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エセ苦労 パンのみ 毒親と性 能力主義は詐欺 怒りは依存 AI画家は殺し合う 難易度

1、苦労
人間の自己中な苦労をしても天国へ入れない。
「天の主の掟を守ると降り掛かる苦労」をしたら天国へ入れる。
天の主に関係ない無駄な苦行をしても天国へ入れない。

苦労をすると満たされる感じがするのは、本来は天の主のための苦労をすると本能を満たされるからだ。
しかし、サタン側に神を隠されると、神のための苦労が出来なくなって、本能を満たせなくなる。
そのため、本能を満たすために、神以外の事柄で苦労したがる。
仏教などの悪魔崇拝で無駄な苦労をして、代償行為として苦行をするようになる。
しかし、代償行為だから本物ではないから、本当の意味で満たされなくて、いつまでも苦行を繰り返すようになり、一生に渡って苦しむ。

2000年前にイエス・キリストに立ち帰った。
しかし、日本人は神の掟に嫌気が差して、神道へ逃げた。
しかし、神道の緩い無戒律で苦労本能を満たせないから、仏教の苦行を求める。
仏教の苦行も、自分に合った苦行を選んで楽しみながら苦労本能を満たそうとする。
滝行などの身体的な苦行が得意なら、身体苦行を極端にやるけど、身体苦行以外の苦行はしない。
断食が得意なら、断食を極端にやるけど、断食以外はやらない。
念仏が得意なら、念仏を極端にやるけど、念仏以外はやらない。
瞑想が得意なら、瞑想を極端にやるけど、瞑想以外はやらない。
そういう得意な苦労はするけど、苦手な苦労はしない。
しかも、それは苦しい苦行ではなくて、楽しいと感じるモノを選んで人に見せつけたいだけ。
不安を忘れるための苦しみではなく、楽しんで不安を忘れる。

神に立ち帰れば不安を解消できる。しかし、日本人は、自分が神に対して犯した罪を背負いたくないから向き合わない。だから、逃げた先で偽りの苦労をでっち上げて不安を忘れる。
子供に対して自分が神から逃げた格好の悪い姿を知られたくない。だから、大人たちで口裏合わせをしてルーツを偽装して、格好悪い姿が見えないように隠ぺいする。

やってる感の苦労をしているだけで満足する。

必要な苦労をしないで、やりたい苦労をしているだけ。

遊びで苦労をしている。

苦労をしないと不安になるから、自分の好みに合った苦行をチョイス。
労働で苦労をするのを選んで、ついでに金も手に入れる。
日本人は無宗教だから、宗教的な苦労がないため、宗教的な苦労で不安を紛らわせる手法が選べないから、労働で苦労して不安を忘れる。
自分が不安を忘れたくて労働をしているだけなのに、自分が正しいと思いたくて、労働しない他人を人格否定する。
自分を正当化するために他人を人格否定する。

2、パンのみ
地獄へ道連れにできる範囲内で嫌がらせをする。
人生は生き辛いのではなくて、地獄へ道連れにする範囲内で嫌がらせをして楽しむのがサタン側なのである。
このサタンの罠から逃れる唯一の方法は、神に立ち帰る事だ。

人はパンだけで生きるのではない。
神の口から出る言葉の一つ一つによって、サタンの罠を見破り、騙されないようになって人生が充実して生きたモノになる。

3、毒親と性
毒親が性に奔放だから逆らいたくて禁欲する。
毒親が性に厳格だから逆らいたくて奔放になる。
毒親が性に奔放で、毒親に逆らえないと奔放になる。
毒親が性に厳格で、毒親に逆らえないと厳格になる。
自分の意志ではなく、毒親が中心になってモノを考えると極端になる。
毒親は、子供の人格と自分の人格が別人格と考えない。
また、別人格だと考えていても、子供が親の自分と子供自身の人格が別だと考えさせないように洗脳する。自立しようとすると激怒して抑圧する。

神は家族を捨てろと書いている。
家族を捨てれば、変な方向で執着しなくなる。

俺の毒親は性に異常に厳しい方と、もう片方の親は乱交カルトにハマる。
毒親のような自己中な人間が関わると、周りの人たちが乱交カルトにハマるように何でもかんでも生き方が極端になる。
自己中だから誰も忠告してくれないし、忠告を聞かないから、暴走する。
破綻しないように、異常行動を外にバレないようにする。
外にバレないため、救助が手遅れになる。
外にバレる時は、行き着くところまで破滅した状態になる。
毒親は異常者だから、バランスが欠落した極端な家庭環境になる。

神の信者なら、聖書を読んでバランスを整えられる。
世間体で決めたり、自己中な決め方をすると、極端な方向へ暴走する。

親の役割は、子供が能力を身に付けられるように金を掛けて、心置きなく離れられるように悪態をつく事だ。
搾取するのは毒親だけど、子供が逃げられないように優しく接して、逃げると罪悪感が沸くように洗脳するのは、別の意味で毒親である。

4、親孝行は詐欺
親孝行を正しい生き方とすると、難易度に個人差がありすぎる。
親がまともなら良いけど、毒親だったら急激に難易度が上がる。
2倍3倍の難しさではない。
人生を総合的に見たらバランスが取れていると言っても、そんなバランスが取れるレベルではない。
だから、親孝行が正しい生き方という価値観は、完全にインチキだし、間違いである。
親孝行は、サタンの罠かもしれない。
そもそも、物心つく前に親が死んでいたらどうするつもりだろうか。
孤児だったらどうするつもりだろうか。
誰でもできる試練が、本当の試練である。
誰でもそれなりに難易度が程よくまとまっている試練が、本当の試練だ。

5、能力主義は詐欺
天の主の命令は「警告しなさい」だけ。
警告するだけで自分の責任を果たせるから、警告する。
納得させないといけないとか、教える立場で我慢しないといけないとか、そんな要求されるのだったらやってない。
一方的に言い捨てるだけで良いから言い捨てているだけ。

能力は個人差が大きいから「相手が納得するように説得しなさい」という命令だったら、難易度に個人差がありすぎる。
だから、能力が有っても、天国へ入るのに有利にはならない。

しかし、知らずにいて鞭打たれるようなことをした者は、打たれても少しで済む。すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、更に多く要求される。」

ルカによる福音書 12:48 (新共同訳)

多く与えられた者はさらに多く求められる、というのが正しい。
能力に見合った働きを求められるだけ。能力の低い人は、少ない成果でいい。能力の高い人は、高い成果を求められる。

能力や成果を要求されるなら、そんな宗教はインチキである。
聖書の神なら、ただ信じて掟を守るだけでいい。
能力の格差が出るように創っておきながら能力を要求するなら、いったい、何を考えているのか、と思う。

中途半端に才能がある人間だと、「才能を私物化しないで皆のために無償で使え」と神が言っているのを聞くと、自分の才能を私物化する人生を惜しんで立ち帰らなくなる。
中途半端な人間が一番ダメになる典型的なパターンである。

6、怒りは依存
怒鳴った方が早いと言っている人は、相手に精神的に依存しているから止めた方がいい。
判っている人からは、精神的に依存している堕落と評価される。
判っていない人からは、怖い、ムカつく奴、という評価になる。
怒りを敵だと思えという言葉は、依存は敵だと思えと言い換えた方が判りやすいだろう。

怒りの他に泣いたりするのも依存である。
基本的に感情的な生き方は相手に依存している。
自立して思考すると感情は出てこない。ただ、意図的に感情を演技して相手に配慮させる方法もある。
演技だとしても、相手から低い評価をされる。
演技だと言い訳しても、そんな演技をする時点でロクデナシと評価される。

怒りで、ある程度、要求が通るから、余計に性質が悪い。
要求が通るから、失敗して改心するチャンスを得られない。
成長するチャンスも得られないから、成長しない。
破綻するまで続く。
30代40代になって、怒りで要求が通らなくなって行き詰まる。この年齢で改心しようと思っても、もはや社会は受け入れない。
サタン側が「怒りで要求が通る社会」を作って、人々を罠にハメているのだろう。これも数千数万あるサタンが罠の一つである。
感情と相手に依存するように仕向ける。
感情に屈する相手に依存して、地獄へ道連れにされる。

感情が悪いとは言ってない。
ただ、依存は止めた方がいいと言っているだけ。

怒鳴る人は、毒親が怒鳴るタイプなのだろう。
毒親に対して怒鳴り返してやる必要がある。
心理学の「置き換え」を他人で憂さ晴らしをしないでくださいと、本人に言う必要がある。
パワハラで憂さ晴らしをしてはいけないと言う必要がある。
他人で憂さ晴らしをしていないで、毒親と決着を付けなさいと言ってやる必要がある。
自力でできないなら、代わりにぶん殴るとか。
死んでるなら墓石を大きなハンマーでぶっ壊すとか。
毒親の墓を疑似的に作って治療するやり方があるから、死んでるなら墓石をぶっ壊せば治療になるかもしれない。

感情を抑圧される社会だから、パワハラで発散したくなる。

感情で社会がそれなりに回るから、余計に性質が悪い。
しかも、怒りを出し続けると、徐々に社会が回らなくなるから、時々「怒りは敵だと思え」とか「パワハラ禁止」とかで引き締める。
サタン側が、人々の怒りを助長したり引き締めたりコントロールしているのだろう。地獄へ道連れにするために。
人々の怒りを異常に抑圧したり、異常に助長して、人々の感情を暴走させる。

7、正しい生き方
他人が自分と同じ生き方をしても、自分の生き方が正しい証拠にならない。
自分と同じ生き方を強制しても、自分の生き方が正しい証拠にならない。

自分が正しい生き方をしているかどうかは、正しい生き方をする事で達成できる。

8、AIイラスト
画家は他の画家と共存していない。
むしろ、競争相手だから殺し合いに近い。
なんで、AI画家は、画家に対して共存しろと要求しているのだろうか。
画家同士で共存している様に見えるのだろうか。

一体、何を見て共存していると思うのだろうか。
まず、そこから説明しないから、話がズレる。
観察眼があるのだろうか。

共存と言いながら依存するつもりなのだろうか。
そうだとしても、あまりにも自分の節穴を隠そうとしない。
自分が節穴だと自覚できていないのか。
節穴でどうやって画家・芸術で食っていこうと思ったのか。

9、両建てコウモリ
テレビ番組は、犯罪芸人を擁護して、どちらへ転んでも美味しいようにしているコウモリである。
犯罪芸人が潰れたら、知らん振りで番組を続ける。
犯罪芸人が潰れないなら、恩着せがましく手柄面で漬け込む。
こういう両建てコウモリを縁切りしないから、食い潰されて人生が破綻するのである。
こういう両建てコウモリは、相手を成長させないで甘やかすから、相手は人生が破綻する。

10、こじれた正義
正義をこじらせる人は、相手が一つでも悪いと、自分が正義だと思い込んでしまう。
そして、自分が正義だから、正義の自分に逆らう者は全て悪だと決め付けて、片っ端から攻撃する。
あまり比べる生き方もどうかと思うけど、自分の善悪を他人と比べないのもダメな生き方である。
自分が本当に正義なのか客観的に比べられない。

何が正義なのか、常に考えて、自分の命を懸けられる正義を探せば、天の主という本当の正義を見つけられる。
普段から正義が何かを考えないで、正義を自己顕示欲を満たす道具としか思っていないなら、本当の正義を見つけられない。
神は傲慢や自己中を嫌うから、自己中な人間は神を見つけられないように心をかたくなにされる。

正義をこじらせると、相手が1つでも悪があれば、自分に100の悪があっても、自分が正義だと思い込む。

そもそも、正義は天の主だけにある。
神に従う者だけが正義で、神に従わない者は悪だ。

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