【障害者雇用②】「今、ここ」で出来ることを1つずつ「株式会社城山」~原体験からの想い~
■最初に
こんにちは!サイボウズのもっちーです😊
保護フィルムの会社である株式会社城山
男女学歴障害を超越して働ける場を目指してできることから始めています。
前回は、お父さんから受け継いだ会社と想いについてお話ししました。
今回は、隆介さんの原体験からの想いについてです!
▼以前の記事
①受け継いだ会社と想い
〜株式会社城山〜
Webサイト:https://cc-shiroyama.jp/
■原体験からの想い
〇古い原体験
多様な方と一緒に働けるように、その思いはどこからきたのか聞いてみると、
僕の中に、原体験としてあるのが、小学校の時です。
知的障害のしんちゃんという子がいて、特別支援学級に入っていました。
しんちゃんは、言葉が話せないんですけど、
感情は表現できていたし、
何を感じているかそういうのはわかっていました。
当たり前に遊びに行って一緒の時間を過ごしていたし、
それは障害のある子の面倒を見ようとかっていうよりは、
しんちゃんといることが自然なことだったなぁと思っていました。
〇小学生、子どもだって想いがある
そして、もう一人、当時一緒に野球やっていた親友がいます。
小学校3年生で転校してきたんですけど、
多分、変化に対応できなくて、小学校に行けていなくて、
でも、僕は野球がやりたいから
その子の家に通って、2人で野球やっていたたのですが、
ある日その子のお母さんから、一緒に学校に行ってくれないかってお願いをされました。
それに対して、今でも自分でもそんなこと言ったのかな?と思うくらいなのですが、
無理に彼だけ特別扱いして、学校に来させるみたいになることが、
彼にとって良いとも思えないので、
学校のノートや宿題は、僕が届けるので、
彼が学校に来たいっていうタイミングで学校に来れるようになる方がいいんじゃないですか?
みたいなことを、お母さんに言ったみたいで、、、。
そんな子ども嫌だなって思ったりすることもあるけれど、
結果的に彼は学校に行けるようになりました。
〇好きなことで頑張る経験
学校に来られるようになったら、一緒に野球をやって、
2人でチームの中心になって、それこそチーム作りで9人集めるところから一緒にやりました。
そのチームは、県内でもトップを争うようなチームになって、
僕にとってもすごくいい思い出です。
特別扱いをするっていうのが、彼にとってマイナスになるんじゃないかなと思って、彼が彼らしさを取り戻すのに時間はかかっても、
そういうかかった時間で仲間とかができていくのがいいのかなって思っていて、
結局その彼とは高校生までずっと一緒に野球をやることになりました。
〇自然体でいられなかった大学時代
大学入ってからは、アメフトをやっていて、
すごくイケメンだし、すごく勉強もできて、すごく運動神経もいい友達がいたのですが、補聴器をつけていて、
その彼には耳が聞こえないことについて質問ができない自分がいました。
聞いていいのかなって思っちゃった。
だから大人になって、大学生くらいになってくると、
小学校とかの何も考えてないときにはできていた、接し方ができていないなと感じました。
彼とも今でも友人ですし、いじめたという話でもないし、
思い返してみれば配慮とかサポートについてとか、聞ければもっと良かったのに、みたいなひっかかりがあります。
雇用についての可能性に気づいた後でも、
どうして障害のあるなしみたいなところで分けるところから始まるんだなっていうことに、後から気がつきました。
〇障害者と健常者で分けられること
例えば、特別支援学校学級もそうですが、
なんか気づくと、健常者が当たり前という世界が出来上がっていて、
だから僕もどう接したらいいのかなと、自分自身がなっていることにも、ちょっと愕然としました。
今まで分かれていたところから、一緒にしようっていうのがダイバーシティと言われたりするけれど、
それだけだと、混乱する。
だから、プロセスを知ることが大事ということを知って、
自分の中でも腹落ちして、今の仕組みの中では、
お互いに橋がかかってないということを理解しながら、
やっぱり一緒に過ごしていく中で、相互理解が進んでいくことで、
お互いの可能性に気づけたり、自然と配慮しあうことができるのかなって思います。
〇学歴もすごくなくていい
僕は、一応名古屋で私立の進学校と呼ばれる学校に通っていました。
勉強よりも野球が大好きでやっていたので、
高校野球をなんかやりたかったので、親の言っているところを受験するみたいな感じで、そこで3年間勉強するんですけど、
本当に頭がいいなって思う子にも会いました。
例えば、自分が一生懸命勉強して受けたテストが7点で、
クラスの平均点が12点、まあ大丈夫かと胸をなんで下ろしたら、
隣の席の子は、100点を取っていて、ビックリしたり、
自分は一生懸命頑張っても、真ん中の少し上にいけるかどうかという感じだったので、本当に上には上がいて・・・
野球でも甲子園に行きたいと思っていたけれど、
今度は甲子園の世界で野球のレベルが高い人たちに出会うんです。
結局夢叶わずで、一生懸命やったけれど、
3年生の夏の大会の前に背番号がなくなって、
アルプスで応援していて、チームとしても甲子園に行けずに、
野球もここまで一生懸命やってみたけど、自分の手元には何も残んなかったなぁ。そんなことを感じていました。
自分がやりたくてやったことを突き詰められて、
挫折するところはして、そこから起き上がった体験をしてきたので、
今も挫折することはあるけれど、諦めの悪さみたいなもが自分の武器になっているところがあります。
だから、例えば
この会社が好きとか、何かが好きとかそういう気持ちから
もう1回頑張れるそういうことが、学歴よりも大事だなと思っています。
■最後に
最後までありがとうございました。
隆介さんのお話しを聞いていて、多様性って言葉や、
インクルーシブって言葉っていらないんだなーって気持ちになりました。
便宜的には使うけれど、本来自然と配慮しあえるものであるんだなってあたたかな気持ちになりました。
次回は、障害者雇用のステップをすこしずつ進めているお話しです!
次回も見てもらえると嬉しいです😊