【こんな場所に出会いたかった④】誰も排除しないから、カオスなほど多様な人があつまる、頼れる居場所~富士市「ゆめ・まち・ねっと」たっちゃんの軌跡編~
■最初に
こんにちは!サイボウズのもっちーです😊
前回まで、富士市で活動をしております、NPO法人ゆめ・まち・ねっとさんの活動や視察・体験の様子を紹介しました。
静岡県庁を38歳で退職し、今は子ども若者のためにたくさんの活動をされている、渡部達也さん(以下:たっちゃん)と美樹さん(以下:みっきぃ)のご夫婦がたくさんの活動をされています。
今回は、たっちゃんの軌跡をご紹介!どんな学生生活だったのか、県庁を辞めたのは?人柄が分かるお話です✨✨
以前の記事
⓪「子どもたちへのまなざし」の紹介記事はこちら
① 活動の紹介編はこちら
② 視察・体験編はこちら
③ 発達障碍のお勉強編はこちら
■たっちゃんの軌跡
【子ども時代:家族とのこと】
たっちゃんは、お父さんから「弱いものいじめは絶対にするな」と言われてきたそうです。
その背景には、お父さんが戦争孤児として転々としていたそうで、その中での、周囲との違いによる、言われたくない言葉を投げかけられたり、弱いものいじめのようなことがあったといいます。
そのこともあり、
そういう人間にはなるんじゃないぞ
っていうふうによく言われてました。
「お父さんのそういう教えがあったから、自分でいじめに加担しないってしたんだと思うし、非行少年に関してはなんか何て言うかな?たまたま自分がそういう親に育てられたから、非行に走る理由がなかったけど。」
と、お話してくれました。
たまたまそういう親に育てられた。というのは、事実ではあるけれど、
「たまたま」と感じることが出来るからこそ、いじめに加担しなかったけれど…、お話はしていたけれど…、でも‥もっとできる事があったのではないかという、“ 心のとげ ” を持ち続けているのかなと思いました。
【学生時代】
夏休みの最終日に、3人の少年がたっちゃんのところに、自由研究を合同研究だったことにしてほしいとお願いしに来ます。
その子たちは、非行傾向にある少年でした、その子たちの家に遊びに行った時に、自分の家とは違いがあるなと思います。
今思えば、生活困窮などなにかの問題があったのではないかと思ったそうです。
「台風で吹き飛ぶんじゃないか?みたいな家だったし、家が片付いていなくて、全然親は片付けしないんだなと感じたり、
そういう生活環境だったからか、勉強も出来なかった」
このお話を聴いて、別の観点も気になりました。
家庭環境や成育歴が、子どもの学力や非行の原因となることは、今では言われていることですが、学校はどうだったのかな?という点です。
そのことを聞くと、本にも出てくる恩師と呼べる先生のことを話してくれました。
【恩師との出会い】
両親はやさしく、目立った反抗期はなかったと記憶しているけど、学校の先生たちの理不尽さには、思春期の感性とも相俟って、反発を感じるタイプの子だったそうです。
「子どもは、ほかの社会って知らないからさ。」
その中で、恩師と呼べる先生にも出会いました。
3年間所属した野球部の顧問で、3年間社会科の先生だったその先生から、唯一すごい影響を受けたといいます。
その先生の非行少年たちに対する態度は、今の活動の大きな基盤になっているし、のちに大学で政治学を専攻して、当時は政治家になろうかな、と思ったのも、その先生の社会科の授業の影響が大きかったと言います。
例えば、歴史では、「イイクニ1192作ろう鎌倉幕府」みたいなことを覚えるのではなく、当時はどんな社会だったのか?貴族の時代から武士の時代に変わったのはなぜだったのか?変わったことで社会はどう変化したのか?を学ぶんだと。
そこから、今の時代の社会的課題をどうしたら解決できるかを考えられるようになるのが歴史を学ぶことの意味なんだという教えに大いに納得したといいます。
今でも、非行傾向にある若者たちへの眼差しみたいのは、その先生の当時の眼差しをなぞらえている感じがあるとお話くださいました。
【リンチ先生】
恩師の先生のあだ名は「リンチ先生」、体罰先生だったといいます。
その話だけ聞くと、とてもマイナスなイメージですよね。
それでも、たっちゃんが恩師と呼んでいるのには、理由があって、
ドラマの金八先生が始まったころ、たっちゃんの学校でも、
この子がいると、クラス全員が腐っていっちゃうから、非行傾向にある子を、学校に入れさせないということが本当にあったそうです。
そんな中、リンチ先生だけは、
その子たちは全員うちのクラスで引き取る。
学校にこさせなかったら、それはただの排除にしかならない。
それは教育じゃないということを強く主張していた。
そのようなエピソードが大きくありました。
たっちゃんが大学1年生の お正月に帰省して、リンチ先生のお家へ近況報告で訪ねると、たっちゃんの同級生や先輩・後輩がたくさん集まっていて、中学生当時、不良と呼ばれていた人たちも少なくなかったそうです。
卒業後も、非行少年たちはお正月に先生のうちに来ていて、リンチ先生という存在に救われている人、先生の自宅が居場所のようになっている人がいる事を知りました。
「金八先生のような、ドラマみたいな先生いるかって、ドラマを見ている多くの人は思っただろうけど、ドラマ以上の先生ここに居るけど。」と、お話くださいました。
【将来を考える】
非行少年達のSOSに共感する部分はすごく大きくて、当時のたっちゃんも校則違反の制服を着ていました。
中学の時に、政治家になるか、もしくはインテリヤクザになろうかなともイメージしてたと、笑います。
のちに、まさにこれだ!と思う、「サンクチュアリ」っていう漫画が出てきて、そのイメージが近いんだけど、日本を変えようと2人の少年が、1人は政治家のトップ、1人は暴力団のトップを目指し、表社会と裏社会の両方から日本を変えようとする壮大な物語なんだけど、そんなイメージを持っていたと笑顔で熱く語ってくれました。
非行少年達とつるむのはなんか単純に好きだった。とお話くださいました。
【静岡県庁時代】
一般職として入り、学生時代にイメージしていたのは、21世紀を見据えた大型プロジェクトを担うとか、大規模イベントを企画・運営するといったものだったそうです。 専門職ではないのに、新卒で児相のケースワーカーというのは例がなく、戸惑ったといいます。
今思えば、その道筋で良かったなって感じている。
児童相談所では、くる日もくる日も週刊誌のネタになりそうな案件の対応をしていました。 こんな世界が日常的にあるんだなって思った。
今よりも非行少年も多かったし、
こういう人たちのための仕事をするために、県庁に入ったんだなって言うのを実感できたので、スタートがそれって本当に、たまたまではあるけど、今につながっていると感じている。
【そして今】
NPO・市民活動というのは、機動性や臨機応変性が本分であるはず。
まして、行政をやめてNPOを立ち上げたのだから、中長期計画のようなものに沿って活動をするのではなく、目の前の困っている人に手を差し伸べる、目の前の困難な課題の解決にすぐに動くことをしたい。
運営の継続ばかりを考えてしまうと、行政の補助金や委託、あるいは民間の助成金頼みになってしまう。
そうすると、あらかじめ計画したことを計画通りに実施することで補助金や助成金をもらう、行政の下請け的なことをやることで委託費をもらうということになり、NPOらしさは失われてしまう。
そんなことをやるのなら、そもそも行政の立場のままでよかったじゃんということになっちゃう。
行政でやれなかった、法律があるがゆえにこぼれ落ちる人、公的な制度がどうしても当てはまらない人に、寄り添いたい。
また、行政は組織として動かざるを得ないので、どうしてもスピード感という課題が付きまとうが、今やれることを今ということも意識している。
といいます。
先のことは考えずに5年後、10年後を迎えて、そういう日々を送っていたなーと、振り返りたい。 とお話くださいました。
■最後に
たっちゃんの書いた本「子どもたちへのまなざし」もおススメです。
特に、子どもたちとの日々をエピソードとして語っているものも、普段の様子が垣間見えます。
県庁にいたからできること、NPOだからこそできること、それぞれ役割があるけれど、たっちゃんは県庁で制度にあてはまらない人を見て、その人たちに寄り添うことを決め、それからずっと寄り添い続けているのが、誰にでも出来る事ではないので、感動します。
次回は、県庁を辞めて活動を始めたとき、相棒のみっきぃや家族の生活はどうなったのか、みっきぃのナチュラルな力強さを感じる回です。
サイボウズは「チームワークあふれる社会を創る」が企業理念なのですが、みっきぃのような人を見て、力を与える人がいると良いチームになるなって感じ真下。
ぜひ次回もよろしくお願いいたします。