見出し画像

「テルマエ展―お風呂でつながる古代ローマと日本」 in パナソニック汐留美術館

先週、東京・汐留(新橋)のパナソニック汐留美術館で開催中の「テルマエ展―お風呂でつながる古代ローマと日本」展を見に行った。

*6/9(日)まで 水曜日休み
*巡回情報:
神戸市立博物館 6月22日(土)~8月25日(日)

最近の展覧会は2000円を超えることも珍しくないが、パナソニック汐留美術館は、当日一般1200円!(サイトの割引券を見せるとさらに100円引き)というありがたいお値段。
あまり広いスペースではないので、人気の展覧会では平日でも長蛇の列になったり、整理券が出たり、ということもあるので、ひやひやしていたが、今回はすんなり入場できた。

切り口としては面白いし、展示内容としても決して悪くはない。
狭いスペースでも150点ほどの展示物、説明もたくさん。
でも、どこか物足りなさを感じる?のは、やはり昨年「古代ローマ展」が行われたばかりだということが大きいかもしれない。

昨年の記事:

テルマエ」というと、ヤマザキマリさんの漫画『テルマエ・ロマエ』(実写映画も大ヒット)が思い浮かぶが、『テルマエ・ロマエ』に関する展示が全くないのは、それを目当てではないにしても、やや残念な気もした。

全体は5章に分かれている。
写真撮影は後半のみで、でも、どちらかというと前半が撮りたかったんだよね~という、よくあるパターン。
記憶が新しいうちにおさらいしておこう。

序章:テルマエ/古代都市ローマと公共浴場

テルマエとは「熱い」という意味のギリシャ語「テルモス」に由来し、狭義には皇帝らによって建設された大規模公共浴場を、広義には古代ローマの領土の公共浴場全体を指す。

ローマ市で最初のテルマエは、初代皇帝アウグストゥスの右腕のアグリッパによって建設されました(前25年)。
その後、ネロ帝(60-64年頃)やティトゥス帝(80年)、トラヤヌス帝(109年)らにより大規模なテルマエが建設されました。
ローマ市内のテルマエで今も遺構がよく残っているのは有名なカラカラ浴場(216年)と、ディオクレティアヌス浴場(306年頃)です。その他の都市でも数多くのテルマエ遺跡が見つかっています。

サイトより

ローマの皇帝たちの名前が並んでいるだけでわくわくする。
今回一番といっていいくらい、見ごたえがあったのが、この大理石の彫刻。

「カラカラ帝胸像」ナポリ国立考古学博物館 212~217年(ネット画像)

真っ白な石膏の彫刻と比べると、美しいだけでなく、重みがあって、これなら1000年以上残るよな~、と納得。

第1章:古代ローマ都市のくらし

帝政初期には、ごく一部の特権階級と「大衆」の格差はかつてないほどに広がりました。
皇帝たちは大衆の不満を解消すべく、食糧の施与や、剣闘士試合、演劇を含む見世物など娯楽の提供という施策をおこないました。
テルマエも大衆からの人気獲得に大いに役立ちました。庶民たちのくらしは特別な日の見世物と、毎日の仕事の後のテルマエによって彩られていました。

サイトより

テルマエというよりは、古代ローマ人の暮らしが垣間見られる展示物がこの章に。

「悲劇の仮面を表した軒瓦(アンテフィクス)」ナポリ国立考古学博物館 1世紀(ネット画像)
「ヘタイラ(遊女)のいる饗宴」ナポリ国立考古学博物館 1世紀(ネット画像)


第2章:古代ローマの浴場

テルマエのルーツは、古代ギリシャの運動施設の水風呂や、医療行為として神域に設けられた入浴施設。

「アポロとニンフへの奉納浮彫」ナポリ国立考古学博物館 2世紀 (ネット画像)


ギリシャでは肌に油を塗り、全裸で運動したため、運動後には肌かき器で汚れを落としたとか。
そのための道具が展示されているのは面白い。

「ストリギリス(肌かき器)」ポーラ文化研究所 前3~前1世紀(ネット画像)

そんなテルマエを、大衆の娯楽のために、驚くほどの規模へと発展させたのはローマ人。
ギリシャでは女性の入浴の場は自宅に限られてたが、ローマでは女性もテルマエに通うことができた。

ローマ人にとって、テルマエは単なる体を洗う場所ではなく、身体を動かし、汗を流し、多くの人と交流して、心身の健康を保つための場所でした。種々の浴室のほかに、運動場やいくつもの部屋が付随していたのは、テルマエの複合施設としての性格を示しています。
大規模なテルマエをつくるには、用地と水道が必要でした。
紀元前19年にウィルゴ水道が敷設されると、水や湯をふんだんに使用する正真正銘のテルマエとなりました。
テルマエには、浴室のほかに運動場やいくつもの部屋が付随し、複合娯楽施設として人々に享受されました。 食事や音楽を楽しむ者もいれば、朗読会が催されるなど、文化サロンのような側面もありました。なかには、図書館が併設されてたテルマエもがあったことが知られています。

―サイトより

撮影はできなかったが、テルマエの断面図や再現映像などもあり、いろいろな施設が複合されたテルマエの構造をイメージすることが出来た。

テルマエで実際に使われていた品々。
この時代に、こんなに精巧なものが作られていたのか、というのは驚く。

「銅製把手付ガラス壺」MIHO MUSEUM 3-4世紀(ネット画像)
「ゴールドバンド装飾瓶」平山郁夫シルクロード美術館 1世紀(ネット画像)

「ライオン頭部形の吐水口」ナポリ国立考古学博物館 1世紀(ネット画像)

第3章:テルマエと美術

テルマエは、大衆が美術品を間近に見ることのできる場でもありました。床には水に強いモザイクが好まれました。
また、ローマの大規模なテルマエには、数多くの大理石彫刻も飾られ、皇帝や浴場の建設者の肖像のほかに、神々の像や古代ギリシャの有名作品のコピーが壁面のニッチや円柱の間の台座の上に並んでいました。
主題は適当に選ばれたわけではなく、浴場にふさわしいものが選択されました。

サイトより
「恥じらいのヴィーナス」ナポリ国立考古学博物館 1世紀(ネット画像)

これは撮影できたのだけど、実物はあんまりきれいじゃない気がして取らなかった。
ネット画像やパンフの写真のほうが美しい。(笑)

こちらは小さいけど存在感あり。

「ヘラクレス小像」MIHO MUSEUM 前1~後2世紀


第4章:日本の入浴文化

火山列島のため豊富に温泉の湧く日本では、古くから各地の温泉が地域の住民によって守られ利用されてきました。
戦国時代には、武田信玄の隠し湯のように、武将たちが療養のため領内の温泉を訪れることもありました。
人工的な入浴施設は、仏教の寺院内につくられ、汚れと穢れを清める場として広まっていきました。江戸時代には町の中に湯屋が整備され、お湯につかるという現代にいたる入浴のスタイルが定着します。

サイトより


三浦 宏「湯屋 模型」個人蔵 1980年代


町田忍「明神湯」制作:山本高樹、内部絵:町田忍 平成20年(2008)


銭湯や温泉の資料なら当然だが、古代ローマの品々でも、意外と国内の美術館や博物館所蔵のものが多かったような。

お土産はあまり魅力的なものは無く。
書籍は魅力的だったけど、ここで買わなくても、という気がして何も買わなかった。

ランチも展覧会もお安めだったのでおやつは豪華に、ということで、友人が東銀座の「観音山フルーツパーラー」に連れて行ってくれた。

お店には、パンダもたくさん。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?