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適応障害で退職し、転職した職場を3日で辞めた僕がヒモから主夫になり起業するまでの話004

※003とは時系列が異なります。
コロナ感染は最近ですが、この話は数ヶ月前のことで、
002からの続きです。

体調不良で1週間欠勤し、土日を経てさあ勤務再開だと意気込んだ月曜日。

僕は先週と全く同じことを繰り返していた。
まるで映画「メメント」を見ているような気持ちになった。

朝になると布団から動けず、タイムリープもののボスキャラがここにいれば「いま、何回目だ?」とでも言われそうな気がした。

なんとかスマホを手に取り上司に連絡すると、
「一度受診してください」
とのことだった。

その頃にはもう既に自分が「身体的な病気」ではないことはわかっていた。
そのため何科を受けたら良いのかなど考えることもなく、
近くの心療内科やメンタルクリニックを探して初診に向かった。

仮にも大学で心理学を学び、教育と福祉の交差点のようなところで働いていたこともあり、
自分の状態であればどのような診断が下るかは薄々勘付いていた。

適応障害orうつ病

このどちらかであるとは思っていた。
だから改めて医師から診断名を聞いても特段驚きは無かった。

けれど、今までそれらの人をケアしたり相談に乗ったり、そういった人を減らしたいと思い働いてきた身としては、
多少なりともショックは感じていたように思う。

と同時にメンタルクリニックの混雑度や煩雑さ、診察時間の短さや事務処理的な診察に思うところもあった。

所詮メンタルヘルスの業界もビジネスなのだと思わざるを得なかった。
なんでも病名、診断名を作ってしまえばそれで良いのか、など余裕のない頭でも考えてしまった。

実際は企業のシステムが破綻していたり社会の構造のせいだったりするのに、
仰々しい病名を与えてラベリングしてしまえば、
それは個人の責任になる。

遺伝や本人の生来の特性のせいにされる。
もちろん医師や看護師1人1人は親身に話を聞いてくれたし、
ラベリングされることで安心する患者も多いと思う。

けれど、これらの症状は社会が生み出しているものという理解が全く無くなってしまい、
「彼は繊細だから」「本人の特性と会社や仕事が合っていなかった」などという理由のみで話が終わってしまうと、もう社会は終わりだと思う。

ほぼ1つのみの価値基準で(コミュ力がある、資格等スキルがある、学歴がある、つまりは「能力」があるという基準)人の価値が評価・判断される社会のままでは、
精神を病んでしまう人は絶えるはずが無いし、
そもそもその病んでるor病んでないの判断も絶対的な基準などなくその時代の社会が決めるものだ。

などと色々なことを考えていると、あっという間に初診の日は終わった。

診断名は「適応障害」。
僕もそんな画一的な価値基準によってのみ評価・判断される社会によって生み出された「適応できない人」だったというオチだ。

ここから僕の休職生活は始まった。

小野トロ



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