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【連載小説】『晴子』

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#長編小説

【連載小説】『晴子』1

【連載小説】『晴子』1

 晴子。これが私の名前だ。
 でも、私はこれまで、自分の名前に納得がいったことがない。厳密に言うなら、自分にこの名前が付いていることが、昔から腑に落ちないのだ。別に、晴子という名前自体に問題があるわけではない。晴れやかな子なのか、周りを晴れやかに照らす子なのかは分からないが、それでも、それを命名した者の祈り自体は理解できる。
 実際、これまでも私と同じ名前の人間とは何人か出会ってきた。彼女たちはと

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【連載小説】『晴子』7

【連載小説】『晴子』7

 気が付いたら、リビングのソファーの上でクッションを抱いて眠っていた。
 西日のまぶしさに目覚めた私は、ソファーのひじ掛けの所に背をもたれさせて、半分身体を起こした。テレビを見る気にもなれず、窓の外を見るともなく眺めた。夏の夕方は、まだまだ明るい。
 飲食店の仕事は、休みの日が世間の休日と一致しないことも多い。今日も仕事は休みだが平日で、だから休みの日にただでさえ数少ない友人と会う約束を取り付ける

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【連載小説】『晴子』19

【連載小説】『晴子』19

 Bill Evansの音楽は、私にとって理想の生活の比喩だと思う。
 彼の音楽は、一つ一つ水滴を落とすように音が並べられていると思う。大胆さと繊細さ、すなわち伴奏とメロディーの対比ではなく、ポツリポツリとしたメロディーが曲全体を導いていくような。「神は細部に宿る」なんて格言を信じているわけではないが、繊細さが全てを構成していくような生活に憧れているのは誰の影響なのだろう。
 あの人が教えてくれた

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【連載小説】『晴子』22

【連載小説】『晴子』22

 4番卓に生ビール4つ、ハイボール2つ。17番卓に串カツ3種盛り二人前、24番卓が会計を済ましたから、空き次第新規の客を通す。
 頭の中で記憶した情報を忘れないように高速で反復しながら、キッチンの方へ戻る。キッチンからの料理を待つホール担当のバイト2人が待機している。
「4番卓に生4つとハイボール2つお願い。あと、24番卓が会計済ましたから、あの人ら帰り次第即片付けて新規通しちゃって。」
 ハンデ

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【連載小説】『晴子』26

【連載小説】『晴子』26

 電話がかかってきたのは夜の10時半頃だった。
「もしもし。過ごしやすくなってきたわね。」
 もうこの電話にも怪しむことなく応答するようになっていた。相手が未だ誰なのかは分からないし、声という声はあの女の子のを除いて聞いていないけど、それでも半年以上も続いているのだ。段々、警戒心も薄れていた。
「相変わらず名前も目的も言わないのね。」
 電話の奥は相変わらず無言だ。でも、今日はいつも通り公衆電話か

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