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サイボーグ時代を読んで。


先日クラウドファンディングで
支援させてもらった

吉藤オリィさんのサイボーグ時代が届いた。


予想をはるかに超えて、内容が良かったので

書評の定義に従って、

自分の忘れたくないと思った文章を

書き起こしてみたいと思う。


もちろん、ほんの一部なので

手に取ることをおすすめしたい本だ。

以下引用: サイボーグ時代 ~リアルとネットが融合する世界でやりたいことを実現する人生の戦略~吉藤 オリィ (著)  きずな出版


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努力と根性と我慢.


例えば、道を塞いでる
邪魔な岩を割りたいと思ったとき

素手で殴り続けて、
手がボロボロになっている状態。

今の社会で厄介なのは、何十年も修行を続けて

素手で割ることのできる先輩がいること。


そのような環境にいることで、
視野が狭くなってしまい

「素手で岩を割ることもできない自分は社会の役に立てない」

考えるようになってしまう。


本質は、邪魔な岩を排除することであり

素手で岩を割ることではない。


やりたいのにできないこと.


障害とは、やりたいのにできないこと。

眼が見えないこと、声が出せないこと
歩けないことなど

多くの人が身体性を連想するが

障害とは

「自分がやりたいと思ったことの実現を阻むハードル」

全般を指す。


例えば、友人の結婚式に招かれたが、

海外にいるために参加できないケース。

この場合、「物理的距離」という障害を持っている。


サイボーグ化.


目の前の障害は

「仕方ないこと、諦めるべきこと」ではなく

「人類や自分が、まだ乗り越え方を知らないハードルに過ぎない」


サイボーグ化とは、

「これがやりたい」という人の意思に基づき

テクノロジーがその人の能力になり、

生活、人生となめらかに融合することである。


ALS.


現代の日本では、約1万人のALS患者のうち

約7割が人工呼吸器をつけることを選ばず

自ら死を選択している。

世界全体でみれば、
約9割の患者が死を選択する。


大きな理由としては、

「自分が生きていても、家族や周囲に迷惑をかける」

「何もできない自分が生きていても仕方がない」

という現状と未来への諦観。


「ありがとう」はやがて負債になる.


人は介助してもらうと、

最初は「ありがとうございます」と
感謝の言葉を口にする。

しかし、毎日介助してもらい
「ありがとう」を言い過ぎると

次第に、「いつもすみません」

「申し訳ありません」へと変わっていく。


サイボーグ的に生きる.


「サイボーグ的に生きる」とは

自分の能力、意識を時代に合わせ、常にアップデートさせる生き方。

生身の体に機械を取り付けるイメージではなく

他者の知識や経験を取り入れて、

自分の能力を一部化し、できることを増やす。


ルールは更新できる.


ルールは、
「守る」と「破る」以外にも方法がある。

「更新する」という発想。

ルールを更新するためには、
なぜそのルールができたのか

根本的な理由を考える。


勘違いを大切にする.


自分や社会を変える行動は、

根拠のない勘違いから始まる。


勘違いと行動は美徳である。

年齢を重ねると、色々な知識や経験を吸収して

勘違いしにくくなる。

どんどん図にのるべき。


綿密な計算よりまず実行.


規模が小さい検証の場合、PDCAではなく

計画を練る前に、まずやる(D)。

やってみてダメだったら(C)、
はじめて計画を立てて(P)

改善すればいい(A)。

DCPAくらいでいい。


最悪のケースを考えておく.


何事もとりあえずやってみる。

リスクとは、不可逆的であるかどうか。


誰かに嫌われたり、お金を失うことは

リカバリー可能である。可逆性がある。


1日1回は失敗する.


失敗していないということは、

新しいことに
挑戦していないということである。


「心が資本」の時代へ.


テクノロジーが発達すれば

身体的な特徴(長)はある程度、可変的になる。

つまり将来、人間の体はコモディティ化する。


将来的には、「歩く」「聞く」「見る」

という行為は必ずしも日常生活をおくる上で

必要な動作ではなくなるかもしれない。


自分の肉体をシェアする.


自分のできることで
他人のできないことを補っていく。

「自分の肉体をシェアする」、
「ボディシェアリング」の考え。

例えば、視覚が不自由な人と
足が不自由な人が
お互いのできることで補うことができる。

目の不自由な人は、行き慣れていない土地だと
介助者が必要なことに、負い目を感じてしまい
家に閉じこもってしまう。


「誰かのためになら」積極的になる.


お互いのできることで、補うようになると

目の見えない人は

「ベッドから動けない人の役に立てる」ようになる。


躊躇してしまっていた外出が

誰かのためになるのだから

これまでよりも積極的に外出する理由ができる。


ベッドから動けない人にも負い目はない。

目の見えない人の代わりになって信号をみたり

タクシーが来ていることを教えてあげたり

様々なサポートをすることができる。


文句が出る = それだけ新しい.


文句や苦情が出るということは

そのアイディアや、行動が

人々のこれまでの

常識の範囲外であるという証拠。


理解できない人がいるぐらい

新しいことをするやっているということ。


逆に、アイディアを形にする前から

みんなに絶賛され、

「いいね」と言ってくれる人ばかりだった場合

そのアイディアや行動は

思っているほど、

新しくないということになる。


自分がいいなと思ったアイディアや行動が

周囲の人間から理解が得られず、

バカにされたとしても

あまり気にしなくてもいい、

新しい証拠である。


死が遠くなると我慢する.


「昔は呼吸器なんてなかったから、

筋ジストロフィーの子供たちは

20歳程度で亡くなっていた。

限られた20年をどれだけ楽しく分厚く

太く生きるかを大事にして、

大きい車椅子で走り回ったり、

サッカーをしたりしていた。

親も『やりたいことを思いっきりしなさい』と

チャレンジを応援していた。


いまは呼吸器をつければ

筋ジストロフィーの人でも50〜60歳まで

生きられる。


そうすると親たちは、

『もしものことがあってはいけない』と

危ないものに乗せたり、

挑戦させたりしなくなった。

安全に、安全に、

1日でも長く生きてもらおうと

守るようになった


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個人的に忘れたくないと思った文章を

書き起こしてみた。


私も、将来的に成し遂げたいことは

テクノロジーによって

"新しいダイバーシティを定義する" ことだ。


肉体のコモディティ化は

必ず実現できると思っていて

つまり、メガネと同じ次元まで

"障害" のハードルを下げることである。


以前は歩けなかった人間が、

"歩けるように"なる。

見えなかったものが、"見える" 。

聞こえなかったものが、"聞こえる"。

記憶を忘却してしまっても、取り戻せる。

外出に積極的になれる。楽しめる。

治らなかった病気が治る。


私もエンジニアリングを通して

サイボーグ時代を創っていきたい。


後悔よりも、教訓を

同情よりも、共感を

苦しい話ではなく、希望を遺せ。

ー 吉藤オリィ

 




最後まで読んでくれてありがとうございます。

僕なんですが

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