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適応障害で退職し、転職した職場を3日で辞めた僕がヒモから主夫になり起業するまでの話002

それは突然訪れた。
恋愛小説の書き出しみたいだけれど、華やいだ話ではもちろん無い。

初回でも書いたように、僕は3年働いた職場にある日突然通えなくなった。

もう少し詳細を話すと、朝起き上がれなくなった。
頭では起きなきゃいけない、仕事に行かなきゃいけない、とわかっているのに、体が言うことを聞かないのだ。

どんな言葉を選んでも違和感と不足感を抱かざるを得ないけれど、
無理矢理言葉にするならばそれは「強烈な倦怠感」。

とにかく体が「ダル重〜」という感じだった。
そしてシンプルに思う。

「行きたくない」

倦怠感以外の言語化できる症状は無く、
手続き的に体温を測ってみるが憎いまでに平熱。

とりあえず上司に連絡し、その日は目を閉じた。

時期は4月の半ば。
仕事柄、3月が1番忙しかった。
年度末の締めの業務+通常業務+次年度の準備というトリプルパンチ。

仕事内容は端的に言うと学習教室の運営。
一般的な学習塾ではなく、貧困などの理由で学習機会に恵まれない子どもたちに対して、行政と連携して学習機会を提供する事業だった。

そして3月末〜4月初旬の時期は、
年次報告、勤務講師の継続or退職処理、新規生徒・保護者との面談、新規事業のプレゼン、決定した新規事業の調整、新規講師の面接・研修、教材の手配、などなどの仕事が一気に舞い込んできた。

つまりは結構なカオスだった。

これ以上話すと社名などがわかってしまいそうなので控えることにする。

しかし、カオスな3月末〜4月初旬を乗り切り、実際に教室運営が開始してしまえば、
あとは現場に委ねられることが多くなる。

5月以降は完全に稼働に任せてしまえば良くなる側面もあり、業務負担は和らぐ見通しが立っていた。

僕の心が鯖落ち(サーバーダウン)したのは、ちょうどそんなタイミングだった。

最初は精神的なものというより、肉体的な疲労だと思った。
実際業務量が多いことに加え移動も多く、オフィスと学校、役所、公民館などを往復する日々だったからだ。

とりあえず肉体的な疲れを癒そう、とその日1日ゆっくり眠った。
上司にも「明日は行けると思います」と連絡してあった。

しかし次の日、朝になるとまた同じことの繰り返しだった。

そして結局それが5日間、つまり1週間続いた。

土日になり仕事のことを考える必要が無くなったからか、
心身共に元気な状態になり、
月曜からは行けるだろうと思った。

そして月曜日。
僕はまた、布団にかかる重力に抗えないでいた。


小野トロ


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