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【ショートショート】桜の木の下でずっと君を待っている【小説】

 この桜の木の下で僕は君を待つ。

 ここで君と僕は小さなお花見をしたね。この桜は幹が太く、根も立派。近くの木と比べて一つ一つの花自体が大ぶりで色艶も良く、見事に咲き誇っている。
 4月と言えど、まだまだ肌寒かったあの日、君と僕はこのベンチに腰掛けた。君はこの公園近くに来ていたキッチンカーでホットワイン、僕はコンビニで缶ビールを買った。

缶ビールなんて体が冷えるよ、大丈夫?寒がりなんだから違うのしたら?一口目はビールにしたい?ふーん、お腹壊しても知らないから。

 こんな風に忠告されたことを覚えている。
 レジャーシートにつまみを広げた。僕はコンビニで買ったピーナッツやチーズ、スナック。君はどこかのカフェのテイクアウトのホットサンド、ソーセージの盛り合わせ、ピクルス。各々持ち寄ったものをシェアする。

全部コンビニじゃん!私はいろんなとこで買ってきたのに…手抜きしてない?

そんなことない、色々吟味した結果だよ。こういうのが結局一番お花見には良いんだよ。ワインとこのチーズ合うでしょ?と言って食べさせると

…合う。

と、悔しそうに口を尖らせて返事していてた。

このワイン、シナモンとかいろんなハーブ効いてて美味しいし体あったまるよ。飲む?

 君の厚意に甘えて暖かいカップを受け取りワインを飲んだ。甘くて刺激的な香りがする。体の中から広がる温かさが足・指先にまで浸透していく感覚。ほっとする。一息ついてワインの入ったカップを返そうと彼女に向き直る。するといつのまにか彼女の手が僕の頬に触れていた。

あったかくなったね。良かった。

 ふふふと君は笑った。可愛いなあ、とその笑顔に浸っていると、カップが僕の手から滑り落ちる。あっと思った瞬間ワインはぶちまけられ、君の灰色のセーターに大きなシミができた。突然の出来事に大きな声を上げ僕が慌てふためいていると、君は豪快に笑いだした。

そんなに叫ばなくていいのに。普段は静かなのにこういう時のリアクション大げさで面白いよね。

 服を汚されて怒るどころか笑っている君がたまらなく愛おしい。
 不意に口元に違和感を感じた。舞い散った桜の花びらが唇の端に付いたのだ。手にとって眺めるとやはり普通の桜の花びらと比べて大きく張りがある気がする。
 美しい桜の下で君の笑顔を見れるなんてなんとも贅沢だと思ったんだ。この時の笑顔は今も僕の脳裏に焼きついて離れない。あの日、またここでお花見しようと約束した。その約束を果たすべく、僕は君が来るのを待ち続けている。


「伊藤先輩、何で向こうの大きな桜の木に行かないんですか?」
 芽衣は決まり悪そうに後輩の鈴木に答えた。
「あー…鈴木君、あの桜は駄目なんだよ…」「何でです?あの桜の方が幹が太くて大きくて立派です。花の数も他と比べて多く感じません?すっごい綺麗ですよ。…一人ベンチに座ってる人はいますけど…良かったら俺と一緒にあっちに移動しません?」
 芽衣が鈴木の最後の言葉に応える間も無く、頭上から男の大声が降り注ぐ。
「なんだ、なんだ、鈴木!あの桜のこと知らないのか!?」
 話に割り込まれ、心の中で舌打ちしながら鈴木はサークル部長の畠中と膝を突き合わせることになった。
「いや、俺…入学早々大怪我して復学したの冬なんで。だからここ一年の大学のイベント事経験していなくて…」
 体格も態度も声も大きい畠中にたじろぎつつ、最後の言葉は聞かれていないよな?とそわそわしながら何とか言葉を繋げる。
「そうだったか?じゃあ、伊藤と俺が教えてやろう!あの桜の近くにいると他人の記憶が自分の中に入り込む、と言われている!その記憶は自分が本当に体験したかのように感じられ、元々あった自分の記憶と混ぜこぜになる。どこからが自分の記憶でどこからが他人の記憶かわからなくなるそうだ」
「……へえ」
鈴木は何か言いたげな笑い出しそうな微妙な表情を浮かべている。畠中の出現はいい助け舟だった、と芽衣も勢いに乗って知っていることを話しだす。
「そうなの。噂だと昔、未成年の学生に誰かがお花見した時の二日酔いの記憶が入り込んで、一度もお酒飲んだことないのにお酒嫌いになっちゃったとか」
「あの桜の下で告白して振られた男に、自分を振った相手の記憶が入り込んだことがあるらしい。振られて半泣きになった自分を自分で見てしまったそうだ。相手がいかに自分を嫌っていたかも知ってしまい、ショックでもう恋愛ができなくなってしまったと」
「…それは地獄ですね」
「桜に吸い取られた人の記憶が花に移って、花びらに触れると記憶が入り込む、なんて説もありましたよね。だから花びらも触らない方が良いって」
「…と、いうように曰くがある木なんだ。近づかない方がいい!」
 二人の話を黙って聞いていた鈴木は意を決したように問いかける。
「…お言葉ですけど、先輩達は大学生にもなってそんな話、本気で信じてるんですか?」 
 芽衣と畠中はお互いの顔を見合わせた。畠中がお前の気持ちもわかるぞ、と言いたげな笑みを浮かべる。
「…正直…俺は信じてない!けど、あの桜の綺麗さは異常だろ、噂が嘘でも他に何かあるんじゃないかと思うくらい。地元であの桜の下で花見する奴なんかいない。"何か"はあるんだよ。人がおかしくなるような何かが。あの桜の近くだと皆んな狂ってしまうんだ!」
 だから大人しくここで花見しろ!と鈴木の肩をバンバン叩きながら畠中は強引に話をまとめた。話が締められたのをきっかけに芽衣は何気なく席を立つ。鈴木は叩かれた肩をさすりながら渦中の桜の木に視線を移した。
 遠くからでもあの桜は目につく。美しい。ずっと、見ていられる。人を惹きつける妙な魅力を持っている。確かにずっと見ているのは危険な気がしてきた。ここは先輩達の忠告に従おう。大人しくしておこう。芽衣先輩への告白はそんな曰くの無い場所でしたいしな。


 大学生達の集まりだろうか、向こうから喧騒が聞こえる。あの日の君も彼らと同じくらいの年齢だったんだろう。
 あの時の君の笑顔は僕の心の中に鮮烈に残っている。その記憶だけで十分だ。僕が君を好きでいる理由なんて。
 嵐のような風が吹いて、豪華絢爛に咲き乱れる花は散らされ桜吹雪が舞い散る。口の端に花びらが張り付く。ああ、あの時と同じだ。

 君の年齢も、住んでいるところも、名前も、僕は知らない。けれど君が好きだ。この感情、記憶は本物だ。

 だから、この桜の木の下で僕はずっと君を待ち続ける。

(了)

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