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退職代行と甘えズルい恥の定義 読めるけど読めない状態 主役は良いけど責任は嫌

1、ズルいの定義
ズルいとは不公正の事。
不公正とはダブルスタンダード・筋が通らない・自己矛盾。
例えば、世間体依存症だと世間に好都合だから問題視をしないのに、ギャンブル依存症だと世間に不都合だから問題視するとか、二重基準ダブルスタンダードが不公正と言われる。
不公正とは自分が言うけどしない事だから退職代行は不公正とは言わない。

世間や他人が勝手に決めた公正・不公正は何の意味もない。
ルールは前もって提示しなければ、公正不公正もない。

人間が決めた事は、ルールが明文化されていないし、明文化されてもコロコロ変わるし、一人一人で基準が違う。
こういう後出しジャンケンを本当の意味でズルいという。
ルールを明文化しないのはズルい。
コロコロ変えるのはズルい。
一人一人で違うのがズルい。
自分で物事を決めたのだから、質問される前に自分から全てを提示して、説明する義務がある。
俺は神に「警告しなさい」と命令されているから警告しているだけだから、説明する気はない。もし、説明しなさいと命令されたら、とんでもなく面倒だから、神に立ち帰っていなかった。
俺からしてみたら、非信者は「ズルい」と言いながら、どうして自分が言った事も説明しないのだろうと不思議には思う。
質問されるまで答えないのはズルい。

ズルいとか言っている人は、普段から公正な生き方をしているのなら、まず、どれぐらい公正な生き方をしているか証明する義務がある。
自分が言った事を自分で実行する義務がある。
そもそも、公正の定義をしているのか。
一体、誰に対して公正な生き方をしているのか。
何のために公正な生き方をしているのか。
質問されるまで答えないのはズルい。
こういう事を言うと、言われなくても判れとか言い出して説明責任を放棄する。空気読めとか言い出して無責任な逃げ方をする。そんなんだから職場環境が崩壊するのだ。
自分が言った事は説明する。聞かれなくても答える義務がある。
自分が言うと説明義務が発生するのを知らないのだろうか。
俺の説明義務は、聖書を読めば大体が判るけど、非信者の「ズルい」とは定義がどこまでされているのか。
俺は俺で、神に警告しなさいと言われているだけだから、一方的に言い捨てる警告しかしない。説明責任を神に命令されていないから説明しない。
非信者は、何で自分でズルい言っておきながら、空気読めとか言って説明責任を果たさないズルい逃げをするのだろうか。何の根拠があって説明しなくてもいい権利があるのだろうか。
その非信者は、天の主以外で何かの宗教を信じていて、その宗教では説明責任を果たしてはいけないとか教義になっているのだろうか。

信者なら神に対して公正な生き方をするけど、非信者が何に対して公正な生き方をするのか。
他人に対して公正な生き方をしないといけない義務はない。
元々、天の主に対して公正な生き方をして安心するのが人間の本能だ。
神を隠されると、その本能を満たせないから不安になる。
不安を解消するために代償行為として、神以外に対して公正な生き方をしようとする。
しかし、徹底しないで中途半端な公正になるから、ダブルスタンダードや説明不足な生き方の虫のいい「公正という名の自己中」になる。
非信者は、絶対不変の基準がないから、コロコロ変わる。
非信者は、信者のように聖書が根底にならないから、適当にムードで公正かどうかを自分たちで何となく決める。何となく多数決っぽい決め方をする。多数決で安心してしまう。草食動物の群れみたいなものだ。
一匹の雄山羊を放逐してアザゼルの取り分にする儀式があるけど、草食動物の群れみたいな生き方をすると、こういう結末になる教育だろう。

言葉や概念を何となくで使っている人間は多い。
まあ、今の時代はエネルギーを大量に使っているから、思考停止でも何となくで生きていけるため、思考停止な人間が多い。
思考停止でも食っていける。
サタン側が人々を思考停止にして、神の存在に気付かないように洗脳しているから、大抵の人間は騙されて思考停止になる。

恥とか甘えとか言うのも、まず恥とは何か、甘えとは何か、定義するところから始める必要がある。
とりあえず、この言葉を使えばいいと思って何となくで使っている人が多い。子供が下品な言葉を使って大人から反応があると「この言葉には凄いパワーがある」と思い込んで何回も使う。
その下品な単語を使ったら、議論を始めると二度と使わなくなるのだろうか。
例えば、「なぜ、その言葉が使われるのだろう」とか、定義は何か、どのように使えばもっと面白くなるのか、違う単語を使うとどうなるのだろう、など色々と子供に議論を要求したら、子供はどうなるのだろう。

恥というけど、侮辱されたのか。
恥とは、誰かに侮辱される事で成立する。
そして、侮辱されるという事は、何か信条を持っていて、その信条を侮辱されたのだろう。
持っている信条は何かを説明してもらいたい。
信条がないのに恥を掻くのは不可能である。
「恥ずかしくないのか」と言う人は、どんな信条を持っているのか説明してもらいたい。
信条を持たない人は、恥もない。
信条がないのに「恥ずかしくないのか」と言っている人は、さっきの子供と同じで、この言葉には凄いパワーがある、と思って何となく使う。

踏みにじられているとか言うのは、恥ではなくて、タダの人格蹂躙であり、人道に悖るだけである。
根本的に語彙力が不足しているから、物事を区別できないのだろう。

甘えとは、教育心理学で、必ずしも悪いモノではない。
むしろ、十分に親に甘えられないと、性根がひねくれてしまう。
俺の毒親も子供を利益と思って私物化するから、甘えられなくて性根がひねくれてしまう。条件付きの愛情と言われるモノだ。
甘えという言葉を調べもしないで何となくで使っている人では、こういうのを全く知らない。
パワハラ医者は、単語を調べないで何となくで使うから、何も学べない。目の前に教科書を用意してくれないと勉強できない。利益で釣ってくれないと動かない。利益のないモノを学ぼうとしない。

痛めつけたいからワザと雇ったのか。
雇った従業員がダメなら、痛めつければ辞めると思うから、採用の仕方がデタラメになる。
人間は思考がそのまま能力になる。
パワハラすれば大抵は辞めるから、面接に来た人間が居座る人間性でも何となく雇うから、採用基準がゾンザイになる。
ただ能力不足でも真面目な人間も居るから、そういう人間が居ると、退職代行へ行く。

何で公正に生きないといけないのか。
何で上司と同僚に対してだけ公正に生きないといけないのか。
誰に対して公正に生きてるのだろう。
そもそも、不公正だと言う人間は公正に生きているのか。
都合の良い周りの数人を相手に公正に生きても、それはタダの処世術だから、公正ではない。
公正は、かなり広い範囲で公正に生きて、ようやく公正と言える。
自分に都合が良いところだけで公正を要求するのは、虫が良すぎるし、公正を悪用している。
単語だけでも使うのは難しいのに、公正という概念を使うのはもっと難しくなる。

語彙力が不足している人は、言葉にパワーがあると思い込んで何となくで使う。使ってみて相手の反応がある言葉を、何の理解もなく使う。
俺は、単語を疑うし、概念も疑うし、対義語も疑う。
好きと嫌いの対義語も疑う。学校や政府が勝手に決めた対義語を疑う。
A言葉を何となくで使う人。
B言葉をキチンと把握して使う人。学校の国語辞典で考える人。
C言葉を疑って調べる人。俺はここだ。
サタン側の罠で二択しか用意しないけど、どちらを選択しても地獄へ落ちるというモノがある。
言葉を何となくで使っていると聖書を読めないから地獄へ落ちる。
国語辞典や学校の単語の使い方と、聖書の単語の使い方は、違う。
サタン側の支配下である学校は、人々を地獄へ道連れにするために、意図的に単語や対義語の意味をズラして暗記すると地獄へ落ちる教え方をする。
学校の言葉をきちんと把握して使っても、結局は地獄へ落ちる。
愛の概念も、国語辞典の愛の定義では、聖書を読めても理解できなくて地獄へ落ちる。
聖書の愛とは、一緒に天国へ入れるように諭す事だ。敵を愛するとは、個人的な敵・嫌な奴・悪人と一緒に天国へ入れるように、天国へ入れる方法を指導する事である。
人間が勝手に決めた愛は優しさや情欲だから、完全に間違っているため地獄へ落ちる。国語辞典で言葉の意味を把握しても地獄へ落ちる。
だから、言葉を何となくで使う人も、国語辞典で把握する人も、二択のどちらを選んでも地獄へ落ちる。
言葉を何となくで使っても生きられるようにサタン側が社会を調整するから、言葉を何となくで使う人が発生する。
サタン側の目論見通りで言葉を何となく使っている人は、世界を支配しているサタン側に1人で対抗しているから、騙されても当たり前だから、自分の能力不足を責めなくてもいい。
神に立ち帰れば、神が守ってくれるから、サタン側の罠を撃破できる。

だから、神に服従し、悪魔に反抗しなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げて行きます。

ヤコブの手紙 4章7節 新共同訳

子供のように素直な心で従えば、神に立ち帰れるため、能力は関係ない。

はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」

マルコ福音書 10章15節 新共同訳

神に立ち帰れるかどうかは、能力ではなくて、心の問題である。
だから、能力不足で引け目を感じる必要はない。
ヘタに能力が有ると、サタン側の出世に囚われて、社会的地位を惜しんで立ち帰れなくなる。

素直ではなく、何となくで生きていると聖書を読めなくなる。読めても理解できなくなる。聖書や神を理解できなくするのがサタン側の罠である。

2、自立心
サタン側が自立を洗脳するのは、神から離れるように人々を唆すため。
神に縋ってもキチンと生きられる。

3、心
非信者が根拠のある行動をしないのは、心の中を読まれていると思っていないからだ。
天の主は心を読むから、信者は心を読まれている前提で動く。
しかし、非信者は心を読まれていると思っていないから、心を読まれていない前提で動く。

4、方法
サタン側が人々を地獄へ道連れにする方法は、時代で変わる。
昔は、暴力で脅して悪魔崇拝をするように強制していた。
今は、莫大なエネルギーを与えて何となくで生きられるようにして、思考停止にさせて神の存在を考えないように誘導する。
多分、暴力が通用しなくなったから、サタン側は生産技術を持ち出して、莫大なエネルギーを使えるようにして、何となくで生きられるようにして、思考停止へ誘導する方法に切り替えたのだろう。
思考停止になると本をキチンと読めなくなるから、聖書も読めなくなる。
読めているけど読めていない精神状態になる。
読めているけど理解できない精神状態になる。
読めているけど理解しなくても生きられる社会。
それがサタン側の目論見である。サタン側の何千何万ある罠の1つ。

5、獣の刻印
獣の刻印とは獣の習性の事だと前に書いたけど追加。
神の領域を侵害するのが獣の刻印である。
善悪を決めるのは神だけど、勝手に善悪を決めるのが獣の刻印である。
クマは、人間の持ち物を奪うと、自分のモノだと思い込んで、人間が奪還すると自分のモノを奪われたと思って人間を攻撃する。
所有権の概念が理解できないのがクマである。
一度でも自分のモノになったと思うと、捨てられなくなる。
善悪を自分たちで決めたと思って私物だと思い込むと、善悪を決める利権を捨てられなくなる。
だから、こういう獣の習性を持った人間は、天の主が善悪を決めると言われても従わない。
獣の習性を持たない人だと、聖書を読んで神が善悪を決めると言われたら、その通りだと思って自分の善悪決定権を捨てて、聖書に書かれた神が考える善悪の基準に従う。

6、精神力が持たない
人間の精神力では、頂点や中心になってもストレスで潰れてしまう。
だから、神は、人間を守るために、神を頂点と中心にして物事を考えるように諭す。
人間は、善悪を自分で決めると、その責任と、頂点と中心になるストレスで潰れてしまう。
アダムとエヴァの時点から人間には無責任だから、責任のある生き方に耐えられない。
アダムは「女が言ったから、神に食べてはいけないと言われた果実を食べた」と責任転嫁をした。
エヴァは「蛇が言ったから、神に食べてはいけないと言われた果実を食べた」と責任転嫁をした。
人間には自分が主役になりたい願望があるから、神を中心にしなければならないと言われても従いたくないのだろう。
しかし、その人間の主役願望は、責任を背負わなくてもいい範囲内での主役願望である。
望み通りに主役になれても、責任を背負う立場になると、途端に主役の座を捨てたがる。

人間は主役の責任に耐えられる精神力がないのだから、神に依り頼んで依存したらいい。.

主を畏れる人よ、主に依り頼め。 主は助け、主は盾。

詩編 115:11 (新共同訳)

7、価値
自分の価値を自分で編み出そうとするから、神に頼らなくなって苦しむ。
自分の価値を神以外に根拠を見出そうとするから、見つからなくて苦しむ。
自分の価値を他人や自分という人間を根拠にしようとするから苦しむ。
自分の価値を神以外に頼って見つける思考回路はサタン側の洗脳である。

人間はアダムとエヴァから無責任だから、人間に頼ったところで背負いきれなくなって逃げられる。
神を頼る者同士なら結婚が幸せに長続きする。

8、巨人
巨人は3400メートルだから、2000倍だから、2000×2000×2000で80億倍の食事量になる。800万倍ではなかった。
しかし体重が増えると代謝量は減る。

哺乳類の標準代謝量は体重の4分の3乗に比例する
標準代謝量は個体が生命を維持していくのに必要な基本的なエネルギー消費量で、体重が2倍になるとエネルギー消費量は1.68倍になるということです。体重4トンのゾウと体重40グラムのネズミとでは体重差は10万倍
ありますが、エネルギー消費は5600倍しか違わないことになります。

この計算で行くなら、3400メートルの巨人は、80キログラムの人の2700万人分の食事量になると思う。

9、主人公が悪魔
創作の漫画で、主人公が実は悪魔だったという話が有るのは、神に背いている人の事を指している。
創作業界はサタン側の支配下だから、時々、こうやってヒントを出す。
主役が人間だと思ったら敵だった。
主役が正義だと思ったら悪だった。
人間が正義だと思ったら悪だった。
自分が正義だと思ったら悪だった。
自分が人間だと思ったら悪だった。
自分が人間で正義だと思ったら、悪魔崇拝者の悪魔で悪人だった。

10、人口
昨日、人口抑制とかは政府が常にやってくるのは常識と書いたけど、常識と言っても殺人犯は地獄へ落ちる。
どの程度の殺人なら、改心で天国へ入れるか判らない。
しかし、イエス・キリストの隣で磔刑の死刑にされた殺人犯は、死刑にされたから改心が赦されたのだろう。
死刑にならない殺人犯は赦されない。
あと、旧約でも書いてある、故意ではない殺人も逃れ場で赦される。

薬害で虐殺をしているような連中が、他の悪行をしない理由はない。
スポーツの八百長をやっていない根拠はない。
芸能界で犯罪を助長していないわけがない。
例え、他の犯罪をしていなくても、虐殺をしている時点で赦されない。他の犯罪をしないのは殺人の免罪符ではない。
虐殺できる権力が有るから、ワザワザ八百長をしていないだけ。虐殺できる権力が無かったら、こういう奴らは八百長する。

11、反社
神以外を理由にして社会から離れようとしているアウトローは、ダメだと思う。
神のために世間から離れるべきだけど、神以外のために世間から離れるのは反社会である。

12、物質に執着
昔、読んだ本で、概念を理解できない人は、肩書や物体に執着するという内容があった。
大学を出たと言って卒業証書や肩書に執着する人は、大学で学んだ内容を全く身に付けていない。
心でモノを考えれば、物質に執着しない。

13、言い捨て
エゼキエル書33章で警告しなさいと神に命令されたから警告する。
納得させろ、成果を出せ、理解させろ、と命令されたら、無理だから立ち帰ってない。
ほとんどの人間は何となくで生きているから、理解させるのは不可能である。
理解させるのは、自分の能力が必要だし、相手の能力と性根の良さが必要である。
警告なら一方的に言い捨てるだけでいいから、警告なら誰でもできる。
説得や理解をさせるのは時代・国・個人差の違いが大きすぎるから、とてもではないけど普遍性がない。
理解させる成果を要求する宗教があったら、相当な異常者だ。

14、毒親の救われ方
毒親も改心して神に立ち帰れば救われる。
俺は毒親の俺に対する加害は赦したけど、毒親が神に立ち帰らないなら受け入れないし挨拶しない。

この教えを携えずにあなたがたのところに来る者は、家に入れてはなりません。挨拶してもなりません。

ヨハネの手紙二 1:10 (新共同訳)

ただし、家族を捨てろと書いてあるから捨てる。

だから、同じように、自分の持ち物を一切捨てないならば、あなたがたのだれ一人としてわたしの弟子ではありえない。」

ルカによる福音書 14:33 (新共同訳)

信者同士で捨てた自分の家族を他の信者で世話をするだけでいい。
イエス・キリストも冤罪で死刑にされる前に、弟子に自分の母親の世話をするように言った。

それから弟子に言われた。「見なさい。あなたの母です。」そのときから、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った。

ヨハネによる福音書 19:27 (新共同訳)

15、石板
モーセが居なくなったイスラエルの民が金の子牛を偶像崇拝して、石板を割ったけど、もう一度、石板を神が書くのは、1回の罪は赦す意味だろう。
社会は1回の悪行すら許さないから、予防しようと躍起になる。
悪行をしても反省したら赦すから、神は慈しみの神である。

16、撤去
被災後は、ある程度な放置した方がいい。
地盤が軟弱になっていて、作業中に倒壊して、下敷きになる作業員が出る。
即日で解体しないからダメなんて言っている連中は、作業員の命を何も考えていない人命無視である。
「人の命が、人の命が」と言っている奴ほど、人の命を金儲けのネタとしか思っていない。
貧しいから人命無視なのではない。
人命無視だから貧しいのである。
貧困国だから人命無視なのではない。
人命無視だから貧困国から脱出できない。
経済成長しないから人々に金を与えられないのではない。
人々に金を与えないから経済成長しないのである。

そもそも、ガレキの撤去には優先順位があるから、目立つところだけ撤去するのは、タダのパフォーマンスである。
人々の注目を集まったから撤去するとか、人気取りが酷すぎる。

17、努力
努力は免罪符ではない。
努力して成果を出しても、その地位を利用して人々を間違った方向へ誘導したら、やはり悪行である。
人々を正しく指導できないなら、成果を出してはいけないし、社会的地位を手に入れてもいけない。
例え、鞭が原因で間違った方向へ誘導したとしても、故意犯は有罪だけど、過失も悪である。
指導力が不足しているなら、他の分野で成果を出してはいけない。
成果を出しても、指導力が不足しているなら、表に出てはいけない。
また、有害無害を区別する能力がないなら、他の分野で成果を出しても、薬害の予防接種を受けたとか言ってはいけないし、奨めてもいけない。

18、貢献
本来、人間は神に対して貢献して満足する。
神を隠されると、貢献したい欲望を満たすために、代償行為として社会貢献とかする。
しかし、代償行為で偽物だから満たされず、代償行為を一生に渡って続けて苦しみ続ける。
これもサタン側が用意した罠の何千何万の1つである。

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