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永遠の都ローマ展 その2

先週火曜日に上野の東京都美術館で開催中の「永遠の都ローマ展」に行ってきた。

12月10日(日)まで。
休館日:月曜日(ただし、10月9日(月・祝)は開室)、10月10日(火)。
来年1月5日(金)~3月10日(日)に、福岡市美術館に巡回。

全体は3フロアに分かれている。
LBF:
第1章 ローマ建国神話の創造
第2章 古代ローマ帝国の栄光

1F:
カピトリーノのヴィーナス
第3章 美術館の誕生からミケランジェロによる広場構想
第4章 絵画館コレクション

2F:
第5章 芸術の都ローマへの憧れ―空想と現実
特集展示 カピトリーノ美術館と日本

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その1では、第1章、第2章、カピトリーノヴィーナスまで紹介したので、

今回は続きから。
といっても、メインの展示品はその1でほぼ紹介してしまったので、今回の記事はちょっと地味になりそう。

第3章 美術館の誕生からミケランジェロによる広場構想

1471年、時の教皇シクストゥス4世は、教皇宮殿前に置かれていた《カピトリーノの牝狼》や《コンスタンティヌス帝の巨像》を含む古代ブロンズ彫刻4点を、ローマ市民に返還するという名目で寄贈し、カピトリーノの丘の中庭に設置しました。 これが現在のカピトリーノ美術館コレクションの前身です。
その後、16世紀に巨匠ミケランジェロカピトリーノの丘の頂にカンピドリオ広場を建設するプロジェクトを手がけました。

サイトより

ミケランジェロと言えば、ルネサンスの巨匠。
ダビデ像などの彫刻や、システィーナ礼拝堂の天井画など、多くの傑作を残しているが、都市計画にも携わっていたのだ。

エティエンヌ・デュペラック「カンピドリオ広場の眺め」


第4章 絵画館コレクション

1734年、教皇クレメンス12世により、それまでカピトリーノの建物群におさめられていた膨大なコレクションが一般公開され、公共美術館としての歴史が始まりました。
その後、1748年から1750年にかけて、教皇ベネディクトゥス14世の尽力により、サッケッティ家とピオ・ディ・サヴォイア家というイタリア名家旧蔵の絵画コレクションが収集され、絵画館が設立されました。

サイトより

ルネサンス以前は、古代の彫刻などが見つかっても、壊されてしまうことが多かったが、以降は保存する方向になり、名前は覚えきれないが、多くの教皇が一役買っている。


ピエトロ・ダ・コルトーナ「教皇ウルバヌス8世の肖像」

教皇ウルバヌス8世は、芸術と学問をこよなく愛し、フランス語やギリシャ語も堪能だった。
作者のピエトロ・ダ・コルトーナのパトロンのおじが教皇ウルバヌス
レースなどを緻密に描く技術も素晴らしいが、互いの信頼関係も浮かんでくるような一枚だ。


第5章 芸術の都ローマへの憧れ―空想と現実

古代遺跡の宝庫である都市ローマは、17世紀以降、グランドツアーなどを介してイタリア内外の芸術家たちの芸術的霊感源となりました。
古代建築やその装飾は、彼らの自由な発想によって、はるかな時を越えてよみがえり、多くの傑作を生みだしました。
本章では、古代記念碑「トラヤヌス帝記念柱」をモティーフとする版画や模型、ピラネージ、ファン・ヴィッテル、カノーヴァらの名品を紹介します。

サイトより


ジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージ「トラヤヌス帝記念柱の正面全景」

唯一写真が取れた以下の2作品は、この記念柱の一部を再現したものらしい。



特集展示 カピトリーノ美術館と日本

カピトリーノ美術館は実は日本とゆかりの深い美術館です。
ちょうど150年前にあたる1873年、明治政府が欧米に派遣した岩倉使節団カピトリーノ美術館を訪れました。
欧米の本格的な博物館を視察した彼らの経験は、日本の博物館政策や美術教育にも影響を与えることになります。
1876年に日本最初の美術教育機関として工学寮美術校(のちの工部美術学校)が設置され、国外から指導者たちが招聘されると、イタリア各地の施設が所有していた古代彫刻にもとづく石膏像が指導教材として日本に持ち込まれました。

サイトより
<ディオニュソスの頭部>

こんな素敵な彫刻を見たら、学生たちも創作意欲がわいただろうなあ。

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