一度の診察に来る度に、結構な言葉責めに遭った。なかなかの言われようだった。正直、これは患者に言う言葉か? と思わなくもない。こんなことを度々言われると、怒りだす人もいるだろう。それか、落ち込んで通院をやめるかもしれない。
 わたしも、毎回なんでこんなことを言われないといけないんだ! と心の中で怒ったり、嘆いたり、傷ついたりしていた。だいたい、こんなわざわざ大学病院まで来て、なんの薬も処方されずに言葉責めだけ受けてるなんて、おかしくないか? とも思っていた。
 しかし、こんなけちょんけちょんに言われて、わたしはなんか、だんだんこの内川先生が気になってきていた。気づいたらこの内川先生をネットストーキングしていた。どんな大学を出て、今までにどんな病院で勤務してきて、専門分野は何で、どんな論文を書いているのか。知りたい知りたい知りたい。論文は専門のネットワークに入らないと読めなかったので、そこで止めたが、えっこれわたし、どういう情緒なんや? と自分で自分が不安になった。
 ある通院帰り、わたしは自転車置き場で自転車に跨り、慶應大学病院の門を出て、千駄ヶ谷の方へペダルを漕ぎ出した。すると、「えっ!」とおまたに違和感を覚えて、自転車を降りた。
 生々しい話をして申し訳ないが、生理が止まると、おりものもおりなくなる。長らくわたしはおりものもおりない女になっていた。なので、パンツが湿ることはなかった。それが、ぴゅっと、何かがパンツにおりた。2年半ぶりにパンツが湿ったのだ。
 先生に40キロまで太れと言われていたが、そのときはまだ35キロぐらいしかなかった。医学的にどうとかは全くわからないが、そのときから、わたしの子宮は再び動き出した。
 わたしは悟った。これはドSな内川先生への、邪なピンクの気持ちが原動力になって、子宮が復活したのだ、と。
 それから1週間後、ついに生理がやってきた。なんの薬も使わずに、自然と生理がやってきた。快挙である。
 ああ、あの強烈な言葉責めの数々はすべて、内川先生の術中で、本当に診察の一環だったんだ。心理療法と言ってもいいのかもしれない。内川先生は精神科の先生でもなければカウンセラーでもないけど、にこにこ仏の顔で話を聞いてくれるだけの精神科の先生よりもよっぽど効果がある言葉責めだった。ありがとう、内川先生。でも、この気持ちをわたしはどうすればええねんな?
 生理が復活しましたと告げると、それはよかったね、と言われてあっさり通院を切られた。え~もう会えないのか! と淋しい気持ちを引き摺りながら、自転車を漕いで家へ帰る道中、千駄ヶ谷の駅近くにすごい名前の喫茶店を見つけた。

『カフェ泥人形』
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 店頭に出ているメニューを見るに、どうやら喫茶店のようだ。わたしはいそいそと自転車を止めて入店した。

 薄暗い店内。レンガ造りの壁に、うす緑のビロードの椅子。ステンドグラスの壁もあってなかなか素敵な喫茶店じゃないか。メニューを見ながら、「太りなさい」と言っていた内川先生のことを思い出す。よし、ちゃんとごはんを食べよう。高菜スパゲッティとアイスコーヒーを注文した。高菜ピラフもあったので、このお店は高菜推しなのかもしれない。

 到着したスパゲッティは、具はシンプルに高菜とたまねぎだけ。和風スパゲッティという感じの味付け。量もそんなに多くなかったので、当時あまりちゃんとごはんが食べられなくなっていたわたしでも、全部おいしくいただけた。アイスコーヒーは銅のカップに入っているので最後までキンキンに冷たくておいしい。
 満腹になって、食べ終える頃にはいつの間にか内川先生へのピンクな気持ちは薄らいでいた。いや、だいたい医者を好きになるって、頭おかしいでしょ。無月経になってホルモンバランスがめちゃくちゃになって、わたしどうかしてたんやわ。
 泥人形にピンクな気持ちを埋めて、ごちそうさまと店を出た。
 わたしの29歳の短い恋が終わった。
 


今回のお店「千駄ヶ谷 カフェ泥人形」

■住所:東京都渋谷区千駄ヶ谷4―20―2 B1 
■電話:03―3404―3646
■営業時間:月~金9時から19時 土10時から18時 
■定休日:日曜不定休

撮影:じゅんじゅん

北村早樹子

1985年大阪府生まれ。
高校生の頃より歌をつくって歌いはじめ、2006年にファーストアルバム『聴心器』をリリース。
以降、『おもかげ』『明るみ』『ガール・ウォーズ』『わたしのライオン』の5枚のオリジナルアルバムと、2015年にはヒット曲なんて一曲もないくせに『グレイテスト・ヒッツ』なるベストアルバムを堂々とリリース。
白石晃士監督『殺人ワークショップ』や木村文洋監督『へばの』『息衝く』など映画の主題歌を作ったり、杉作J太郎監督の10年がかりの映画『チョコレートデリンジャー』の劇伴音楽をつとめたりもする。
また課外活動として、雑誌にエッセイや小説などを寄稿する執筆活動をしたり、劇団SWANNYや劇団サンプルのお芝居に役者として参加したりもする。
うっかり何かの間違いでフジテレビ系『アウト×デラックス』に出演したり、現在はキンチョー社のトイレの消臭剤クリーンフローのテレビCMにちょこっと出演したりしている。
2017年3月、超特殊装丁の小説『裸の村』(円盤/リクロ舎)を飯田華子さんと共著で刊行。
2019年11月公開の平山秀幸監督の映画『閉鎖病棟―それぞれの朝―』(笑福亭鶴瓶主演)に出演。
2019年より、女優・タレントとしてはレトル http://letre.co.jp/ に所属。

■北村早樹子日記

北村さんのストレンジな日常を知ることができるブログ日記。当然、北村さんが訪れた喫茶店の事も書いてありますよ。

■北村早樹子最新情報

8/29(月)
『北村早樹子ワンマン第7回』
場所:阿佐ヶ谷よるのひるね
時間:19時半開場19時45分開演
チャージ:2000円+1ドリンク
ご予約の方は名前と枚数と連絡先をkatumelon@yahoo.co.jp まで送信してください。完全予約制です。




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